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第1章終幕 第25回 袁術の展望

反董卓連合と董卓の戦いは一時幕引きとなります。

第1章終幕

第25話 袁術の展望


 徐州じょしゅう刺史である陶謙とうけん陽城ようじょうを去った。

 これからの時代は、いかに優秀な人材を集めるかが飛躍の鍵を握っていると繰り返し熱弁していった。


 陶謙には少なからず自立の志がある。


 刺史や太守といった僻地での任務をやり遂げて中央に舞い戻り出世する。

 これがこれまでの役人の道であったが、陶謙は地方で力を蓄えて勢力を作る魂胆だった。

 

 中央の意向などまるで無視である。


 陶謙に係わらずそういった考えで地方に居座る大物は多い。


 軍事力を有さない州の統括である刺史の権限を大きくした「州牧」の設置を提案し、自ら益州の牧となった劉焉りゅうえんや幽州の牧である劉虞りゅうぐなどがその筆頭であろう。

 陶謙同様、中央の混乱ぶりから目を背け、地方に籠って勝手気ままにまつりごとを行っていた。


 これから先を考えると、強い求心力を持った者が彼らを束ねる必要がある。

 でなければ国はバラバラになってしまう。。


 帝を中心とした中央政府は董卓とうたくの傀儡政権と成り果てていた。

 無論、陶謙のように見限っている者は多い。


 このような状況で国をまとめることなどできやしない。


 董卓ですらそれを諦めている兆しがあった。



 俺はうんざりした気持ちで、陶謙が残していった手紙を改めて読んでいた。

 そこには陶謙が仕官を勧めている人材の名が記されていた。おそらくは有能な士なのであろう。彼らを雇うべきだとも綴られている。


 徐州の名家である諸葛家の筆頭である諸葛玄しょかつげん

 揚州ようしゅうには皇室の流れをくむ劉家の劉曄りゅうようがいる。

 百発百中の弓術を誇る青州せいしゅうの若武者、太史慈たいしじ

 陶謙から科挙を受けるよう勧められている徐州の張昭ちょうしょう

 徐州の豪族である魯家の本家から魯粛ろしゅく

 経書に通じている徐州の王朗おうろう

などなど。


 知らぬ名が多い。


 陶謙はしきりに俺の拠点を南陽から寿春に移すよう促してきた。寿春にあって東国を治め、皇帝を迎えよと。


 もちろん俺にその気などない。

 袁家の本家が僻地で暮らすことなどありえないのだ。中央に住み、皇帝の傍にあって三公の位に就き政を動かす。これが袁家の役割だ。


 今はそれをいかに実現させていくのかということに集中すべきである。


 

 先鋒を任せた孫堅そんけんが汜水関を落としたという報告が入った。

 陽城を出陣し、わずか二十日あまりのことだった。

 さすがは「江東の虎」だなと感心していたが、実は落としたというより、董卓軍が関の防衛を放棄したのだということを後で知った。

 洛陽の都に火を放ち董卓軍ははるか西方の長安に撤退したらしい。


 洛陽は火の海だそうだ。

 その罪深き火は七日間消えなかったという。


 遷都の決断といい、洛陽の都の焼却といい、董卓の実行力にはあきれ返る思いがした。


 名目上ではあるが、これで「反董卓連合」は洛陽の都を占領したことになる。当面の目標は達成できたわけだ。

 

 洛陽の都への一番乗りは孫堅の手柄だと思っていたが、くわしく調べると、黄河の流れに逆らって河からいち早く洛陽を攻めた者がいた。

 兄である本初ほんしょの腰ぎんちゃく、曹操そうそうだった。

 この功績によってその名を全土に大きく知らしめたといってよい。孫堅の落胆ぶりが目に浮かぶようである。


 洛陽の焼失から数日後、董卓からの使者が陽城に訪れた。


 董卓は「太師」を自称し、長安では皇帝の城よりも荘厳な城を建て、傍若無人の振る舞いも度を超すようになっているらしい。

 虐殺された役人も百を下らないという。

 将来を渇望し、国の未来を託して起用した若者たちがこぞって反乱し、洛陽に攻め寄せたという事実が董卓を人間不信にしたのだろう。董卓の志を踏みにじる裏切り行為。連合軍の存在は董卓にはそう映っていたことだろう。


