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第4回 黄祖の三鬼

地理的な補足

司隷しれい⇒洛陽など

・司隷の南に荊州けいしゅう⇒北部に南陽や襄陽 南部に長沙など

・荊州の東に豫州よしゅう⇒汝南など

・豫州の東に徐州じょしゅう

・徐州の南に揚州ようしゅう

第4回 黄祖の三鬼


 荊州けいしゅう北部、襄陽じょうようの都より南方の城塞、麦城ばくじょう


 ここに江夏こうか太守、黄祖こうそが兵一万五千を率いて入城した。

 荊州刺史の劉表りゅうひょうと敵対する豫州よしゅう刺史である孫堅そんけんは精鋭二万五千を率い襄陽を目指していたが、ここで進軍を止めることとなった。



 「なぜだ。なぜ黄祖殿は劉表側についたのだ」

孫堅の弟、孫静そんせいは気色を変えてそう怒鳴ると机を叩いた。


 広大な面積を持つ荊州には多くの郡が存在する。

 部曲ぶきょくと呼ばれる私兵を抱えている豪族も少なくない。

 その中でも黄祖は、抜きん出て戦闘能力の高い軍団を率いて周囲を圧倒していた。黄祖を慕う者も多く、荊州の北部に一勢力を築いていた。


 州の刺史というものは元来は太守たちをまとめる上級管理職である。

 平時であれば江夏太守の黄祖はおろか荊州南部の長沙ちょうさの太守であった孫堅もその管理下にある。

 しかし刺史は軍事権を持たず、賊徒や反乱が相次ぐ現状では影響力は希薄であった。

 太守たちは刺史の指示などには耳を傾けず、自国の防衛のため越権行為を繰り返している。


 黄祖も同様で、素直に刺史の命に従ったことなどない。さらに荊州自治の点において孫堅の良き理解者であり、数少ない友でもあった。


 孫堅が長江伝いに新しい国造りをしていこうとしていることも知っている。


 援軍を寄こして来ることはあっても、よもや敵対することはないだろうと孫堅陣営は高を括っていたのだ。


 「日和見を決めこんでいた勢力が、黄祖殿が劉表側についたことを聞きつけこぞって襄陽に援軍を送っている様子です」

孫堅の甥である徐琨じょこんの報告を聞き、軍議の場にため息が漏れた。

 

 そこに朱治しゅちが戻って来た。

 袁術えんじゅつの娘と孫堅の次男である孫権そんけんを娶せるべく、荊州最北部の南陽なんように出向いていたのである。

 

 朱治は青い顔をして孫堅に報告をした。

「袁将軍からは、おおいに結構なことである。との返答をいただきました」

 それを聞いて軍議の場が先ほどとは逆に盛り上がった、孫堅もそんなに簡単に許可がおりるとは考えていなかったようで、驚いた顔をしてその話を聞いていた。


 朱治は続けて、

「袁将軍はさらに、信なければ立たずと……」

「信とは儒教の五常ではないか。袁術様は儒教嫌いと聞いていたが」

そう横やりを入れたのは四天王の一角、黄蓋こうがいであった。

 朱治はその言葉を無視して話を続ける。

「豫州に賊徒の影あり。速やかに兵を送り鎮めるべし。とのお言葉でございました」

「荊州を攻めよと命じたのは袁術様ではなかったか。今更兵を退き、豫州へ赴けと?」

黄蓋が尚も食い下がる。朱治が苦々しく黄蓋の方を向き、

「貴公はお黙りなさい。今は殿にご報告いたしているところだ」

「お主こそそのような下知を鵜呑みにしてきたわけではあるまいな。我が軍の目標は荊州の制覇じゃ。豫州など知ったことではない」

「なんだと。この偏屈男が」


 途端に軍議の場は一触即発の雰囲気。


 「両者ともに控えなされ。内輪もめしている場合ではござらぬ」

朱治と黄蓋の間に入り仲裁したのは程普ていふであった。孫堅軍の中では最も古参の将である。二人とも渋々矛を収める。


 「劉表は討つ。その指針にぶれは無い」

孫堅は静かにそう云い放った。

 誰もが目を見開いて孫堅を見た。

「しかし、豫州も捨て置けぬ。世間に孫堅は一州を治める器量無しと見くびられるのも癪じゃ。さくを俺の代官として豫州へ向かわせよう。程普よ、息子の補佐としてついてもらうぞ」

