第18回 孫堅の首、華雄の首
華雄の決死の突撃。孫堅の首は獲れるのか!
第18回 孫堅の首、華雄の首
陽城を囲む胡軫の軍にあって、最も精鋭は華雄の騎兵隊であった。
先鋒を任されたときは五千を率いていたが、今回は兵は陽城の北東にある小高い丘に精鋭のみ三千を率いて埋伏されていた。
目標はただひとつ、敵の大将である孫堅の首を獲ることである。
袁術本隊からの援軍到着の報を受けて、胡軫は汜水関までの退却を早々に決断し、行動に移していたが、華雄だけは持ち場を離れず虎視眈々とその機会を窺っていた。
華雄は戦における勇猛さだけで一兵卒から騎都尉まで昇進を重ねてきた男だった。
董卓の勢力にあって中核を担っているのは李傕や張済などの「四将軍」と呼ばれる者たちであったが、実力では自分のほうが上であると自負し続けてきた。兵の数が同じであれば圧勝する自信もあった。
しかし、華雄の自信は他の者によって脆くも崩れた。
董卓が洛陽を治めて勢力を伸ばしていくなかで新たに加わった呂布という男によってだ。
身のこなし、武芸の冴え、覇気……一騎打ちでは勝てない、そう感じたのは初めてのことだった。
さらに呂布が率いる騎兵の動きは圧巻の一言だった。
まるで一匹の獣。
三倍の数を率いても呂布の騎兵を破ることはできないだろう。
最強の座はあっさりと新米に奪われたのである。
その後、汜水関の後詰として一万を率いる呂布は、そのうちの五千の騎兵だけで押し寄せる反董卓連合軍七万を撃退している。おそらくこの功績で位階は引上げられるだろう。今でこそ同じ騎都尉であるが、大きく差をつけられることは明白だった。
これまでの一番の出世頭は華雄だった。呂布はそれをはるかに上回る速度で頭角を現してきている。
董卓軍の生え抜きであり、自尊心の塊のような華雄にとってそれは耐えられない屈辱だった。
武で負けても名では負けられない。
だからこそ退却が決まってもそう易々とこの場を去れない。
大将首を獲れる機会など滅多に訪れないのだから。
孫堅は早々に動くと予想していた。
確信していたと云ってもいい。
孫堅は血気に逸る男だったし、華雄同様に自尊心の強い男だからだ。
しかし、なぜか孫堅は動かなかった。全軍が死にもの狂いで突撃してくると待ち構えていたが、孫堅は堪えていた。
やがて華雄も孫堅は出撃してこないかもしれないと考えるようになった。
その迷いがなかったら軍の半分を胡軫本隊退却の援護には回さなかっただろう。
実は現在では千五百の騎兵しかこの場には残ってない。
孫堅が動いたのは、驚くほどに絶妙であった。
胡軫の本陣が包囲を離れ全軍がやや浮足立った瞬間を突いてきた。
この本陣撤退の動きは城内の孫堅には見えてはいなかったはずだ。
にも拘わらず孫堅はここで動いた。見えないものを感じ取る力が孫堅にはあるとしか思えない。
丘の上で隠れ潜みながら眼下を見ていて、華雄は感嘆した。
それでも北門の包囲は一番厚くしてあったのだ。
仮にそれを破れたとしても孫堅軍は大きな損害を受けるはずであった。
予想外だったのは、袁術の援軍として到着した騎兵四千の動きだ。
驚くことに迷わず北門の囲みに外から突撃をしてきたのだ。
阿吽の呼吸で城内と城外の挟撃に遭い、北門の兵は脆くも崩れた。
胡軫の本陣が残っていれば逆に殲滅できたであろうし、包囲の兵たちにも反撃の指示が出ていれば被害は小さかったであろうが、攻撃がその間隙を縫うものであったためまともな反応ができていない。
囲みはあっという間に破られた。
華雄はそれを確認し、騎兵千五百に突撃の指示を出した。
一気に坂を下る。
