第13回 千の兵
紀霊・趙雲・関羽・張飛が孫堅の籠る陽城を目指します。
第13回 千の兵
陽城に立て籠もる孫堅の援軍として、四千の騎兵と兵糧を運ぶ輜重隊が城の間近まで迫っていた。
騎兵二千は紀霊率いる袁術軍。
残りの騎兵二千は趙雲率いる公孫瓉軍である。
「おい、益徳。袁術の軍の中で気になる者はいたか」
先頭を歩む公孫瓉軍のなかで、巨躯長髭の関羽が隣を進む張飛にそう尋ねた。
同じくらいに大柄な張飛は苦笑いを浮かべながら、
「小兄も本当に好きだなあ。強い男にしか興味が無い」
「それもこの旅の楽しみのひとつだ。反董卓連合の酸棗を通過した時には、曹操の軍に夏候惇、夏侯淵というなかなか腕のたつ男たちがいた。曹操が徐栄に敗れても一命を取りとめたのはあの二人の活躍があったからだろう。手合せをする日が今から楽しみだ。そのような武将は袁術の軍にはいたか」
「いや……俺は野郎に興味が無いからな。まあ、強いて云えば後ろからついてくる紀霊って野郎ぐらいかなあ。後はまともに戦をしたことのないような布抜けた連中ばかりだった。俺なら五百の兵がいれば充分倒せるよ。小兄の目にとまるような奴はいたのか」
「隻腕の将で、たしか張勲とか。兵をよく使う。戦慣れはしていないようだったが筋が良い。あとは一兵卒だが凌操という男。武器の扱いも上手く、よい動きをしていた。いずれ頭角を現すだろう」
「小兄の目利きは確かだからな。しかし、なんでまた袁術という男はあんな弱そうなやつらばかりを将に任じているのだろう。あれじゃ勝てる戦も落とすだろうに」
それを聞いて一番先頭を進んでいた白鎧の女将、趙雲が馬を止めた。
「それが袁術様の良いところだと私は思います。様々な人間に才能を発揮する機会を与える。個人の狭い思慮や家柄などの先入観を捨てて、もっと広い視野から人材を登用する。とても凡人にできることではありません。とても先進的な方なのです」
杏の花のように純白の頬に幾分の紅みを加えながら、輝く瞳を大きく開いてそう抗議した。
父親と袁術が朋友であり、袁術の良い部分について幼い頃から話を聞いているだけに趙雲は袁術びいきであった。
「先進的ねえ、まあ都のボンボンの考えることなんざ俺には理解できねえな。だいたい、囲まれている城に輜重隊を向かわせるのに、警護が騎兵四千ってもんもおかしな話だ。こんな数じゃ普通は迎撃されて終わりだろう」
「袁術軍に五百で勝てるって云ったのはどこのどなたでしたか?」
趙雲がにんまりしながらそう答えた。
張飛は苦々し気にプイと横を向いて、
「だからそれは俺がいるからであって、袁術軍の連中じゃ無理だろう。だいたい、後ろからついてくる袁術軍の騎兵隊なんて行軍すらままならないぞ。あれでどうやって囲みを突破する気なんだ」
「ハハハハ、益徳がいるから大丈夫だろう。袁術め、我らの力を当てにしてるに違いない」
関羽が高らかに笑って答えると、趙雲も笑顔満面で、
「そうです。袁術様は自らの及んでいない点を把握されていますし、そこを埋めてもらえるように丁寧に嘆願されていました。私たちがなんとしてもこの兵糧を城に運び込みましょう」
「ああ、そうかい。小兄もお嬢ちゃんも人がいいにもほどがあるってもんだ。真剣に考えてるこっちが馬鹿らしくなってきたよ」
そう云って、顎の虎髭を掻きながら張飛が大きな欠伸をした。
「目前に兵がまとまっております。数にして約千あまり。袁術軍の旗を掲げております」
斥候から趙雲にそんな報告があがった。
丘から見下ろすと確かにその姿があった。
向こうはこちらに気づいていない様子である。
城までは二里(1km)もない。風上にある城を囲っている董卓軍の声すら聞こえてくるほどであった。
後方を進んできた袁術軍の将、紀霊が数名の副官を連れて前方に現れた。
