第10回 南陽をいかにするか
帝の救出作戦は曹操の乱入で思わぬ方向へ。
南陽の袁術はいかにして張繍を破り、長安に辿り着くのか。
第10回 南陽をいかにするか
<地図>
河北(冀州)
_____黄河_________________
長安 洛陽 陳留(兗州) 東郡(兗州)
南陽(荊州) 潁川(豫州) 下邳(徐州)
襄陽(荊州) 汝南(豫州) 寿春(揚州)
_____ 長江 ______________
曲阿(揚州)
長安 太尉・楊彪の館
楊彪の部屋には魯粛だけが呼ばれていた。
魯粛はその満面の笑みで楊彪に対している。呼ばれた理由も十分に承知していた。
楊彪はあの袁術の義弟なのだ。
「子敬(魯粛の字)よ、帝の御身、左将軍殿(袁術)に預けるのではなかったのか。何故、この場に及んで曹操などという野心の塊のような男を呼んだのじゃ」
いつもの冷静沈着な楊彪とは少し様子がおかしい。当初の計画からかなりのスレがでてきているからだろう。
当初は、西涼の馬騰・韓遂の連合軍が西から攻め、袁術が東から長安を攻める、その隙に帝を救出するはずであった。
救出した後には、揚州の州都である寿春を漢帝国の都とし、第十四代皇帝である献帝を袁術・楊彪・馬騰が三公(司徒・太尉・司空)となって政治を支えるというのが目論見だった。
そこに曹操の名は無い。
曹操は袁術と家督争いで敵対する冀州の袁紹の先鋒のような存在だったからである。
今回の帝救出作戦に曹操が加われば話が大きく変わることになるのだ。
しかも曹操の話通りであれば、袁術はこの救出作戦に間に合わない。というより間に合ってはいけないことになる。
南陽の張繍を討てば、さすがに尻に火が付いた李傕と郭汜が手を結んで長安の守りは固くなるからであった。
魯粛は微かにも笑顔を崩さずに、こう答えた。
「確かに曹操様のご登場は想定外。しかし、あの御方に作戦は漏れていました。宮中に鍾繇殿を埋伏していたように、私たちのなかにも曹操に通じている者がいるのです。あの御方に作戦を知られてしまった以上は、敵とするか味方とするか、どちらかを選ばねばなりません」
「……味方する方を選んだわけか」
「いえ、まだわかりません。そもそもあの御方は味方を必要としない御方。こちらで味方を望んでも、あちらで断る可能性もあります」
「そんな曖昧な状態で、こちらの手の内を見せたのか。浅はかな」
「手の内を見せたことで味方となる可能性が随分と高まりました。もし、見せねば、我らは計画実行前に曹操様に潰されていたことでしょう」
「しかし、左将軍の件はいかがする。南陽で足止めをされている限り、帝をお連れすることはできまい」
「もとより南陽ではなく洛陽を目指して脱出する計画。さすれば白波の徒の協力も得られます」
「なぜ左将軍は洛陽ではなく南陽からの道を選んだのじゃ……」
「いやはや、それは無論、南陽に李傕らの視線をくぎ付けにするため。その隙に洛陽に逃げるが作戦。洛陽から左将軍様が来たのでは、我らはどこにも逃げようがございません」
「それは、そうじゃが……」
「我らが脱出した後で、左将軍様が長安を落とす。そこから合流して寿春に向かう手はずにございました。ですが、南陽を落としてはならないとなると話はがらりと変わります。洛陽より寿春までの道筋いかがするのか」
「うむ……潁川を通過せねばなるまい」
「そうでございます。曹操様の領土を通過せぬ限り寿春にはたどり着けなくなるのです。左将軍様の軍勢と一緒であればともかく、我らだけでは決して切り抜けられませぬ」
確かにそう考えていくと曹操の協力は絶対に必要なものになっていく。
なぜあの曹操が四方を敵に囲まれながらも、潁川を押さえることに懸命になったのかが、ここにきてはっきりとわかった。潁川を押さえることが、帝を押さえることになるのだ。そこまで曹操は考えていたはずである。
「西へ向かうか……」
楊彪は憔悴しきった表情でそう提案した。
「西、ですか……」
