第11回 楊彪と楊脩
袁術の妹婿・楊彪とその嫡男、楊脩の登場です。
第11回 楊彪と楊脩
長安の都の片隅に楊彪の屋敷がある。
長安遷都に際し、真っ向から董卓に異を唱え、三公のひとつである司空の座を罷免された。
これ以降、董卓に反論する者はことごとく処刑されている。
例えば董卓暗殺を謀った罪で投獄された黄門侍郎の荀攸などは、牢獄に入れられ処刑を三日後に控えていた。
楊彪は現在、無官の身ではあるが、政界に対し絶大な力を持っている。
楊家は先祖代々三公を輩出しているという点において袁家に並ぶ名門だ。また楊彪自体が袁術の妹を妻に娶っており、その人脈と影響力は全国各地に及ぶ。
今日はこの屋敷に小さな客人が訪れていた。
子どもが三人。
一番背の高い男の子は十四歳になる王耀。
司徒である王允の孫だ。身体の線は細いが気品はやはり最高級の貴族のものを漂わせている。
王耀よりもやや身長の低い女の子は十二歳になる阿斗。
中郎将である呂布の娘だ。虎のように大きく丸い瞳を爛々と輝かせ、悪童のように胸を張っていた。
最後尾でよそよそしく付き従ってくる女の子は十一歳になる貂蝉。
こちらも王耀とは父母は異なるが王允の孫だ。華のような可憐な衣装に身を纏っている。
楊彪の屋敷には董卓旗下の兵が警備についている。
不穏分子の出入りが無いか常に監視しており、外部との交流は極端に制限されていた。
今回は相手が功績のある王允、呂布の血縁者という点や子どもであるいう点を考慮されて楊彪との面会を許されたわけだ。
「話は司徒様から聞いておる。無理をさせてすまぬな」
楊彪はそう云って三人の子らに頭を下げた。
五十歳になる。義兄の袁術よりも十は歳上である。しかしやつれたその表情はそれ以上の老いを見る者に感じさせた。
「司空様、顔をお上げください」
王耀が慌てて楊彪に駆け寄った。
貂蝉が優しく楊彪の手をとって卓へと案内する。
阿斗だけが少しその場に残り、天井や窓などを目視で確認した後、一向の後に続いた。
「貂蝉よ。太師様のお招きで郿城に行くそうだな」
目を瞑り必死に何かを堪えるかのように楊彪はそう切り出した。貂蝉は声を出さずにゆっくりと頷く。
伎楽の腕が都随一の貂蝉を招いて宴を開くという名目ではあったが、その実、董卓に服従することを表す人質の要求である。逆らえば三族皆殺しにあうだろう。王允は苦渋の選択を迫られ、孫娘を生贄に捧げることを決めたのだ。
「司空様、我々も宴に参加致します」
「貂蝉ひとりに行かせるわけにはいかぬからな」
王耀と阿斗がそう答えると、楊彪の目の奥が黒く光った。
「そうかお前たちも行くのか……」
「はい。私と阿斗で剣舞を披露させていただきます」
「剣舞をの……ふたりでか……」
楊彪は「ふたり」という言葉に力を込めた。
今、董卓に直接会うことのできる者はほとんどいないといっていい。居城である郿城から出てこないのだ。三公に就く最高官僚ですら久しく董卓を見ていなかった。
暗殺を恐れている。もしくは病に伏せていた。
郿城に入ることすら難しい時期だった。
宮中では、李傕、郭汜の軍が袁術の首を討った時点で、帝位禅譲の儀が執り行われると噂されていた。
漢帝国が亡び、董卓が帝となる国が建てられるのだ。
真っ向からそれを防ぐことのできる勢力は無い。
袁術と袁紹の兄弟が手を取り合えばそれも可能かもしれないが、家督争いの真っ只中であり、近隣諸国の豪族たちを巻き込んで泥沼化している。
楊彪は帝に袁家の家督は袁術に継がすことを認めるように嘆願したが、董卓がそれを阻止した。袁家の家督争いを続けさせるためであった。
