第6回 黄祖の志
荊州を狙う孫堅と、荊州を思う黄祖。
第6回 黄祖の志
荊州の刺史である劉表が逗留する襄陽より南、麦城。
江夏太守の黄祖が一万五千の兵を引き連れ、この地で荊州南部から攻め寄せてくる豫州刺史の孫堅軍二万五千を迎え撃っていた。
初戦は見事に完敗であった。
日頃から戦上手を謳ってきた黄祖であったが、孫堅軍の突撃の凄まじさには舌を巻いた。
なるほど、孫堅の異名である「江東の虎」とは伊達では無い。噂にたがわぬ武威である。
左陣、右陣を率いる黄蓋、韓当という両将も恐ろしく戦慣れしており見事な采配ぶりだった。
董卓軍の中で武名が轟いていた華雄を討ったという最も警戒していた程普という将は一万を率い豫州に向かったので、相手は一万五千に減っていた。
対等の兵力であったが、兵の士気は段違いである。
正面きって戦えばたちどころに全滅してしまう。
初戦に敗れた黄祖は、すぐに退却の鐘を鳴らし、麦城に籠って作戦を練り直していた。
「殿、もう一度孫堅と戦う機会を下さい。この魏延必ずやその首獲ってご覧にいれる」
浅黒い顔をした男が野太い声でそう云い放った。
黄祖旗下の「三鬼」と呼ばれる猛将のひとり、魏延であった。字は文長、歳はまだ十五であったがひとたび長剣を振るえば敵なしという天下無双の士である。
事実、孫堅との初戦では七人の敵の首を獲っていた。
「文長は勇みすぎじゃ。剣を振ることに夢中になって指揮をとることが疎かになっておる。それでは将は務まらぬ」
顎鬚を蓄えた黄忠が苦言を呈した。字は漢升、歳は四十を超えているので魏延からすると父親同然である。弓を良く使い、春秋時代の弓神と称えられた養由基の生まれ変わりとも云われている。
黄忠に横やりを入れられて堪らず魏延が閉口する。
「損害を考えると正面から戦うは下策。猪武者相手にこちらも合わせる必要はないでしょう。刺史様からの援軍も間もなく到着しますので、多勢の利を生かす戦いかたをすべきかと思います」
落ち着いた口調で黄祖に進言したのは三鬼の筆頭、蘇飛。字は常覇、槍の名手で黄祖軍において唯一「朱槍」を持つことを許された男である。最も黄祖の信頼が厚い。
「劉表殿の援軍が来たらいろいろ口を挟まれてたまらぬ。どうせ籠城しても、文台(孫堅の字)の兵糧の尽きるのを待つことになるだろう。それではせっかくはるばる江夏から来た甲斐が無いというものだ」
宝石を散りばめた自慢の兜をさすりながら大将である黄祖はそうぼやいた。
歳は黄忠同様に四十を超えている。
荊州で暴れ回る黄巾の賊を打ち破り名をあげた。荊州で反乱を起こした区星の軍を鎮圧する時には、孫堅とも協力しあっている。
三度の飯より戦好きで、自然と旗下にも腕に覚えがあるものたちが揃っていた。
初戦は小手調べと堅陣を敷いて向かい合ったが、五陣までがたちまち突破された。
黄忠と蘇飛が代わる代わるに殿を務めて黄祖の麦城退却を支援しなければ黄祖の首はすでに無かったかもしれない。
さすがの孫堅も一気に城攻めとはいかず、現在は包囲の状態だ。
黄祖の兵は初戦で千以上の損害があった。さらにその倍の数の兵が負傷している。
大敗といえた。
しかし黄祖はまったく動じてはいない。
ここが他の凡将との大きな違いであると腹心の蘇飛は感じている。
黄祖は負けても必ず立ち直る。
その立ち直る速度は尋常ではない。平然と立ち上がりまた立ち向かう。
兵を退くことがあっても気持ちは決して折れない。
それが黄祖という男の魅力であった。
「夜襲をかけましょう。敵はこちらが城に籠ってビクついていると高を括っているはずです。今ならば孫堅の首を討てます。どうかそのお下知をこの魏延に!」
「夜襲などがおいそれと効く相手か。待ち構えられて捕縛されるのがオチじゃ」
「漢升殿のおっしゃる通り。西門の囲みが緩いと思いましたが、おそらく罠でしょう。仕掛けてくるのを待っています」
「常覇殿は慎重すぎるのだ。罠であればそれを乗り越えればよい。罠の先には策はあるまい。殿、どうかこの魏延にお任せあれ」
「文長、若いのお。勢いだけでは孫堅には勝てぬぞ」
「ええい、喧しいオヤジ殿だ。危機は好機と紙一重、漢升殿は黙って酒でも飲んで見物していればよい。この魏延、天下に黄祖の軍ありと示してくれる」
魏延が即時交戦を主張するのに対し、黄忠と蘇飛はここは様子見の思案だ。
黄祖自身も攻めたいのはやまやまなのだが打つ手が無い。
夜襲も面白い案ではあるが待ち伏せされている可能性は高い。早く勝負を決めたい孫堅としてはこちらが動いてくれることを歓迎するだろう。
「殿、孫堅からの使者が参りました。劉表に肩入れしないのであれば城は攻めないとのことです。孫堅軍はそのまま麦城を通過し、襄陽へ向かうと」
黄祖の側近がそう告げた。
「通過させておいてから背後から攻めるという策もあります。」
蘇飛が目を閉じてそう云うと、黄祖は嫌な顔をして、
「そのような卑怯な振る舞いは士に非ず」
「そもそも劉表殿にお味方する理由もありますまい。好き好んで孫堅と刃を交えること自体が得策ではないと思いますがの」
腕を組んで黄忠がそう答えた。
黄祖が新任の刺史である劉表の世話になったことはない。
官位では太守は刺史の部下にあたるが、今の世の中ではそのような道理は通用しない。
劉表は今回の援軍に対し、主上に揚州刺史を掛け合うと約束していたが、そのような口約束も黄祖は信用してはいなかった。そもそもそこまでの発言権を今の朝廷に対し劉表はもっていない。
ようは孫堅と戦ってみたかっただけのことだ。
劉表がどうなろうが知ったことじゃない。文官として名を高めていようが、皇族だろうが、この荊州を治めることができるのはこの地の南を支配する異民族を圧倒する「武」が必要なのである。
そう考えると荊州を治めるのは劉表よりも孫堅の方が相応だった。
「いかがお答えしますか」
蘇飛が尋ねる。
「うむむ……この黄祖がいる限りは麦城は通さぬ。文台に告げよ。荊州が欲しければわしを倒してからにせよと。わしを倒す力を持ったものこそが真にこの荊州を治める器量を持った者じゃ」
立ち上がって黄祖はそう叫んだ。
血筋低き孫堅に果たしてその資格が本当にあるのか。
あって欲しいとも黄祖は思っている。
黄祖を破ることで荊州の豪族は孫堅に靡くであろう。
荊州を獲ることは劉表を討つことではない。
この黄祖を討つことで決まるのである。
黄祖はその自負をもって江夏を出陣したのだ。
戦の果てに死すのであれば、志高き者の礎となって散りたいものである。
それが黄祖のねがいであり、また、志でもあった。




