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第14回 天下の転がる先

李傕・郭汜の援軍は南陽に来るのか。

荊州の劉表はどうでるのか。

袁術の南陽攻略が始まる。

第14回 天下が転がる先


<地図> 

                河北(冀州)

_____黄河______________          

長安   洛陽   陳留(兗州) 東郡(兗州)   


  南陽(荊州)  潁川(豫州)     下邳(徐州)

  

  襄陽(荊州)    汝南(豫州) 寿春(揚州) 

_____長江______________                               

                  曲阿(揚州)



 魯陽ろよう 左将軍・袁術えんじゅつ幕舎


 曹操そうそうとの和睦・同盟の証として人質として預かった曹昂そうこうが幕舎に入ってきた。

 父親よりは背が高い。緊張に満ちた顔をしていたが、面構えはよかった。体つきも相当鍛えているようだ。ただ、目だけが妙に血走っている。


 「曹昂にございます」

「うむ。子脩ししゅう(曹昂の字)殿、よく来られた。入るがよろしい」

俺はこの小僧をあくまでも同盟者の嫡男として扱っている。礼は尽くしているつもりだ。


 幕舎には両脇に先陣の大将を務める紀霊きれい橋蕤きょうずいが立っている。

 文官の服装をした劉曄りゅうようもやや不安そうな表情で立っていた。


 「子脩殿はいくつになるのだ」

「はい。二十一になります」

「ほう、では戦場でのご経験もおありか」

「はい。青州せいしゅうの黄巾の賊徒百万とも兵を率いて戦いました。孫策そんさく殿とも一度戦場で顔を合わせております」

「ほう。伯符はくふ(孫策の字)ともか。豫州よしゅう刺史の周昕しゅうきんと伯符が戦った折のことか。聞いておる」

「孫策殿は父親たる孫堅殿に負けぬ武功を揚州ようしゅうであげているとか、歳はほぼ同じにございます。左将軍様、私にもそのような機会をお与えください。孫策殿に負けぬ働きをしてみせまする」


 どうやらなぜ呼ばれたのかを知っている様子だった。

 何か違和感を感じたが、同年代としては孫策の活躍を聞いて期するものはあるだろう。曹昂とてあの曹操の嫡男なのだから。


 「子脩殿に二万の兵を与え、南から進軍してくる劉表りゅうひょうの軍を迎撃してもらいたいのじゃ。どうじゃできるか」

「劉表など反董卓連合の戦いのときに戦場に出ることもできなかった腰抜け。お任せください」

意気揚々と応える。

 劉曄はその隣に立って静かに何度もうなずいていた。

この二人には面識はないはずだ。


 「参軍(参謀)としてここにいる子揚しよう(劉曄の字)を付ける。副将は楽就がくしゅう李豊りほうを付けよう。それぞれに一万の兵を率いさせる」

 さすがに人質の曹昂と客将の劉曄に好き勝手させるわけにはいかない。

 曹昂は云わば旗印だ。

 袁術軍に曹操は与していることを知らしめることができれば十分だ。

 現場の指揮は生え抜きの楽就と李豊が執る。

 黄蓋や朱治という戦上手もいたが、こちらは城攻めに回した。あまり武功をあげられると後の対処が困るのだ。どうも孫策に忠誠を誓っている節があった。


 「かしこまりました。この子脩、身命を賭して戦います。決して城の張繍ちょうしゅうとは合流させませぬ」

「うむ。まかせたぞ。よし、それでは早速、参軍や副将らと会議を行い、今後の配置や動きを決めてまいれ」

「はい。ありがとうございます。それでは失礼いたします」


 頭を下げたときの曹昂の目はさらに充血し、血走ってみえた。

 二万の兵を率いるということで気が高ぶったのだろう。


 こうして援軍・劉表に迎え撃つ陣営が完成した。

 総大将・曹昂。旗本はわずかに三名。劉曄、典韋てんい曹安民そうあんみん

左翼に一万、率いるは楽就、右翼に一万、率いるは李豊。という非常に珍しい陣形である。


 斥候からの報告が続々と俺のもとに届いた。


 まずは南に放っていた斥候である。

「劉表軍三万。総大将は劉表の外戚である蔡瑁さいぼう。士気は著しく低く、行軍の速度も遅いため、未だ南方百里(50㎞)の新野しんや辺りでございます」


 こちらに向かっている援軍の数も把握できた。

 三万の兵は表向きの数合わせであろう。本気で俺の本陣とぶつかるような勇気は劉表にはない。

 長安の李傕や郭汜の衰退を劉表が知らぬわけがなかった。李傕らの後で長安を制するのは俺だ。俺に敵対することは、すなわち帝に弓ひくことになる。荊州牧の座など一瞬で吹っ飛ぶのだ。

 しかし現状で帝を押さえているのは李傕であった。その要求を無下に断ることもできない。

 三万は出兵させたが、できれば宛城が落ちた頃に到着することを狙って行軍を意図的に遅らせているのだろう。


 曹昂に二万もの軍を与える必要はなかったかもしれない。

 戦闘にはおそらくならないからだ。

 だが、孫堅の遺児たる孫策も曹操の嫡男の曹昂も袁術軍の旗の下で戦っている事実は、強烈な衝撃を世間に与えるはずだ。長安では馬騰ばとうの嫡男の馬超ばちょうも俺の到着を待っていた。


 北に放っていた斥候も戻ってきた。

袁紹えんしょう軍と公孫瓚こうそんさん軍の決着まだ数年の時を要するとの、田豊でんほう様より言伝にございます」

 俺は込み上げてくる笑いを噛み締めた。

 河北は田豊が上手いこと時間稼ぎをしてくれるだろう。

 仮に数年後に本初ほんしょ(袁紹の字)が河北を制しても、俺はその前に帝を擁し、中原はおろか西は涼州りょうしゅうから東は揚州までを支配下に置いている。

 そして袁家の家督を俺が継ぐことを帝は正式に許可することになる。


 野心の塊のような袁紹、曹操、孫策らをまとめられるのは俺しかいない。

 ここをまとめてこそ、後世に名の残る乱世を鎮めた英雄となるだろう。


 西に放っていた斥候も戻ってきた。

「李傕軍と郭汜軍は未だ離反し、長安のいたるところで殺し合いの戦争を繰り広げております。到底、南陽に援軍を送る余裕がない様子です」

 やはり長安から戻った劉曄の意見と同じ内容であった。


 宛城の張繍は完全に孤立したことになる。


 この城は半日で落とせる。

 裏道や隠し通路が昔のままであったらの話ではあるが。


 そして長安に向かうのだ。


 混乱した李傕・郭汜の隙を見て揚彪ようひょうや魯粛、馬超らが献帝けんていを救い出し洛陽らくようへと逃げる。

 錦の旗を失った李傕軍など蹴散らすに容易い。

 仮に郿城びじょうに籠城しても、攻城戦などせずに洛陽にいる帝を連れてすぐに寿春に戻ればいい。そうなれば李傕など勝手に自滅していくだろう。


 すべてが思いの通りに運んでいた。


 不安な点など何一つなかった。


 鬼謀神算で恐れられる曹操も今は兗州の存亡をかけて呂布らと決戦目前で動けない。


 さほどに気にしたこともなかったが、棚から牡丹餅、俺は「天下を統べる」という感覚をこのとき初めて感じていた。


 そしてその快感の余韻に浸っていた。


久しぶりにご感想をいただきました。皆さん、お手数でなければざっくばらんなご意見を頂戴したいと思います。

次回は南陽に大きな動きが……。

乞うご期待!

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