第22回 鍾繇の計略
かなり久しぶりの更新になってしまいました。
曹操単独の長安潜入のその後の話になります。
第22回 鍾繇の計略
<地図>
河北(冀州)
_____黄河____________________
長安 洛陽 陳留(兗州) 東郡(兗州)
南陽(荊州) 潁川(豫州) 下邳(徐州)
襄陽(荊州) 汝南(豫州) 寿春(揚州)
_____長江 ______________
曲阿(揚州)
司隷(司州)・長安城
司隷(司州)は約三百万の人口が集まる中華の中心である。領郡は7つ。領内に城を百以上有している。そこにはかつての都である洛陽や、董卓が遷都した新しい都の長安も含まれていた。
長安はときの皇帝である献帝が住む都であり、長安城は周囲が六十三里、城門が十二ある堅城であった。支配者は董卓の残党で、大司馬たる李傕である。
李傕は献帝を長安城に幽閉し政を掌握していた。名目上、天下を治めていたのは他ならぬ李傕である。その軍勢は約三十万に及んだ。
「大司馬様、お呼びですか?」
その李傕のもとに訪れた男がひとり。姓を鍾、名を繇、字を元常という。潁川郡の名士の出であり、董卓に出仕を求められて官吏として仕え、董卓亡き今は黄門侍郎として李傕の側近のひとりとなっていた。年齢は四十を超えており、政治の経験が豊富なうえに知略に富んでいたので李傕の信任が厚い。しかし、その実、兗州の牧、曹操が埋伏した密偵であった。
「おお、鍾繇か、よく来た。呼んだのは他でもない。後将軍の動向が気になっての」
李傕は親し気にそう呼んで鍾繇を近くに呼んだ。鍾繇はのんびりとした動作で李傕に近づき、笑顔を振りまく。
「後将軍様、しきりに宮中の有力者に渡りをつけている様子ですな」
「なに、そうか……おのれ郭汜め、俺を裏切る算段か」
後将軍とは李傕の幼馴染にして、競争相手であった郭汜のことである。
董卓が王允や呂布の革命で命を落とした後、出世争いをしていた李傕と郭汜は手を結んで長安奪取をもくろんだ。長安城内からの内応もあって李傕は献帝の身柄を確保できたのである。そのとき内応の手引きをしたのが鍾繇であった。以来、李傕は絶大な信頼を鍾繇に寄せていた。
「後将軍様は帝の信頼厚い大司馬様に嫉妬されているのでしょう」
「あの身の程知らずが。たかが猪武者の分際で」
李傕は憤怒の相で宙を睨み付けた。
郭汜は剛の者で、一騎打ちにおいて董卓配下では最強に位置していた。一説ではあの「飛将」呂布以上とも云われている。反面、政治については疎かった。
「安西将軍様とも仲を密にされているとか」
「うぬ……あの楊定も俺を裏切るか。鍾繇よ、よくぞ調べてくれた。俺の信を置けるのはお主だけじゃ」
「滅相もございませぬ。大司馬様のお役に立てたのならこの元常、一生の喜びにございます」
「そうか。それでこそ鍾繇じゃ。で、いかにするのがよい?」
「そうですな。やはり御味方は多いにこしたことはございませぬ。帝の御守護も必要かと存じます。ここは安集将軍様をこちらの陣営にお迎えし、帝の守りとするのが一番かと」
「ふむ。董承殿か。面倒な男だが味方につければ心強い。その役目、お主に一任しても構わぬか」
「はい。もちろんでございます」
鍾繇の笑みはさらに満面になっていく。
董卓の親族である董承は力を持っていた。李傕、郭汜ともに幾分の遠慮がある。こちらはすでに鍾繇の手が回っており、董承の娘を献帝の側室に迎えることで味方に引き入れていた。つまり董承も曹操への内応を約束していたのである。
李傕はその昔、董卓の配下であった頃に潁川郡に略奪の兵を差し向けていた。当時の隣郡を支配していた袁術がその救出に兵を出したが返り討ちにあった。故郷を侵された鍾繇の恨みは深い。鍾繇は上手く董卓の陣営に潜り込み、曹操の指示のもと用意周到に李傕転覆の機会をうかがっていた。
「しかしあの猪武者め、この先何をしでかすかわからぬな」
独り言のように李傕が呟いた。鍾繇の目がそれを聞いて妖しく輝く。
「そうですな、後将軍様の武勇は天下に鳴り響いております。兵をあげれば賛同する者も出てくることでしょう」
「あいつは頭は悪いが戦は強い。戦うことになれば実に面倒じゃ」
「ではいっそのことこちらから攻めればよろしい」
「なに?」
「今であれば後将軍様の備えも手薄。討ち取るのはたやすいかと」
「う、うむ……確かにそうじゃが……」
「兵をふたつに分け、一方は後将軍様を攻め、一方は帝をお守りする。いかがでしょうか」
「片方は俺がやるとして、もう片方は誰が指揮するのじゃ」
「猛将である後将軍様の相手ができるのはやはり大司馬様しかおられません。帝の警護は安集将軍様に一任するのが賢明かと」
「しかし、万が一董承殿が裏切るようなことがあれば……」
「ご安心ください。安集将軍様にはこの元常が付きます。さすれば離反など心得違いすることはありますまい。もしものときのために武勇の誉れ高き段煨将軍も付けていただければ鬼に金棒にございます」
「確かに段煨であれば董承の抑えにはなろう。よしわかった。お主の進言通りに事を運ぶとしよう」
「ありがとうございます。この元常、身命を賭して働きまする」
「よし。では時が惜しい。早速支度にかかれ」
「かしこまりました」
深くお辞儀をして鍾繇は李傕の部屋を後にした。
すべては鍾繇の目論見通りに動いている。董承も段煨も味方につける話はついているのだ。これで後は李傕の主力が郭汜討伐に出発した後に反乱を起こし献帝を長安から救出すればいいのである。無論、抵抗勢力はあるだろうが、鍾繇にはこれ以上はない強力な助っ人がいる。
鍾繇の主である曹操、そのひとであった。
曹操が単身長安に乗り込み献帝奪取のかじ取りをしているのだ。これほど心強いことはない。
数年の時をかけて準備をしてきた帝救出がいよいよ決行されるのである。
深い息をしながら鍾繇は武者震いをしながら歩んでいくのであった。
西暦195年(興平二年)5月。戦況は大きく動くことになります。
こうご期待。




