第24回 陶謙の志
徐州の雄、陶謙の登場です。
第24回 陶謙の志
陽人の地での戦いで孫堅軍が董卓の軍勢を撃退したことを聞き、袁術は本陣を魯陽から前線近くの陽城へと移した。
城は血の匂いで充満していた。
特に激戦となった北門は、遺骸こそ運び出されていたものの、おびただしい血痕や散乱する肉片、武器の破片やらで埋め尽くされている。
血と汗にまみれた孫堅が、兵を立て直すため前線から戻り、これまでの戦の経緯を報告していった。
頬がこけ、痩せ細っているが、目だけは爛々と輝いている。引き連れている将校たちも同様だった。
補給線が寸断され、ここまで食料を口にせずに戦い続けてきたのである。
この状況で勝利を手に出来たことは奇跡と云える。
「袁術様、この孫堅に引き続き汜水関を攻める先鋒をお命じ下さい」
嘆願というよりも脅迫に近い語気であった。
兵糧の補給が滞った責務は俺、袁術にある。
口にこそ出さないが孫堅の目は俺を責めていた。兵糧さえあればここまでの犠牲を払うこともなかったのだろう。
腹心の祖茂という騎馬隊の将も失っている。
「孫堅殿の活躍は見事であった。汜水関攻めの先鋒を許可する。近隣の豪族たちも一斉にこちらに靡いてきたところだ。寄せ集めの兵ではあるが、八千の兵を加えてくれ。兵糧も続々と運び込まれているところだ」
補給線の乱れについて謝罪するつもりはない。
人は弱みを見せるとつけあがる者と、協力を惜しまない者に分れるが、孫堅は前者だろう。強い者、圧倒的な権力と権威にしか頭を下げぬ男だ。芯は強いが扱いづらい。先鋒を許可するだけが無難だった。
「ありがとうございます。身命をなげうってご期待に応えまする」
「たのむぞ孫堅殿。逆賊董卓の首を共に討とう。おお、そうだ、荊州の刺史、劉表殿からも莫大な兵糧が届けられていな……汜水関攻めの足しにしてくれ」
劉表の名を聞いて孫堅の碧眼が怪しい光を放った。
兵糧の補給線を寸断されたのは董卓軍の張繍の伏兵の働きによるものであったが、敵陣にあってここまで縦横無尽に動けたのは劉表が裏で手を貸していたからだ。
孫堅もよくわかっている様子だった。
劉表は仮にも「反董卓連合」の一員である。その行為は完全に味方を裏切るものだ。
裏切り者は許さないのが孫堅軍の鉄の掟だった。
今は孫堅の非難の視線を憎しみの対象を用いてかわす必要があった。
三日ほど兵を休ませた後、孫堅は兵一万五千を率い、汜水関を目指して出陣した。
俺は後詰として張勲、橋蕤にそれぞれ五千をつけて送り出した。
紀霊は本陣に下げた。
汜水関攻めは攻城戦である。騎兵の活躍する場面はあまりないだろう。
孫堅軍は歩兵戦こそが真骨頂だから一万五千でも充分な成果をあげるに違いない。
意気揚々と出陣していく孫堅の姿を見つめながら俺は内心でその浅ましさにうんざりもしていた。
孫堅にとっては名声を高める絶好の機会に違いない。身分の卑しい者が成り上がるにはこのような泥臭い仕事を進んで引き受けていくしかないのだ。
わかってはいるが、あまりに「がっつき」過ぎである。攻めることしか考えてはいない。戦い、奪うことでしか己の地位を高められないと思っている。
原始の時代に舞い戻ったようなその野蛮さがたまらなく卑しく思えた。
孫堅の入れ替わりで、数日後新しい訪問者があった。
徐州の刺史である陶謙だ。
洛陽の都で虎賁中郎将の任に就いていた頃からの付き合いである。そのときの陶謙は都では義郎を務めていた。
歳は俺よりも二十は上である。そろそろ還暦を迎えるぐらいだろう。それでいていつも若々しく、馬に乗ることや剣を振るうことを好んでいた。
それこそ若い頃は烏丸や羌族といった異民族との戦いに明け暮れていたという。
黄巾の乱により徐州の刺史を拝命したのはつい最近の話だった。
関東では多くの諸侯が「反董卓連合」に名を連ねていたが、陶謙はなぜか立ち上がらなかった。
静観の構えで、徐州の地を治めるべく豪族や名家と交流を深めていると聞いた。
「久ぶりじゃな公路殿」
部屋に入って来て陶謙は親しみを込めて字で俺を呼んだ。
陶謙の髪には白髪が目立つようになっていて、徐州での苦労を物語っていた。
「これは陶謙殿。お元気そうでなによりです」
都ではよく一緒に酒を飲んだ。呂布や陳宮も交えての宴が多かった。
そう云えば一度、下戸の呂布に無理やり酒を勧めて斬られそうになったことを覚えている。