「かしこまりました」

当の孫策そんさくが驚愕の表情をしている中で、程普は落ち着いて頭を下げた。


 「豫州の賊徒は二万を超える数とか。兄上、伯符はくふ(孫策の字)にいったいどのくらいの兵をつけられるのか」

孫静の問いに孫堅は躊躇も無く、

「一万をつける」


 室内がどよめいた。


 眼前の劉表の陣営はすでに五万を超える兵が集まっているのだ。一万を割けば、残りは一万五千。それで劉表や黄祖に対しなければならなくなる。


 「策よ。俺の子であれば見事一万の兵を率いてみよ」

父のその一言に武者震いをしながら孫策は「おう!」と応えた。


 聞けば豫州には袁術の援軍五千も到着しているようだった。敵は二万とはいえ、強力な指導者もいない烏合の衆である。孫策一万であれば、充分討ち果たすことのできる兵力であった。


 孫堅は、袁術がこのような決断を下すことを期待していると読んでいた。

 袁術は荊州も欲しいが、豫州も失いたくないと思っている。

 ここでそのどちらにも兵を割き、多大な功績を得ることができれば袁術は喜んで娘を嫁に送ってくるだろう。

 絶大な信頼を勝ち取ることができるのだ。

 その信あって初めて孫家と袁家の縁組が可能になる。


 「信なければ立たず……。」

孫堅は改めてその言葉を口にして袁術の意図を確認した。


 あとは全力を持って敵を討ち果たすだけである。


 孫策が軍議の場を立って出陣していった。

 その後に程普と周瑜しゅうゆが続く。周瑜は孫策同様に十六歳と若輩であったが、汜水関攻めの際の功績を認められて将校となっていた。

 孫策とは義兄弟の契りを交わしている。断金の交わりというものだ。


 孫策率いる一万は漢水を渡り、豫州の中の南方に位置する汝南じょなんを目指す。


 麦城に籠っていた黄祖の軍が城を出たという知らせが来た。


 孫堅が兵を分けることを前もって知っていたような動きであった。

 二千ほどを城に残し、自らが一万三千を率いて孫堅軍の目前に着陣した。

 おそらく劉表からの後詰が万単位で来るはずである。それを見越しての堂々たる進軍であった。


 「聞くところによると黄祖軍には三鬼と呼ばれる猛将がいるとか」

孫堅軍の四天王の一角、韓当かんとうが身を乗り出しながら黄祖の陣営を眺めている。


 黄祖は荊州一と言っていいほどの「戦好き」で有名だった。

 旗下にも腕のたつ戦巧者が揃っている。

 中でも「三鬼」と呼ばれる者がいて、弓、槍、剣を使わせれば天下に敵なしと噂されるほどであった。


 ちなみに「三鬼」とは、黄祖の同族である「弓の黄忠こうちゅう」、重臣「朱槍の蘇飛そひ」、そして弱冠十五歳にして剣技において天下無双と呼ばれる「長剣の魏延ぎえん」の三名である。

 それぞれが三千の兵を率いていた。


 勇猛果敢で、荊州に蔓延る賊徒のほとんどをこの三将で討ち果たしている。


 それに対して孫堅はいつも通りの「錐行の陣」を敷いた。


 孫堅軍は大将である孫堅自らが陣の先頭に立ち、兵を鼓舞することであらゆる難敵の堅陣を打ち破ってきた。


 麦城の一帯はぬかるみが多い。


 湿地帯である。


 騎兵は強みを発揮できない。歩兵のぶつかり合いになる。


 黄蓋、韓当が孫堅の両脇に立った。それぞれが五千を率いる。相手の動きに合わせて臨機応変な対応ができるように訓練を積んでいた。


 数ではわずかだが孫堅のほうが多い。


 孫策が出陣していくときに、周瑜だけが名残惜しそうにして孫堅にこう云った。


 「劉表ごとき相手に殿が先陣を走る必要は無い」と。


 この若者にしては珍しく不安げな表情をしていた。それがなぜか孫堅の胸中にひっかかっている。


 大将が先陣をきるような戦いは前時代的だ、と否定的な評価をする者が多い。

 孫堅にとっては腹立たしい意見だった。

 「将」とは中軍や後軍にあって兵を指揮する役目であるというのは、戦を経験していない学者肌の青瓢箪たちの取るに足らぬ妄想だ。


 孫家の戦い方は机上の空論とは違う。

 実戦の中で培われた本物の武だ。

 勝利を繰り返し、自信と誇りを手に入れてきた。


 孫家はこの武を旗印にして、この地に新しい国を作るという志がある



 孫堅が腕を下ろすと鐘が打ち鳴らされた。


 全軍突撃。



 孫家はこの戦いから悲運を辿ることとなる。


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