第14回 周瑜と張飛の思惑
周瑜の戦場を見つめる目、張飛の戦場での嗅覚が同じものを捉えていました。
第14回 周瑜と張飛の思惑
董卓配下、陳留太守である胡軫軍二万に城を包囲された袁術旗下、孫堅軍一万二千。
後方からの兵糧の供給が滞り、兵たちはほぼ六日に渡り絶食が続いている状態である。逃亡兵も相次ぎ、士気は組織が瓦解する限界にまで達していた。
「殿、南の見張り台より伝令、袁術様からの援軍、輜重隊が到着したとのことです!」
このような注進が入り、軍議の場がどよめいた。将校たちも一様に疲れ果て、疲労困憊の色を隠しきれない。
その中にあって、尚、闘争心剥き出しの鋭い眼光を炯々と輝かす男がいた。
大将である孫堅である。頬はこけていたが、碧眼は狼のように執念深く燃えていた。
大勢の将校の中でも疲れを見せぬ男がいた。弱冠十五歳、初陣を迎えた周瑜である。彼だけはまるで楽曲を楽しむかのように優しげな笑顔を浮かべじっと目を閉じていた。
袁術からの援軍を彼らは期待してはいなかった。
ここまで再三再四要求してきた兵糧すら届かなかったからである。疑心暗鬼にかられ、董卓と袁術は裏で繋がっているという噂もまことしやかに城内には流れていた。
この土壇場にきての袁術からの援軍到着に、喜びよりも驚きが大きかったのはやむを得ないことである。
「おお、袁術様本隊のお出ましか!これは心強い!」
四天王の一角として兵の士気をなんとかギリギリの線で維持してきた韓当がそう雄叫びをあげた。
袁術軍本隊である一万が加われば、胡軫軍を兵の数で上回ることができる。
兵糧を運び込み、食事と休養を兵たちに取らせれば二、三日で戦えるまでに回復しよう。そうすればまた互角以上の戦いができるのだ。
「ほ、本隊……いえ、援軍は騎兵四千あまりかと」
伝令は歯切れ悪く、そう答えた。
「な、なんだと!」
四天王の一角で、孫堅の長子である孫策の傅役を務める黄蓋が目を見開いて呻いた。
組織されて間もない袁術軍の弱さ、脆さを孫堅旗下の者たちは充分に知っていた。
その中でも紀霊率いる騎馬隊は酷い有様で、兵が馬に振り落とされないのがやっとの状態だった。おそらく百の歩兵にすら敵わぬ部隊だという共通の認識である。
それが重荷となる輜重隊を引き連れているのだ、飛んで火にいる夏の虫とはまさにこのことである。
「城内から援軍を出さねば袁術軍はあっという間に壊滅しますぞ」
「なんと。援軍に対し援軍を出さねばならぬとは……どこまで我らの足を引っ張るつもりか」
「いやいや、これは我らを城から出させる罠かもしれませんぞ。董卓と袁術が裏で手を結んでいるのであればありえる話じゃ」
「これは迂闊に動けぬの」
軍議の場はそれぞれが思うままに意見を云い合い混沌とした。
その大多数が城を出るべきではないというものであった。
「程普。どうだ、そなたの意見は?」
どっしりと構えた程普は孫堅にそう名指しされて、隣に立つ周瑜を見た。周瑜はにこやかに笑いながら一度頷く。
「殿、時でございます。今こそ一丸となって胡軫を討つときです。」
程普がそう云い放った。
不甲斐ない袁術軍の援軍を救出するのではなく、胡軫の本陣を突くという意見だった。
室内がさらにどよめく。
孫堅は血走った目で全員を見渡し、佩いていた剣を抜いた。そしてあらん限りの大音声で叫んだ。
「胡軫を討つ策は成った。全員、北門より敵陣に突撃をかける。逃げる敵は構うな、目指すは胡軫の首のみ!」
呆気にとられて誰も応えないなか、周瑜が静かに口を開いた。
「これは追撃です。逃げる敵を追うに追う戦いです。」
「逃げる?なぜ敵が逃げるのじゃ。袁術からのあの軟弱な騎兵隊がどれほどの脅威になると言うのじゃ」