すでに長安自体がこの国の西にある。この先は異民族と共存する領土であった。そこに遷都することはさすがに誰も賛成はしないだろう。漢の国を見捨てるに等しい行為だった。
魯粛はそんな楊彪の心中を察し、笑顔でうなずきながら、
「ともかく、南陽を攻める左将軍様に言付けせねばなりません」
「戦に負けよと云うのか」
「よもやそのようなこと、長期戦にするよう提案するのです。李傕らのことを考えると苦戦気味が一番よろしいかと」
「そのような指示に左将軍が従うと思うか?」
魯粛はしばらく思案し、
「おそらくは。帝の救出を第一に考えれば、やむを得ないことと」
「で、あればいいがな」
楊彪は愕然とするように肩を落としていた。
一方、荊州北部、南陽
李傕の陣営の一角を担う張繍が守る宛城を囲んだ俺(袁術)の兵は約十万。
騎兵を率いれば西国一とうたわれた張繍も五万の兵がいながら籠城の策を選択していた。
籠城するということは、後詰を期待しているということである。
張繍の援軍は果たしてどこから来るのか。
西の長安は、権力を握った李傕と郭汜が血みどろの戦いの真っ最中で、こちらに構っている余裕はないはずだった。李傕と郭汜が一致団結しない限り、援軍は来ないと考えていい。
問題は南だ。
つまり荊州牧となった劉表の動向である。
奴には反董卓連合の時から煮え湯を飲まされ続けている。劉表は、兵站を切る張繍の騎兵隊の補給役を裏で担っていた。それに怒った孫堅を計略によって討ったのも劉表である。
劉表さえいなければ、俺は袁紹など比較にならないほどの巨大な勢力となっていたはずなのだ。そして堂々と帝の後見人として政を切り盛りしていたはずだ。
果たして劉表は張繍に援軍を送ってくるのかどうか。
送ってくるとすれば五万以上の兵力だろう。戦力は互角になる。そして張繍の騎兵が城内から撃って出てくるのは必至であろう。
長安陥落を目指す俺がこんな場所で手こずっているわけにはいかない。
ましてや南陽は俺のもともとの拠点。俺の勝手知ったる庭なのだ。
こうなると寿春に残してきた十万の兵が悔やまれる。
南の曲阿は討伐軍を率いる孫策が食い止めるとして、兗州で対峙する曹操と呂布への抑えとして十万を置いてきた。
呂布は若き頃からの朋友である。その軍師を務めているという陳宮も同様だ。曹操との戦闘でむざむざ死なすわけにはいかない。
仮に兗州で曹操と呂布の両雄がぶつかり合うことになった場合、寿春から呂布の援軍を出すことになっていた。
この場合、袁術・曹操・劉備の三国同盟は破られることになる。
すかさず徐州の劉備が寿春を突くことも考えられた。
そもそもこの本陣も潁川の夏候惇の軍に背後から襲撃されることになる。
曹操を裏切ることは、そのまま俺の滅亡を意味していた。
どうせ動けぬのならば十万も寿春に置いてくるのではなかったのではないだろうかと、俺は後悔していた。
しかし寿春に残した十万の兵は曹操に無言の圧力を与えているはずだ。曹操としてもそちらも意識しながら呂布と戦わねばならなくなる。
そう考えると、十万の兵を置いてきたことは少しは意味を成すのだ。
「左将軍様、先鋒の大将である紀霊さまと副将である橋蕤様がお越しになっております」
伝令役がそう伝えてきたので、俺は二人に幕舎に入るよう指示をした。
このまま城を囲んだままではらちが明かない。そのことを伝えに来たのだろう。しかし十万の兵で力攻めは難しい。城内には五万の兵がいるのだ。援軍の数によっては城内外から挟撃されて俺が滅びる。
長安での帝救出作戦も大詰めを迎えているはずだ。
いかにすればここを突破できるのか、おれは幕舎に客将も呼んでおいた。
おそらくこの男であれば、何かしらの策を講じてくれるはずである。
紀霊、橋蕤の両将とともに、その才知と機転に期待をかけている男が幕舎に入ってきた。
袁術の期待する智謀の臣とは?
兗州の呂布、そして孫策がそれぞれの相手に決戦を挑みます。
次回こうご期待。