 今では司徒であり、董卓を呼び込んだ張本人である王允おういんですら董卓の横暴に恐れを抱いているそうである。

 孫娘の貂蝉ちょうせんを董卓の側室として差し出せと要求されているらしい。貂蝉はまだ十歳ほどの子どもなのだ。

 王允だけでなくすべての官徒が人質を差し出すように命じられているようだ。


 董卓は敵か味方かをもう一度よく確かめようとしている。


 そして敵だと確信した相手には容赦はしないだろう。


 それが王允であっても、皇帝であってもだ。


 董卓の使者は、

「この度、袁術殿を後将軍に任じる」

と云って去った。


 董卓は和睦をしたがっていた。


 それは反董卓連合も同じことだ。


 兗州えんしゅう刺史の劉岱りゅうたいが兵糧の問題で争い東郡とうぐん太守の橋瑁きょうぼうを斬った。

 そしてそのまま兵を退いたという。


 幽州ゆうしゅうの牧である劉虞は、渤海ぼっかいの太守である本初(袁紹の字)や冀州きしゅうの牧である韓馥かんふくから皇帝の座に就くよう執拗に迫られていたが、正統な証となる玉璽がないことを理由に固辞していた。


 対して公孫瓉こうそんさんは、玉璽を翳して劉備りゅうびが新帝であると宣言をしていた。

 両陣営の対立は武力衝突寸前である。


 洛陽を占拠した長沙ちょうさの太守、孫堅には長安を目指させず、裏切り行為を理由に荊州けいしゅうに攻め込ませていた。

 荊州の刺史である劉表りゅうひょうは離反行為を真っ向から否定し、孫堅軍を迎撃する構えだった。


 連合軍は目的を失い完全に瓦解していたのだ。それぞれが私利私欲に走っている。

 

 独力で董卓の拠点である長安の郿城を攻める戦力などどこにもない。

 そもそも武力での解決は限界があった。あとは政治的な問題である。

 董卓の権威をどこまで許容するのか。帝をどこにお迎えするのか。


 今、この和睦の交渉をできる余裕があるのは自分しかいない。


 自分をおいて他に董卓と政治の駆け引きで互角に戦える人物はいないのだ。


 そして、この交渉をまとめれば俺の功績は他の追随を許さぬものになる。


 本初がいくら懸命に説得したところで劉虞は皇帝にはならない。なれないのだ。

 本初は無駄な努力を繰り返し、それは徒労に終わる。


 俺は今回の功績で三公を超える職に就き、全土をまとめる政を行う立場を手に入れる。


 早速、和睦の準備を進めていかなければならない。


 後将軍の任は受け入れた。


 この後の立身出世は思うがままなのだ。今はとりあえずこれで我慢しておく。


 司徒である王允に向けて密使を出した。

 司空だった義弟の楊彪ようひょうにも同じく。

 洛陽から戻ると中郎将に昇進した呂布りょふにも。


 まずは外堀を埋めることである。


 そして董卓への使者として同族である袁胤えんいんを長安に向かわせた。


 誰が向かっても和睦は成る。


 和睦後、董卓はどうなるのか。


 出る杭は打たれる。


 董卓はやり過ぎたのだ。


 王允が董卓を許さないだろう。


 政治を司ってきた者たちの怒りが爆発するのだ。


 その頃には俺がこの国の頂点に立つ舞台はできあがっているに違いない。



 地方分権?


 そんなものはクソくらえだ。



 袁家は威風堂々と国の中心にあり、正々堂々と政を司っていくのだから。


第1章 終幕になります。

第2章では孫堅VS劉表、公孫瓉VS袁紹、呂布VS董卓、そして袁術VS曹操と両雄の激突となります。

なぜ袁術は寿春に拠点を移すことになるのか。

優秀な人材が挙って袁術の陣営に名を連ねることになります。

趙雲と周瑜はどうなるのでしょうか。

第2章 そして寿春に

お楽しみに!

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