第5回 連環の計
謎の少年、王耀が動き始めます。
一大暗殺作戦「連環の計」の始まりです。
第5回 連環の計
王耀は、荊州の地で孫堅軍と黄祖軍の戦端が開かれたことを、遥か西方の長安で耳にした。
長安は現在では後漢第十四代皇帝が住まう都で、戦の気配はまるで無い。
「太師」として政を一手に支配している董卓の軍二十万が長安とその近隣を守っていた。
董卓の居城である郿城は皇帝を守護する長安の城よりも壮麗であり、また堅固である。
皇帝と董卓、両者の権力の差を如実に表していた。
司徒として董卓の補佐を務める王允は王耀の祖父であり、長安の都にひと際大きな屋敷を構えている。
その屋敷に商人として出入りしている魯粛という青年は、実は王耀につけられた密偵であり、相談役でもあった。様々な世の中の変化や様子を王耀のもとにもたらせている。
「わからぬ。なぜ父は南陽から劉表のいる襄陽に攻め込み孫堅と挟撃の形をとらぬのだ」
王耀が庭園の青々とした光景に目を配りながらそう尋ねた。
やや離れた場所で隠れるように控えていた魯粛は、
「袁術様は表立って劉表と争うつもりは無いのでしょう。あくまでも豫州刺史の孫堅と荊州刺史の劉表の私闘。その形を貫くほうが後々のためによろしいのでしょうな」
「それで孫堅は勝てると思うか子敬(魯粛の字)」
すると魯粛は愛嬌のある表情を浮かべながら、
「さてさて。黄祖が出てくるとは厄介なことになったものです。あの御仁は類まれなる戦好き。最近は相手に飢えておりましたからな。好敵手の出現に大いに張り切っていることでしょう」
「寡兵のこの状況で豫州に兵を割くとは……孫堅とはそこまで計算のできない男なのか」
「戦一筋でここまで上り詰めた御仁です。相当な自信がおありなようです。一桁少ない兵力であっても劉表の首を討つと嘯いているとか」
小鳥が三羽目の前を飛んでいった。木の枝に止まり、しきりにじゃれあっている。
「戦と云えば、洛陽も幾分騒がしいようだが」
「さてさて、御耳の早いことで。若様に近隣の状況をお伝えするのは私の役目のはずですが……」
「妬くな子敬。呂布様の陣営からこぼれ聞いた話よ」
「なるほど。阿斗様ですか。若様に心から惚れておいでですからな」
「戯言を。して、詳細のほどは?」
「洛陽の鎮護に向かわれた車騎将軍の朱儁様が反董卓連合の狼煙をあげました。兵の数は一万あまり」
「一万か……あまりに少ないな」
「周辺の州、郡からの援軍を当てにしての行動だったのでしょう。しかし思いのほか兵は集まっていない様子です」
「呂布様が先鋒か」
「はい。主力は李傕、郭汜、張済将軍ですな。兵の数は八万と聞きました。これはおそらく西涼や益州の敵対勢力と董卓の和睦が水面下で成ったことを示しております。主力をついに東に向けられる余裕ができました」
「一万に対して八万か……その後の動きをどう読む子敬」
「朱儁様は見事に炙り出された格好です。この一件で宮廷の董卓派以外の官僚のほとんどが誅殺され、董卓の皇帝譲位が一段と現実味を帯びることとなりましょう。問題は洛陽を占拠した李傕らです。真の目的は討東」
「どこだ。南陽か……」
「袁術様と董卓は現在和睦を進めている真っ最中。油断はありましょうな」
「父は承知のうえというわけか。案外と肝が太い」
「実のお父上様に対して他人行儀ですな」
すると一瞬だけだが寂しそうな眼差しで魯粛を見て、
「前任の田豊から聞いていると思ったが……俺は生まれて一度も父には会ったことが無い。他人行儀も仕方がない話だ」
魯粛は当然知っていた。
母親が誰であるかも、なぜ王允の孫として育てられたかも充分承知のうえだった。
(なるほど、心から父を憎んでいるわけではなさそうだ。)
魯粛は王耀の反応を一度確認しておきたかったのである。
「朱儁将軍が董卓に炙り出されたわけではなく、董卓の主力が餌にかかったようにも思えるな」
王耀のその一言で魯粛の細い目の奥が不気味に光った。
(十四にして周囲が良く見えている。さてさて、どこまで先が読めているのかな。)
「袁術様には董卓軍の主力を討つ備えがあると?」
探る様に魯粛は尋ねた。
「戦下手な父にそのような準備はないだろう」
「ほう。それでは南陽は落ちますな」
「南陽に備えがなくても、この長安にあれば別な話だ」
魯粛もさすがにそれを聞いて驚いて目を見開いた。
「ははは。なんだ子敬も感情を表に出すことがあるのだな。笑って誤魔化すだけしか能がないと思っておったが」
「これは手厳しい。いや、それにしても先ほどのお言葉は気になる一言。この長安に備えとはいかなるものでしょうか」
「さて、呂布様が出陣され、李傕らの主力も洛陽を目指すとなると長安は空も同然」
「しかし十万を超える兵がおりますぞ。攻め入る勢力も皆無」
「だからこそ董卓も油断をするのだろう」
「そうなりますか」
「気が緩み伎楽を楽しむ余裕も出てこよう」
「なるほど。伎楽を」
「以前から董卓は貂蝉を館に招きたいと再三再四王允様に要望していた。呂布様の睨みもあって強引には動けなかったようだが、その呂布様も留守となる」
聞いていて魯粛は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
王耀の想像は袁術、王允、呂布、朱儁らが立てた策謀をそのままなぞっている。
「どうした子敬。顔が青いぞ。日陰で風邪でもひいたか。暗闇ばかりにいては心から病にかかると聞く。たまには陽の下でのんびりするのもいいのではないか」
「ご忠告痛み入ります。して、貂蝉様のお話は?」
「おうおう。そうだった。貂蝉を館に招くことを拒絶することは今の王允様にはできない」
「貂蝉様はいかれますか」
「いや。ひとりでは行くまい。何をされるかわからぬからな」
「では、お断りすることになりますな」
「ひとりでは行かぬが、俺が付いていれば行くだろう」
「わ、若様が……行かれますか?」
「行かねばなるまい」
「そうですか。行かれますか」
魯粛は血走った眼をして念押しをした。
董卓の警護は今や皇帝を凌ぐ頑強さである。
兵をもっても、刺客をもっても倒す隙はなかった。
それを無理やりこじ開ける。
その鍵がこの耀という少年と貂蝉という少女であった。
(こちらからお願いする予定だったが、すでに腹が決まっているとは……さすがは袁家当主の血筋。並の子ではない。)
魯粛はそう思って内心舌を出した。
「こちらに名刀、七星の剣がございます」
魯粛がそう云って鞘に収まった剣を差し出した。
王耀はわずかにそれを見ただけで受け取ることもせず、
「用意がいいな。北斗七星の剣は袁家当主に代々受け継がれる宝刀。それを持って董卓の眼前で舞えということか」
「仕損じることは許されません。この剣であれば鎧ごと両断できます」
「父からか……」
「はい。元服、初陣の祝いの品とのことでございます」
「初陣か……」
三羽の小鳥は王耀の頭上を飛び去っていった。
王耀、貂蝉、そして阿斗の三人に命を懸けた戦いが始まろうとしていた。