「そうじゃ。董卓の精鋭騎兵に比べれば赤子のようなもの。しかも四千。そのようなものに怯えて逃げる董卓軍ではあるまい」
「出ていったところをあの華雄の騎兵に突撃されて木端微塵ではないか」
喧騒のなかで孫堅が裂ぱくとともに強く踏み込んだ。
断末魔がひとつ聞こえて、反論を唱えた将校がひとり床に倒れた。
辺りが静寂に包まれる。
「我が命に従わぬ者は問答無用、斬り捨てる。孫堅軍の矜持を今こそ示すときだ。全軍、突撃する」
一呼吸をおいて、室内に孫堅に呼応する雄叫びが響き渡った。
一方、援軍として到着した紀霊や趙雲たちは城から一里(五百m)あまりのところで今後の動き方を検討していた。
「趙雲殿はこの囲みの中、どのような手立てで城内に兵糧を持ち込みますか」
親子ほどに歳が離れているにも関わらず、紀霊は尊敬の念を込めて趙雲に対していた。騎兵を率いる腕は天と地ほどに離れていることを自覚していたし、この少女から騎兵の扱いを学ぶよう袁術から命令もされていた。
この紀霊という男は人並み以上の体躯を有してはいたが、驕り高ぶるようなことはなく、侠人の頃から物静かで、他人の長所を敬う志を持っている。
「南門の囲みは薄いですから、そこを突いて一点突破が定石かと思います」
趙雲が晴れやかな表情でそう答えた。
大柄な男たちの中にあって白馬に跨り、白鎧を身にまとう華奢な姿はまるで神話に登場する女神のようであった。
「それはあまりに定石通り。芸が無さすぎるのでは」
背後から逞しい髭を垂らした関羽がそう横やりを入れてきた。
趙雲は袁術の配下ではなく、北の雄である公孫瓉の将であった。その中でもこの関羽と張飛は公孫瓉の下に身を寄せる客将、劉備の配下とかなりややこしい関係である。
関羽も張飛も尋常ではない武力の持ち主であり、天下の雄を誇る男とたちとの戦いを望んで趙雲に随身してきているような節があった。
「益徳よ、お前はどう見る」
益徳とは張飛の字である。関羽と張飛は義兄弟の契りを結んでいた。関羽が兄で張飛が弟だ。主君である劉備も義兄弟の契りを交わしていて、長兄となっていた。
「猪狩りと同じ要領だなあ。北門から出ると向こうの丘から騎馬隊が突撃してくる仕掛けだろう」
張飛が顎の虎髭を掻きながらそう答えた。
趙雲が眉をひそめて北を眺めた。構えは厚いが、そのような備えは感じられない。
「潜って来た修羅場の数がお嬢ちゃんとは違うからなあ。見えないものも見えるってもんよ」
得意げな眼差しで張飛が趙雲を見る。
趙雲は頬を膨らませ、真っ赤な顔で、
「そうでしょうか。私にはそうは映りません。そもそも兵糧が尽きて士気も低下している孫堅軍が北門から出て攻勢に転じるなど考えられません。そのような備えをするぐらいなら南門から逃げ出す敵を伏兵で倒す構えをするはずです」
関羽が笑いながら青竜偃月刀を頭上で振るい、
「よし、どちらの思惑が正しいのか試してみよう。北門を囲っている陣に突撃を仕掛ければわかることだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。騎兵四千であの分厚い囲みにぶつかるのですか」
趙雲が慌ててそう云うと、張飛も蛇矛を軽々と振るって
「あそこに一番の強敵が現れるのは間違いないな。鬼が出るか蛇が出るか。面白そうだ」
「公孫瓉軍は表立って董卓軍と戦う意思はありません」
思い切った趙雲の意見だったが、二人には通じない。というよりそんなことは関係無いようであった。
「袁術軍の旗を掲げて戦えばいい」
関羽がそう云って趙雲の肩を叩いた。
援軍の騎兵四千と城内から動ける兵八千が北門の敵陣にほぼ同時に襲い掛かった。
周瑜と張飛、戦の機微を嗅ぎ取る才覚に秀でた二人の若者によって戦局は大きく変わることになる。




