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第12回 美周郎の進言

「美周郎」の異名を持つ周瑜公瑾の登場です。

第12回 美周郎の進言


 魯陽ろようの地で袁術えんじゅつが新帝の使者である劉和と謁見している頃、董卓とうたく軍との最前線である陽人ようじんでは陽城ようじょうに立て籠もる孫堅そんけんと城を包囲した胡軫こしんのにらみ合いが続いていた。



 「出陣する!動ける兵を集めよ!」

軍議の場に孫堅の荒々しい怒声が響き渡った。

 十数名の将校たちが途端にどよめく。

 全員が傷つき、疲れ果てていた。


 「殿。お待ちください。袁術殿からの援軍が必ず到着するはずです」

四天王の筆頭である黄蓋こうがいが熱を帯びた口調でそう返答した。同時に韓当かんとうが口を開き、

「援軍があるならば到着していても良い頃。魯陽からはわずか四十里(20km)ですぞ。袁術め、兵糧を送らないばかりか、援軍すらよこさぬとは許せん。殿、もしや袁術は我らを董卓に売ったのかもしれませんぞ」

「韓当殿、それはあまりに話を飛躍しすぎでは……」

朱治しゅちが横から割って入った。


 「無用な推論じゃ。ここで袁術殿の援軍の力を借りてはこの孫堅の名が廃る。先の敗北の汚名は我らだけの力で晴らさねばならぬ。一気に突撃し敵の大将の胡軫の首を獲る!」

孫堅は碧眼を真っ赤に充血させながらそう叫んだ。


 反撃に移るには最後の機会だと孫堅は考えていた。


 待ち伏せに遭って二万の兵が一万二千まで減っていた。

 残ったほとんどが負傷兵である。

 特に騎兵は全滅しており、率いていた四天王の祖茂そもは一命を取りとめたものの重い傷を負っていた。


 兵糧が尽きてから六日が経過し、城内の食料はおろかほとんどの馬も食い尽くしている。

 脱走を企てる兵も後を絶たず、士気は極限の状態まで低下していた。


 あと一日経過すれば戦える者は半数以下になるだろう。


 「殿、周瑜しゅうゆ殿をお連れしました」

低く重みのある響き。四天王のひとり、参謀の程普ていふである。その背後には孫堅の息子と共に涼しげな表情の青年が立っていた。


 周瑜、字を公謹こうきん

 揚州ようしゅう盧江郡ろこうぐんの出身で、盧江の界隈で周家の名を知らぬものはいないほどの名家だ。

 血族からは三公のひとつである大尉の位に就いた者も数名いる。周瑜の父である周異も洛陽の県令を務めていた。


 無名な家柄から、海賊退治など力だけで成り上がってきた孫家からすると雲の上の存在である。 


 しかし周瑜と孫堅の息子である孫策そんさくが同年齢でなぜか気が合うようで昔から仲が良く、本人の強い希望によりこの戦に伴うことになった。

 周家からは戦の準備をするための資金を提供してもらっている手前、無下に断ることができず安全な部隊に組み込んでここまで連れて来たのである。


 周瑜、孫策ともにこの時、十五歳。これが初陣であった。


 「何か進言があるらしいな。一度だけ意見をすることを許す。申してみろ」

そう云って孫堅が鋭く周瑜を睨んだ。大概の武将は孫堅に睨まれただけで怖気づく。

 しかし周瑜は優しげな眼差しで堂々と見つめ返してきた。誰が見ても将軍のひとりとしてここに立っているかのような威厳すら感じられた。

 目鼻立ちが整い、その気品と美貌から「美周郎」とまで呼ばれている。


 「殿、胡軫を討つ手はずが整っております」

周瑜ははっきりとそう云い放った。

「何?どういうことだ」

「胡軫の軍は一見城を包囲しているような形をとっています。ですが南門と西門への圧力はとても弱いものになっております」

それは誰もが気が付いていることであった。南と西門から出るということはすなわち魯陽への撤退を意味する。勇猛果敢な孫堅が魯陽まで退くことはないと胡軫も考えているからだろう。


 周瑜はさらに話を続けた。

「北と東の備えは厳重ですが、我が軍が死ぬ物狂いで突撃すれば抜けないこともありません」

孫堅も同じような見定めであった。


 周瑜は孫堅が反論する様子が無いことを確かめた後、

「しかし、それこそが胡軫の策。通常であれば攻城戦には城内の兵の数の三倍は必要となります。この城を攻略するには四万の兵は必要です。二万の兵で城を包囲するのは、こちらが長く兵糧不足にあっていることを敵が知っているからでしょう。討ち捨てられた兵士の腹を割ればわかることです。おそらくまともに動ける兵力は五千あまり。そうなると充分に二万で足りる計算です。しかし敵は攻城を仕掛ける素振で、その実、殿が城から撃って出ることを待っているのです。魯陽から兵糧はおろか援軍が来ないことも知っているのでしょう。魯陽にも策が施されているからだと考えられます。城内の兵の士気も限界を超えておりますから、乾坤一擲、討って出るより他に無しと判断せざるを得なくなります。それを見越して、この包囲網は北から出ても東から出ても柔軟に鶴翼の形をとれるようになっているのです。そしてそこに華雄の騎兵が万全の状態で横槍を入れられる布陣です」