この勢いをまともに受け止められる歩兵などいない。
敵の最前線に赤い頭巾を被り獅子奮迅の働きをしている男を見つけた。まぎれもなく孫堅である。
大将首が手の届く距離にある。
手綱を握る手の平に汗が滲む。
心が逸った。
右手にも力が入る。小型の斧のようなものを先端に取り付けている槍を半身で右肩に載せた。馬の速度も加味され、このまま全力で振るえば例え槍で防ごうともそのまま両断できる。
千五百でも充分だ。
丘を降りた。止まらずに駆ける。
逃げまどっている味方の歩兵を何人か蹄にかけた。
孫堅の表情までがはっきりと確認できる距離まできた。もう目と鼻の先。
獲った。
そう確信した。
すると孫堅の目前に何かが現れた。
馬止の策だ。飛び越えられない高さで二重に渡って建てられた。
即席の防策。小癪な抵抗だ。
横幅が無い。
すかさず華雄は迂回する。
槍の穂先で後続の副将に合図し、千と五百に分けた。華雄は五百を率いて東から、副将は残りの千を率いて西から回り込む。
多少は勢いを殺されたが、さほどの影響もないように感じた。
少し横に駆けると馬止の策はすぐに途切れた。迷わず入り込む。
西を見ると副将の千に袁術の援軍の騎兵四千がぶつかっていた。正確にはその半分の二千。後続の二千は動きが悪くてついていけていない。だが、先陣の二千の動きは見事だった。
完全にこちらの動きを読んでいた突撃の仕様であった。
白馬にまたがる小柄な白鎧の将を先頭にした鋭い一撃。
脇を固める二人の大柄な男が尋常ではない働きをしており、完全に副将の騎兵は動きを止められていた。
やがて豊かな髭を蓄えた巨漢の男の方に副将は首を獲られた。
待ち伏せしていたのは華雄のほうではなく、敵方だったのかもしれない。
しかしもう前しか向けない。
目前に孫堅が迫った。
碧い目。
徒歩だ。
馬上からの一撃必殺の華雄の槍を防ぐ手立てはない。
華雄が全身全霊の力で孫堅の頭めがけて槍を振った。
頭蓋骨が割れた感触が手に伝わってきた。
しかし、相手は孫堅ではなかった。
直前に割り込んできた別の相手のものだった。
孫堅軍の先鋒を任されていた将だ。
四天王のひとり、祖茂。確かそんな名前だった。
華雄が馬を止め反転させる。
孫堅は微動だにせず立っていた。祖茂の遺骸がその横に横たわっている。
逃してはいない。
華雄が馬の腹を蹴った。
と、同時に腰辺りにジーンとした痛みを感じた。手綱を握る手に力が入らない。
視界が揺れて、華雄は地面に落ちた。
駆け寄ってくる男がいた。
待ち伏せで孫堅軍を撃退したとき、最後まで殿としてこちらの追撃を妨害した将だった。程普という名前だったことを憶えている。
程普の掲げる鉄脊蛇矛が空で煌めいた。
また邪魔をされた……。
華雄は最後にそう思った。
将を失った五百の騎兵は右往左往するばかりで孫堅の手勢にほとんどが討たれた。
馬を奪った孫堅軍は休むことなく胡軫本隊を追う。
袁術本隊からの援軍である四千の騎兵も同様である。
包囲していた東や西の胡軫の残党は支離滅裂に四散していった。
胡軫軍は大敗を喫したのである。
奇跡の勝利を手にしても感慨にふけることも無く孫堅軍は死にもの狂いで馬を飛ばす。
目指すは胡軫の首。
それも敵が汜水関に到着する前に追いつく必要があった。
孫堅を筆頭に、華雄の首を獲った程普や孫堅の子である孫策、そしてその義兄弟である周瑜の姿もあった。
もはや策は無い。
追いつけるのかどうか。それだけであった。
無論、この先に後詰として騎都尉呂布の騎兵五千が待ち構えていることを知る由も無い。
次回はいよいよ「飛将」呂布の登場です。VS孫堅・周瑜・趙雲・関羽・張飛