「戦続きじゃな。異民族と戦い、黄巾の農民どもと戦い。そして今度は仲間と戦う。なぜこうもこの国は戦争ばかりなのか」
城内もまだ血生臭い。鼻をぴくぴくさせながら陶謙は恨めしそうにそう云った。
「董卓は皇帝を質として政権を我が物顔で牛耳っています。このような逆賊を放置するわけにはいきません。悪の元凶を断ち、漢皇室の権威を復活させるときなのです」
「悪の元凶……たしかお主は都でも同じような事を云っておったの。あの時は皇室の背後で暗躍する外戚や宦官たちを指していたのだろうが……まあ今では皆、首無しになっておるがの」
「わざわざ徐州から来られたのはそのような皮肉を云うためですか。宦官を排斥し、政権を正常の形に戻すことができる寸前で、董卓に横取りされたのです」
「わしが都に住んでおった頃は賄賂が横行しておった。誰もが欲に溺れ、他人を押しのけて富や名声を求めておったものじゃ。董卓はそれを力によって変えた。不正を働く役人たちはこぞって処刑されたと聞くし、志を持っていた同志が登用され、活躍の機会を与えられた。これは簡単にできることではないぞ。古来からの風習に囚われることなく、人脈に左右されることもなく、断固とした決断と遠慮をしない力によって成し得た大きな成果じゃ。おそらくは董卓以外の誰にも真似出来ぬこと。この国は董卓によって随分と綺麗に清掃されたのじゃ」
「陶謙殿は董卓を支持されているのか」
「いやいや。しかし成果は成果。この国は大きな一歩をついに踏み出せたのじゃ。これからこの国は変わる。間違いなく良い方向にな」
「董卓は新帝に禅譲を迫る腹積もりですぞ。それでも陶謙殿は董卓の悪行を英雄談されますか。やつの所業は王莽ごとき。国を乱す賊徒にすぎません」
「ほお……禅譲か……それはいかんな」
「帝が中央にあってこの国を治める。我らはそのお役目を補佐し、政が円滑に進むよう取り計らう。これが国のあり方でございましょう」
陶謙は遠くを見つめて、
「わしは徐州に入って多くのことを学んだ。その中のひとつに都との政の関わり合い方がある。よいか、中央集権がすべてはない。考えてもみなさい。この広大な国を中央が面倒見きれるはずがない。これからは地方が地方の発展のために尽し、互いに競い合い向上させていくことという視点も必要じゃ。中央のために地方があるわけではない。むしろ地方の発展のために中央はある。帝はその中心にいっらっしゃる。そういう考え方があってもいいいと思うが」
「地方のために中央がある……地方分権という話ですか」
「そうじゃ。それぞれが地域にあった国のあり方を考えればよい。地方がまとまれば国は乱れぬ。乱れるのはいつも中央じゃからな。北は劉虞様に補佐役として袁紹殿。南は劉蔫様に補佐役として劉表様。西は董卓。補佐役は、そうじゃの韓遂殿辺りかの。そして東は公路殿。補佐役はわしが務めよう」
「国を四つに分けると云われるか……」
「そうじゃ。そして帝はこの東に迎える。これからは長江をいかに活用するかによって東の国は大きな発展が可能じゃからな」
「東……」
「寿春。ここを新しい都とする。地理的にもこの国の臍。長江に流れも使え、まさにうってつけの場所じゃ」
「寿春に遷都すると」
「長安よりかはよっぽどましじゃろ」
俺はまじまじとこの老人を見た。
ニコニコと話をしているが食えぬ男だ。
董卓が長安に遷都することを陶謙は察知している。この分だと本初(袁紹の字)が劉虞を抱えて新しい皇帝に推そうとしていることも知っているかもしれない。
「陶謙殿は董卓を討つなとおっしゃりたいのか」
「さて、討てるかの」
「前線の董卓軍を我が軍が撃退したのをご存じで」
「今の反董卓連合で懸命に働いているのはお主のところと曹操ぐらいなものじゃ。とても勝てぬぞ」
「曹操?徐栄の軍に負けたと聞きましたが」
「あの男は気を付けたほうがいい。いずれお主もわかるじゃろ」
「汜水関は落ちますぞ。洛陽は獲れます」
「洛陽があったらの」
やはり遷都を知っている。どこから情報を得ているのか。
「そうじゃ。ここを劉和殿が通らなかったか」
ギクリとして俺は言葉を失った。
陶謙は目を見開いて、
「劉和殿は北平で拉致されたとか。袁紹の推す劉虞様か、公孫瓉が推す劉備とかいう男か、新しい帝を立てようと河北は躍起になっているともっぱらの噂じゃ。どうやら国を乱す謀があるようじゃが、公路殿は御存じか」
陶謙の顔はまったく笑っていなかった。




