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第16回 周瑜と孫堅の距離

孫堅の志は周瑜に確実に受け継がれる。

第16回 周瑜と孫堅の距離


 孫堅そんけん軍が雷鳴のような咆哮をあげながら陽城ようじょうの北門から討って出た。


 その数およそ八千。


 先の戦で胡軫こしん軍の迎撃に遭って負傷した兵が大半であり、この七日間まともな食事もとれていない。にも係わらず異常なまでの士気の高さであった。


 周瑜しゅうゆも槍を構え城を包囲する敵陣に突進する。

 孫堅軍で馬に乗っている者など誰もいない。馬はすべて食い尽くしていた。

 こうなれば殿しんがりも中軍もあったものではなかった。動ける者は全て斬り込み隊として遮二無二突っ込んでいく。


 地響きがして、地面が揺れる。


 どこかで馬のかん高いいななきがした。


 気が付くと敵の槍が目前に迫った。


 持っている槍でそれを払い、返す一振りで敵兵の首筋を斬った。手ごたえはある。しかし、その首を刎ねているいとまはない。

 血吹雪をあげて呻いた敵兵は駆けていく周瑜の視界からすぐに消えた。

 矢継ぎ早に次の敵が眼前に現れる。


 狂ったような味方の歓声に押されながら周瑜はさらに槍を振るった。


 と、右前方でさらに大きな敵味方の歓声があがる。


 一際ひときわ壮健たる偉丈夫が獅子奮迅の戦いぶりを魅せていた。


 周瑜の主君である孫堅そのひとだ。


 大将でありながら八千の突撃隊の先駆けとなっていた。


 だからこそ誰もが我が身に鞭を撃って剣を振るっているのだ。

 孫堅軍のこの士気の高さ、突撃の鋭鋒さはすべて大将たる孫堅の威光、武威によるものだった。


 敵の矛先を無意識で躱しながら、周瑜はずっとそんな孫堅の背中を凝視していた。


 

 ……最初の出会いもそうだった。


 町を襲う黄巾の賊徒を孫堅の義勇軍は真正面からぶつかり撃退した。

 孫堅の働きがなかったら町は火の海となり、周瑜の一族は皆殺しにされていたことだろう。


 周瑜の心に稲妻のように烈しく突き刺さったのは、その強さではなく、大将自らが先頭に立って戦う姿だった。


 周瑜は裕福な家に生まれ、学問も武芸も人並み以上の手厚い教育を受けて育った。その資質は並外れたものがあり、一を聞けば十を知る例え通りの成長ぶりで、教育係の者はおろか親戚や近所の者たちまでもが、周瑜がいずれ三公に匹敵するような位に就き、栄進していくと信じていた。

 周瑜自身、その期待に応えるだけの努力を積むことを怠らなかったし、元来好奇心が旺盛で学ぶことを好んだ。性根も誠実で、如何なる人物に対しても奢らず、謙虚でもあった。


 非の打ちどころの無い天才児。


 容姿も端麗で、「美周郎」とひとはあだ名した。


 そんな周瑜にもひとつだけ受け入れがたい真実が存在した。

 己の思考と所業だけでは如何ともしがたい決して逃れられないことわり


 それが「死」であった。


 人は生まれ、やがて必ず死ぬ。


 九歳でその事実を自覚した時、周瑜は恐怖した。


 すべてを閉ざす死というものの存在。


 いかに学問を収めようと、武芸を極め、いかに他人よりも強くなろうとそこから逃れるすべは無い。


 いつか訪れるであろう自らの死を想像すると周瑜は夜も眠れなくなった。



 賊徒が周瑜の住む町を襲ったのはそんな時のことである。


 先頭を走る孫堅はまるで死を恐れてはいなかった。


 戦闘が終わった後、孫堅の腕と脚にはそれぞれ矢が突き刺さっていた。

 孫堅は笑って、それを部下に引き抜かせた。矢の軌道が少しずれていたら首や顔に刺さって死んでいたはずだ。


 まだ子どもだった周瑜は孫堅が死にたがっているとしか思えなかった。

 しかし、その笑顔はこれまで出会った男の中で一番光り輝いている。とても自殺志願者には見えないのだ。


 思い切って周瑜は孫堅に話しかけた。


 汗と血にまみれた顔、その中に燃えるような碧眼がふたつ、獣のようにじっと周瑜を見返す。男のこんな純粋な眼差しを周瑜は初めて見た気がした。


 「死を恐れぬものはおとこにはなれぬ」

そう孫堅は答えた。孫堅も死を恐れているという響きだった。


 「だが、死ぬこと以上に俺は名を残せず漠然とただ生き続けることを恐れている」


 そのようなことを続けて話した。


 そしてニコリと笑って、

「俺はこの長江の南に国を創りたいのだ。中原の身勝手な官僚たちの支配から独立した国をな。俺はこの夢を叶えるために戦っている。俺にもお前ぐらいの息子がいてな、仮に俺が死んでも息子がこの志を継いでくれるだろう。この身が滅んでも志は生き続ける。男はそれでいいのだ。それが男の生き方だ」


 聞いていて周瑜は鳥肌が立った。

 背中になにか熱いものを感じた。

 魂に触れるなにかがあった。

 他人よりも優れている技があっても、それを生かす心がなければ大事を為すことはできない。そもそも何が大事であるかも認識はできないだろう。

 おそらくは他人との優劣を競い合うだけの無為な日々を送ることになる。

 そして消えるように死んでいくのだ。


 「夢」、「志」、それは周瑜を苦しめていた不気味な影を払う答えのようなものでもあった。



 孫堅の軍に参陣を願い出たのはそれからしばらく後のことである。


 周瑜はその間、武芸にさらに磨きをかけ、兵法を修めた。

 孫堅の息子の孫策そんさくとも積極的に係わり続け、信頼を得、義兄弟の契りを交わすまでになった。


 孫堅はもともとこの地の名家である周家に目を付けていた。周瑜に話して聞かせたのも意図があってのことだったろう。

 周瑜の祖父は多額の寄付金を孫堅軍に収め、孫堅は周瑜の参陣を許可した。


 以来、周瑜が死の恐怖に怯えることは無い。


 夜の帳が降りて、寝台に就く頃、目を閉じた周瑜の脳裏には、遠い未来、孫堅と共に創り上げた国で謳歌する民の笑顔が溢れていた。



 破れる。


 敵陣に突っ込み、その予想以上に力の無い圧力を感じて周瑜はそう確信した。 この包囲は必ず破れる。


 問題はその後だ。あの丘の向こうに隠れ潜む華雄かゆうの精鋭騎兵がどう動くのか。退却の途についていればこのまま追撃に移れる。もし、華雄が果敢に突撃を仕掛けてくるようなことがあれば、孫堅軍は壊滅するかもしれない。


 分の悪い賭けである。


 それでも孫堅は退かなかった。前進して光明を見出す道を選んだ。


 孫堅が死んでも、孫策が死んでも、長沙にはまだ三人の兄弟がいた。


 志は死に絶えることはないだろう。


 喚きながら槍を揃えて敵陣が突っ込んできた。


 死がすぐ近くに感じられた。


 孫堅の咆哮がここまで聞こえてきた。


 死の恐怖を払う、圧倒的な生の力。


 父の志を子が受け継ぐ。


 ならば孫策の義兄弟である周瑜は孫堅の息子同様。


 長江に新しい国を創る。


 そのために必ず勝つ。なんとしても。


 周瑜は何かを振り払うようにして孫堅の背を追った。



 やがて、孫堅の志を一番強く引き継ぐのは、この周瑜となる。



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