第11回 揚州の六郡
揚州についに本格的な戦争が勃発します。
その前に揚州の現状についてお伝えしましょう。
第11回 揚州の六郡
<地図>
河北(冀州)
_____黄河________________
長安 洛陽 陳留(兗州) 東郡(兗州)
南陽(荊州) 潁川(豫州) 下邳(徐州)
襄陽(荊州) 汝南(豫州) 寿春(揚州)
_____ 長江 ________________
曲阿(揚州)
揚州は六郡に分けられる。
最北には、左将軍・袁術が居住する寿春を含む九江郡。
その南には孫策が1年かけて落城させた盧江郡。
江水(長江)を挟んで南には丹陽郡。
丹陽の東には呉郡。さらにその南に会稽郡。その北西に豫章郡となる。
この六郡をもって揚州と呼ぶ。
江水(長江)を挟んで敵対しているのが、左将軍・袁術軍と、朝廷より正式に揚州の州牧に認められた劉繇軍である。
袁術軍の総大将は若き猛将・孫策が二万の兵を率い、九江郡の最南端である歴陽に本陣を置いていた。
対して劉繇はその名声と人望、そして州刺史から州牧に任命されたことで軍事権が増し、周辺の太守や相、県令を味方に引き込み、十万の軍勢で迎え撃つ準備をしていた。本拠地は呉郡の曲阿に置き、丹陽郡に二か所の要塞を築いた。
江水(長江)の津の牛渚と陸城の秣陵(後の建業)である。
牛渚を守るのは劉繇軍のなかでも名将とうたわれる張英。
秣陵の城には樊能と于麋の二将。
他にも徐州・広陵郡の太守の座を奪った笮融や、彭城国の相となった薛礼などが、次々と劉繇軍の陣営に味方し始めていた。
正式に朝廷から国や県を治める印綬を下された者で、孫策の味方をするものはいなかった。
理由は簡単で、この戦は単なる袁術の私領拡大を目的としたものだからである。
つまりこの戦争には「大義名分」がない。
よって孫策が率いる兵は、どこぞの盗賊や流民、家を引き継げず行方をくらました次男坊など、日の目を見ない連中の集まりであった。
彼らには御家や血族を守るという使命や義務がない。
家名をもたぬ故に官軍と戦争をすることにも抵抗がないのである。
彼らにあるのは、この戦争でいかに武功をあげ、今後拡大するであろう孫策の陣営で権力を有することができるかどうかであった。
孫策の配下で、正式に官位を得ているのは、袁術の正規軍を率いる凌操ぐらいであった。彼には孫策の目付としての役割があった。率いる兵は千に満たない。
袁術は、劉繇の軍を抑えられればいいという考えに基づいて戦略を練っている。
下手に孫策に勝たれて江南に勢力を拡大されると、自立されて、後で面倒なことになるからだ。
劉繇は、敵の手勢があまりに少ないことで、罠にはまることを恐れて先攻は自重している。徹底して守りの陣を敷いていた。
袁術としては願ったり叶ったりの展開である。
帝を長安より救出した後は、劉繇と手を結ぶつもりであったからだ。私領を広げる野心などない。己が中心となった政治を行うことが目的。劉繇は揚州を任せるのに値すると袁術は考えている。
和睦を結ぶ場合、そのときの詫びとして持参するのは「孫策」の首である。
そして孫家は他の者に継がせる。
独立心を持たぬ傀儡が可能な者にだ。孫権でもよかったのだが、娘婿の孫権には袁家の嫡男として、袁術の後を引き継がせる予定であった。
孫堅の遺児はまだ他にもいるし、一門衆はこれまで孫家を支えてきた孫賁などもいた。
とにかく帝を救出し、寿春に戻るまで、南に睨みをきかせてくれていればいい。それが袁術の孫策に求めた全てである。
無論、孫策はおろか右腕である周瑜もそのことには気が付いている。