 華雄の騎兵の場所までは孫堅には見えていなかった。

 いや、見えないように作られた敵の布陣であった。


 朱治がここで口を開いた。

「では、西門から出撃した後に回り込んで叩く戦術か」

「いえいえ。それにも充分に対処できる布陣です。西門から出た以上は撤退しか道は残されていません」

「それではこのまま籠城するより他にないではないか」

「お待ちください朱治様。この城に立て籠もる以前に、殿しんがりとして最後まで戦い散尻になった私の家の者たちがそろそろ城外で集結する頃です」

「なんと。全滅したのではなかったのか」


 周家の名で連れてきた兵は千あまり。

 こちらは程普の旗下に組み込み殿しんがりとして使ってきた。洛陽まで突進し一番乗りを目指している孫堅軍にとって、撤退など思慮には無く一番安全な部隊とされていた。


 反董卓連合による中入りの作戦が敢行されたとき、孫堅軍は汜水関に急遽戻っていく胡軫軍を追ったが、待ち伏せにあい甚大な被害を受けた。

 特に先駆けとして襲い掛かってきた華雄かゆうの突進は激烈で、黄蓋の歩兵隊はたち割られ、本陣まで迫った。

 この時、周瑜の機転で程普の殿しんがりは五段に渡る伏兵の形をとり、全滅に近い被害を受けながらも見事に華雄の騎兵隊を撃退したのだ。

 この活躍が無かったら、孫堅軍は再起不能な被害を受けていただろうし、孫堅の首も獲られていたかもしれない。

 敗北の中にあって周瑜の活躍は一筋の希望であり、全兵の賞賛を受けた。


 だからこそ一兵卒の周瑜を軍議の場に呼び、その意見を述べさせたのである。

 兵にとってこんなにも名誉なことはない。

 孫堅はこの若者から皆に勇気を与えるような宣言を聞ければそれで満足だと考えていた。低下した士気も幾分盛り返すだろう。

 起死回生の一手など初陣の若造にはなから期待などしてはいなかった。


 しかし周瑜は撤退しながらも兵を埋伏し、勝つための策を凝らしていた。

 孫堅には驚きであった。

 隣に立つ息子の孫策は青い顔をして成り行きを見守っているだけなのだ。


 孫堅が幾分苛立ちながら声を発した。

「周瑜よ。その者たちが蜂起するのは北か、東か。いずれじゃ。挟撃し、胡軫の首を獲る」

外は二万以上の兵が城を囲っていた。今更、千ほどの兵がその背後を突いたとてさほどの効果も無いだろう。

 しかし兵たちは外に援軍があることを聞けば勇気付く。

 

 わずかな間があり、周瑜が、

「南でございます」

と答えた。


 「南……じゃと。南への道は負け犬の道じゃ。撤退の道を切り拓くための埋伏か」

「いえいえ。お待ちください。手の者が集結するのは南ですが、我が軍が出撃するのは北です。間もなく絶好の機会が訪れます。突撃はそれを待ってからでも遅くはありません」

「絶好の機会。なんだそれは」

「胡軫軍が撤退する時です。胡軫の首を獲る機会はその一点のみと心得ております」

明るくそう云い放つと、周瑜は娘のような柔らかな笑顔を浮かべるのであった。


 「城を囲み、優位な状態でなぜやつらが撤退などするのだ」

韓当が厳しく問う。

 隣に立つ黄蓋も怒りすら浮かべながら頷いていた。

 周瑜は尚も笑顔をふりまき、

「董卓軍は蓮根のようなものだからですよ。間もなくですからお待ちください。向こうから勝手に好機を教えてくれますから」


 将校たちが互いに見つめ合って首を傾げた。


 「蓮根……?」


 その時、わずかな治療だけで満身創痍の祖茂が軍議の場に現れた。

 床にはまだ血を滴らせている。立ち上がれるだけでも奇跡といえた。


 「なんだ祖茂、お前は休んでいろ。その傷では戦は無理だ」

そう云って韓当がすかさず傍に寄ったが、それを振り払うようにして祖茂は孫堅の眼前まで進んだ。

「恥辱を雪ぐ機会をいただきたい」


 そもそも「北馬南船」という言葉があるように南方では騎兵の戦いが盛んではない。山岳地帯が多く、また長江をはじめとする河川も多い。湿地帯も多く騎馬の戦いには不向きだった。孫堅自体、船舶での戦で名を馳せてきた。

 祖茂はそのなかで数年をかけて良馬を調達し、兵を調練してきた。

 そしてどこに出しても恥ずかしくはない隊を血の滲む思いで作り上げたのだ。

 しかしその兵のほとんどがこの地で首無しとなった。家族以上の関わり合いをしてきた部下たちをいっぺんに失ったのである。


 「次は退かぬぞ」


 戦えるか、とは孫堅は聞かなかった。


 戦わせなければ祖茂は自ら自刃して果てるだろう。

 この男は仲間の雪辱を晴らし、戦って死ぬことを望んでいる。


 これが孫堅軍なのだ。


 戦い、勝つことで誇りを取り戻す。


 思えば祖茂はその象徴的な存在であった。


 だからこそ孫堅の軍にあって一番の信頼を得てきたのだ。


 「周瑜よ。時を知らせよ。全軍北門から出撃する準備を進めるのじゃ」


 祖茂の目を見ながらそう叫んだ。

 自らをも鼓舞するように。


 将校たちの歓声が室内に響き渡った。



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