第12回 兗州の五郡
曹操なき曹操軍と張邈・呂布の連合軍がいよいよ本格的に激突します。
曹操のいない穴をいかに埋めるのか。
第12回 兗州の五郡
<地図>
河北(冀州)
_____黄河________________
長安 洛陽 陳留(兗州) 東郡(兗州)
南陽(荊州) 潁川(豫州) 下邳(徐州)
襄陽(荊州) 汝南(豫州) 寿春(揚州)
_____長江________________
曲阿(揚州)
兗州は東西に広く、五郡に分けられる。
最西端に陳留郡があり太守は曹操に反乱した張邈が務めている。かつて反董卓連合の本拠地であった酸棗もここにある。
その北東に東郡。張邈が反乱を起こしたとき曹操の領土で張邈に靡かなかったのはこの東郡では東阿と范の二県のみであった。特に東阿は、参謀であった程昱の発案で黄河の津の渡しを切って、山道の防御に徹したため張邈の弟である張超の攻撃を防ぐことができた。
東郡の最西には濮陽県があり、ここが張邈と同盟を結んだ呂布の本拠地となっている。
東郡の南には済陰郡があり、鄄城の一県だけが曹操の拠点として残っていた。ここが現在の曹操軍の本拠地であった。
東郡・済陰の両郡の東には山陽郡。
最東端には盗賊の類が割拠する泰山郡となる。この後の東は大海である。
蝗害によって戦は一時休戦となっていたが、曹操軍、張邈・呂布軍共に互いの隙を伺っている状態であった。
兗州から曹操軍を追い出したい張邈としては、陳留・東郡より済陰の鄄城を攻める態勢であり、鄄城の総大将たる夏侯淵は、籠城するか、城を出て迎撃するかの二択を迫られていた。
軍師たる程昱も東阿より呼び出されていた。
軍議の場には、夏侯淵、曹仁、曹洪、于禁、楽進ら武功高き名将たちが並んでいる。
将の長たる夏候惇は豫州潁川の太守であり、この場にはいない。同じく文官の長たる荀彧もその軍師として潁川にいた。
名将たる面々が深刻そうな顔をして落ち着かないのは、夏候惇、荀彧がこの場にいないからではない。張邈・呂布との決戦を控えたこの状況で、君主たる曹操自身がこの場にいないからだった。
「改めて確認するが、孟徳(曹操の字)は本当に長安へ向かったのか」
この中では一番曹操に近い曹仁が口火を切った。
夏侯淵は静かにうなずく。
「信じられぬ……。あの呂布がもう目前に迫っているというのに、何を考えておるのだ、孟徳は!?」
曹仁は舌打ちしながらそう叫んだ。
その問いに答える者はいない。
曹操の発想は誰にも理解できないのだ。人間の理解できる範疇を超越している。
敵もまさか本陣に曹操がいないとは思ってもいないだろう。
「孟徳は、この鄄城を捨てる気か」
曹洪が鋭く云い放った。曹仁も曹洪も曹操の従弟にあたる。兄弟も同然の間柄であった。
「そうなると東郡の東阿、范に兵を集中することになりますな」
漆黒の甲冑をまとった于禁が唸るようにそう云った。
その方が曹操軍は連携して戦いやすいのは事実だ。
しかしこの鄄城は敵の本拠地たる陳留に圧力をかけられる唯一の場所であった。そこを捨て去ることは敵を益々勢いづかせることになるのも明白だった。
張邈はほくそ笑み、兗州全土を制圧したと豪語するだろう。
勢力を逆転するためには落としてはいけない拠点がこの鄄城なのである。
「太守様、曹操様のご指示はどのようなものなのでしょうか」
楽進が夏侯淵に尋ねた。夏侯淵は僅かに首を横に振って、
「指示などない。我らの手で裏切者の張邈の首を獲る!それのみだ」
「指示がないだと?この危急存亡の秋に、命令一つ下さず長安などに向かったのか!?」
曹仁が呻くと、曹洪も同調して、
「孟徳の考えていることまるでわからぬ。なぜ今、このときに長安なのだ。戦う相手は李傕や郭汜ではなく、張邈と呂布なのだぞ。しかも若い曹休と曹純の二人だけを連れて敵の本拠地に向かうなど命を捨てるも同然の行為!」
于禁が目を細めながら、
「同盟を交わした袁術の手を借りろということでは?この鄄城であれば、寿春からもそう遠くはないですぞ」
「なるほど、寿春には袁術の兵が十万も残されています。このための密約があったのでは?」
楽進がそう云うと、またも夏侯淵は首を横に振った。
「そんな話は知らぬ。楽進は知らぬかもしれぬが、呂布と袁術は朋友の交わりを結んでいる。呂布と組んで挟撃してくることがあっても、我らの援軍になどは来ないだろう」
「そうでしたか……」
楽進はその青白い顔をさらに曇らせて肩を落とした。
「軍師殿、お知恵を拝借したいのだが」
夏侯淵だけは覇気を失っていない。入り口近くに立つ老人に向けて尋ねた。
もうすぐ還暦を迎える程昱である。
兗州制圧の軍師を命じられていた。
程昱は眠っているかのような表情で、
「東郡に引き返すことはあり得ぬ話にございます」
と静かに云い放った。
曹仁がうさん臭い相手を見るような目で、
「ここで籠城すると云うのか。その間に東郡の東阿や范が落とされたらいかがする」
「東阿や范を呂布が攻めることはしませぬ」
「ほう、なぜそう云い切れるのだ。理由はなんだ」
「呂布は城攻めが苦手な故です。我らが鄄城に本陣を敷いたのは、陳留の張邈を討つため。我らが出撃したときそこが好機と呂布は考えております。得意な野戦に持ち込めますからな。陳留の張邈も怯えていることでしょう。まかり間違えば己の首を討たれます。東郡攻めよりも鄄城を攻めるように呂布に要請するはずでございます」
誰もが納得してうなずいた。
曹仁は額の汗を拭いながら、
「呂布が東郡を攻めぬのは承知したが、我らはいかがする。鄄城に籠城するのか」
「いえ。籠城は不可能です。蝗害と旱魃の影響で、兵糧の蓄えがございません」
「では、どうすると云うのだ」
「無論、野戦にて呂布を討ちまする」
そう程昱は云い切った。
誰もが押し黙っている。
呂布の騎兵の強さは全員がこの目で見てきているからだ。
呂布が率いる騎兵は龍のような独特の動きで、方天画戟を振るう呂布を先頭にして駆け抜けるその鋭さは誰も防ぎようがない。
「な、何か策はあるのか?呂布の陣営に埋伏している者がいるとか」
曹仁が希望をもってそう尋ねたが、程昱は当たり前のような顔をして、
「埋伏などございませぬ。が、策が無いわけではございませぬ」
程昱が初めて目を開いた。鬼のような目であった。
事実、この蝗害、旱魃で食料の乏しくなった東阿の民は弱った人を食って命を長らえていたという。津を断ち切ったので、冀州の袁紹の補給も断っていたのだ。程昱は兵や民に人を食ってでも生き残れと命じたという。
まさに鬼の軍師……。
夏侯淵がその鬼に問う。
「どこが戦場となる?」
「定陶」
一言で程昱は答えた。
「定陶……」
他の全員がその言葉を反芻するのであった。
兗州の覇者を決める「定陶の戦い」がここに開幕する。
袁術が呼びよせた知恵者は光武帝の子孫でした。
南陽を袁術は落とせるのか?
次回、こうご期待。