故に早急に牛渚を落とし、秣凌を落とし、曲阿を占拠して、江南に孫策の勢力を根付かせる必要があった。
袁術が恐れているのもそのことである。
すべては時間との戦いであった。
長安の帝救出が早いか、呉の曲阿攻略が早いか。
兵数で行くと随分と差がある。
不利なのは二万で十万を倒さねばならない孫策であろう。しかも四方の郡・県が次第に敵側に周り始めた。
例えば、袁術の私欲に走った領土拡大を見かねて、劉繇の下には武将として名を知られている太史慈や仁徳に優れた孫卲や是儀、人相を見る許劭、山越族との戦いで名をあげた陳応などが続々集まってきていた。
孫策に勝てる見込みはほとんどない。
これか世論の見方であった。
敵はどんどん膨らみ、見方は君主自身に勝つ気がサラサラないのだから、この状況で勝てと云う方が無茶な難題であろう。
袁術の本拠地、寿春には十万の兵が滞在していたが、孫策は後詰など期待していない。
袁術にも援軍を出すつもりはない。
この十万は北の曹操に対する圧力であったし、南の劉繇に対する圧力でもあった。
もちろん孫策が敗北した場合、勢いに乗った劉繇軍が寿春に襲い掛かる可能性もあった。そのための保険のようなものである。十万の兵がいれば寿春は落ちない。
孫策側に靡きそうな勢力もあるにはある。
丹陽の太守に任ぜられた呉景は孫策にとっては母方の血族であるし、これまで孫家当主を代行してきた孫賁も共に徐州の最南端にある江都に対陣していた。あくまでも袁術側の勢力だが、明らかに日和見の姿勢である。
これまでは袁術側として南に睨みをきかせてきたが、相手があの劉繇となるとさすがの二人も怖気づいている。
それほどに帝の血筋たる劉家の権威は大きいものがあった。
海賊退治で名を上げただけの孫家とは血筋が違うのだ。
呉景と孫賁は、孫策の勝敗によってどちら側につくべきかを決めようとしている。
他にも似たような勢力はあった。
どちらにもつかぬ日和見の軍閥だ。
勝てば官軍。曲阿を占拠すれば、一気に孫策の勢力が増強される可能性もある。
孫策にとって、まさに千載一遇の機会がこの戦いであった。
「よし、公瑾(周瑜の字)、風向きが変わった、牛渚を攻めるぞ」
孫策が笑いながら周瑜にそう告げた。周瑜は目を細めて、
「まだ呉郡の調略が済んでいない。もうしばらく時間が必要だ」
「問題ない。この緒戦は力攻めをする。兵たちはそのために血を吐くような訓練を日々耐え抜いてきた。調略はこの先だ。まずは力でせ攻めて攻めまくる。孫家の力を天下に見せつけるのだ。それで日和見の連中も目を覚ますだろう」
「なるほどな。総大将は伯符(孫策の字)お前だ。好きなようにするがいい。俺も共に陣頭に立ち牛渚を攻めよう」
「ふがいない話かもしれぬが、公瑾の調略なくしては曲阿までは落とせぬ。頼むぞ」
「ああ。江南に俺たちの国を創る。まさにその第一歩となる戦いだな」
「今後は落とした要所に兵を配置し、領土を守る必要も出てくる。その辺りの指示は公瑾に一任する。俺には政治は向かないからな」
それを聞いて周瑜も笑った。
「そうだな。それには降る者を寛容に対処する必要があるぞ。味方の数を増やさぬ限り、この広大な江南は治められぬ」
「もし俺が余計に人を斬りそうであったら、公瑾、お前が止めてくれ」
「よかろう。攻める準備は万端できている。あとは伯符、お前の号令を待つだけだ」
こうして孫策軍二万全軍は江水(長江)を渡り、牛渚を攻めるのであった。
袁術が呼んだ知恵者はだれなのか……
次回は飛将が動きます。対するは曹操なき曹操軍。
それぞれが正念場です。こうご期待。