眼下の兵の姿を確認させたが敵か味方かわからない。袁術軍の旗を掲げているのは偽りで、援軍を遮る伏兵の恐れもある。城から逃亡を図った味方の可能性もあった。迂闊に攻めて同士討ちだったでは済まされない。
「私が確認して参ります」
趙雲がそう宣言すると、紀霊も慌てて同伴すると言い出した。兵を連れていくといたずらに警戒されるので、趙雲、紀霊、そして張飛の三名が向かうことになった。
残った四千の兵と共に関羽が待機する。
眼下の千の兵はしっかりとよくまとまっていた。
近づくごとに新たな発見がある。
周辺の農村から奪ってきたような荷台の車が十数台見えた。明らかに輜重隊を装っている。
傷付いた兵が大部分で、異常なほど痩せこけていた。
なぜかこの一帯で一番目立つ場所に布陣している。董卓軍にもすぐ気づかれるだろうし、袁術軍の援軍にも現に気づかれている。
気づかれるためにこうしているのかもしれない。趙雲はそう感じていた。
「どうです紀霊殿。見覚えのある顔はありますか」
千の兵の目前まで馬で進んだ。攻撃を仕掛けてくる様子はない。
「いや。見たことの無い顔ばかりだ。我が軍の兵士では無いな」
趙雲の問いに紀霊がゆっくりと誠実に答えた。
「おいおい、これは随分と鍛え抜かれた兵だな。袁術の軍にこれほどの精鋭はいないだろう」
張飛がそう呟く。
失礼な話ではあるが、趙雲も同じようなことを感じていたところだった。
立っているのもやっとなほどに飢えている兵たちだが、眼光だけは生気に満ちている。じっと何かに耐えている様子だった。
全兵が同じように過酷な環境に耐えられるようになるには凄まじい期間と内容の調練を要する。
「間違いなく孫堅の軍の兵だな。決まりだ」
張飛の言葉が聞こえたのだろうか、兵たちのなかから指導者らしき男が前に出てきた。それ以外の兵は一言も口を開かず、趙雲たちをじっと見つめていた。
「袁術様からの援軍でございましょうか。」
それは擦れて声にもならないような声であった。
紀霊が返答に困っているのを見て、趙雲が前に出た。
「いかにも。袁術軍からの援軍です。貴殿は」
「私は孫堅軍の周瑜の配下の者でございます。董襲と申します」
「なぜ、このような場所に兵を展開しているのですか。これでは董卓軍に見つけてくれと頼んでいるようなものです」
「はい。私たちの役目は董卓軍に見つかることなのです」
「その装備からすると兵糧を運ぶ袁術軍からの援軍を装っているようにも見えます」
趙雲の言葉を聞いて董襲の両目から涙がこぼれた。枯れ果てた身体から絞られた最後の数滴だったに違いない。
「その通りでございます。我々はいくら待っても来ない袁術様からの援軍を装い、胡軫の兵たちを撤退させるという重大な役目を背負っております。しかし、実際に援軍が到着した今、我々はその任から解放されました。あと一日遅れていれば城内の兵の大部分が飢え死にしておりました。間に合っていただいてほんとうにありがとうございます。」
「いえいえ、お礼を云われるのはまだ早すぎますよ。私たちも騎兵四千ばかりなのです。とても董卓軍の脅威にはなりえません。一点を突破して城内に兵糧を送り届けるのが精一杯です。」
「突撃する必要はありません。周瑜様のご推察では、援軍が現れれば敵は必ず戦わずに撤退するとのことでした」
「戦わずに撤退?城の囲みを解いてですか?」
「はい。これでようやく城内の仲間たちを救うことができます……」
そう云いながら董襲は膝から崩れ落ちた。
限界を超えた肉体の疲労を精神力で抑えつけていたのだろう。緊張の糸が切れて、同時に意識を失ったようだった。
それが合図かのように、堰を切って千の兵たちは全員が地に倒れた。
陽城を囲んでいた董卓軍の大将である胡軫もようやく袁術軍からの援軍が到着したことを知った頃であった。