もはや董卓の勝利を疑う者はいない。
「司空様、どうもこの屋敷にはネズミが多いようだね」
阿斗がそう口にすると、腰に差している剣を抜くなり天井へ投げた。細く頑丈な刃が天井に突き刺さると、呻き声が漏れてきた。刃を伝って鮮血が床に垂れる。
「外に見張りを立てるだけでは飽き足らず、天井裏にも密偵を放つとは……董卓は随分と司空様を警戒していますね」
王耀の問いに対し、楊彪は疲れた顔で笑いながら、
「私が処刑されなかったことが不思議だろう。慈悲にすがったわけではない。太師様は反乱分子を一網打尽にしたいんだ。私はその餌のようなものだよ。反乱分子を呼び寄せるために生かされたんだ」
「司空様、そのようなことは決してありません。王允様がいつもお話しくださいます。宮廷は司空様がいてくれたからかろうじで清潔を保てたと。これから先の皇室を補佐できるのは司空様しかいないと」
「ありがとう貂蝉。お前は気立ての優しい子だな」
貂蝉の言葉に楊彪は涙を流して答えた。
「父上。脩でございます。お邪魔してよろしいでしょうか」
部屋の外から男の声が聞こえてきた。
「おお。待っておったぞ。入りなさい」
楊彪の許可がおりて、ひとりの青年が入って来た。
「私の息子で脩という。今年で十六歳になる。この子も宴に同行する予定だ。みな、宜しく頼むぞ」
楊彪にそう紹介されて、青年は慇懃に礼をした。
「名を脩。字を徳祖と申します。お見知りおきを」
目、鼻、口が大きく、立ち振る舞いも凛々しい。
この後、荀彧と共に漢皇室の存続に尽力することになる楊家の麒麟児、楊脩徳祖そのひとであった。
漢皇室は二十八年後の西暦二二0年、荀彧、楊脩の死後、魏に皇位を禅譲し滅ぶことになる。
楊彪はその後も生き続け、魏の皇帝からも慕われ、様々な特権を与えられる。
後日談ではあるが……。
帰りに際し、王耀は耳元で楊彪からこう声をかけられた。
「鴻門の会、良しなに頼むぞ。」
董卓の館で行われる宴は二日後に迫っていた。
夜、王允の館の一室でひとり月を眺めている王耀のもとに影が近寄った。世話役の魯粛である。
「四人の将が司徒様の陣営に加わるとの確約がとれたようにございますな」
「フッ、確約などあってないようなもの。どうせ皇帝の勅命と董卓の首の両方を供えないと御利益の無いやつらだ」
「その通りでございますな。勅命は下りるとしても、董卓の首はそう易々とは獲れません。そうなるとこの約定は反故で終わります。残念な話です」
「ただ観戦しているだけの者は気楽でいいな」
「いやいや、徐栄将軍や李粛将軍に文を届けたのは私ですぞ。そこそこ働いたと思いますが」
「安心しろ。徒労には終わらせはせぬ」
「はい。ご活躍を祈願致しております」
王耀は何も答えず鞘から剣を抜いた。
袁家に伝わる「七星刀」が月の光に煌めく。
郿城の責任者である董卓の弟、大将軍の董旻は長安全体の兵の統率に苦心していて郿城を空けることが多い。
董卓軍の主力である「四将軍」のほとんどは八万の兵を率い袁術退治に出かけて留守。
董卓の娘婿である前将軍の牛輔と知恵袋の李儒も同様に南陽を攻めるべく五万の兵を率いて出陣していた。
長安を守る将は徐栄、李粛、胡軫、楊定他、七万の兵。
こちらの調略は順調に進んでいる。
洛陽で反乱分子の殲滅にあたっている呂布は、董卓死すの報を聞き次第、李傕らの背後を襲うこととなる。
用意は周到に進められてきた。
楊彪や王允、袁術、呂布らが時間と金と人脈を惜しみなく費やして築き上げた舞台だ。
後は主役がそこで舞うだけなのだ。
初舞台の緊張で、王耀は武者震いを止めることはできなかった。




