第9回 長安に集いし漢(おとこ)たち
いよいよ献帝奪取の時が迫ってきました。
帝を救い出すのは一体誰になるのでしょうか?
第9回 長安に集いし漢たち
<地図>
河北(冀州)
_____黄河________________
長安 洛陽 陳留(兗州) 東郡(兗州)
南陽(荊州) 潁川(豫州) 下邳(徐州)
襄陽(荊州) 汝南(豫州) 寿春(揚州)
_____長江 _______________
曲阿(揚州)
長安 太尉・楊彪の館
一部の使用人しか近づくことが許されぬ奥の間がある。
そこに漢たちが集まっていた。
白髪の翁が三公のひとつ太尉に任じられている楊彪。
しかし政に関する実権は、董卓の後継者たる大司馬の李傕と後将軍の郭汜に握られており、完全に閑職となっていた。名ばかりの役職である。
椅子に腰かけている楊彪の隣に立ち、周囲に笑顔を振りまいているのが楊家に出入りしている商人の魯粛、字は子敬。
凄腕の密偵であり、十年以上の月日に渡り都に潜入し、ときに情報を収集し、ときに実行犯となって革命に手を貸している。
遠く東の果ての寿春に勢力を持つ左将軍・袁術が放った間者であるが、その実、諸侯とも裏でつながっていた。表面の笑顔とは裏腹に、一筋縄ではいかぬ漢である。
楊彪の前には長い机が置いてあり、両側に数名ずつ荒々しい漢たちが座っていた。
左の奥から、西の異民族・姜の王族に連なる成宜。
その隣に西涼の軍閥・楊家の次男、楊秋。
そして、西涼の虎の異名を持つ龐徳。
一番手前には「錦馬超」の異名をもつ馬超、字は孟起が控えていた。
右の隅には、ひっそりとたたずむ少年・少女がいる。
流民であるところを馬超に拾われた少年・耀と少女・白。
少年は記憶を失っており、自分の名前すら思い出せない状態であるが、剣技の冴えは馬超も認める腕前であった。
少年の正体については楊彪も魯粛も知ってはいるが、黙秘されていた。
少女は一切口を閉ざし、常に耀の傍らにいる。こちらの正体についても楊彪、魯粛ともに承知しているが、馬超たちには伝えてはいない。
机に向き合っているのは、右奥から、西の権力者である韓遂の腹心・成英公。
その隣に馬超の弟である馬鉄。
そして、賊徒「白波」の副頭領である紅髪の女傑・韓暹。
一番手前には、これまで共に活動してこなかった見知らぬ漢が腕を組んで、薄ら笑いを浮かべている。
馬超らの視線はこの漢に注がれていた。
身長は低い。それほどの武威は感じられないが、圧倒してくる存在感はただ者ではない。
こちらの漢の正体についても楊彪、魯粛ともに承知していた。
まだ馬超には伝えられていない。
「こちらの思惑通りの展開になった。李傕と郭汜は互いに疑心暗鬼に陥って、今や完全に敵対関係にある。帝の御身を救出するのは今をおいてほかにはない」
そう、楊彪が話を切り出した。
成公英が奥から口を開き、
「長安の街中でも李傕派と郭汜派の兵が騒ぎを起こしています。死傷者もかなりの数にのぼっている様子です。住民たちにも被害が及んでいます」
「これ以上、やつらの好き勝手にやらせれば長安は滅ぶな」
楊秋がぼそりと呟いた。楊彪は強くうなずき、
「そうじゃ。民衆のためにも帝救出は急務。帝の後ろ盾がなければ李傕、郭汜など烏合の衆同然となろう」
「しかし、李傕は帝を厳重に警護しているとか。郭汜に帝を奪われることを恐れている。この中を救出するのは至難の業では?」
龐徳は慎重に言葉を選びながらそう話した。何人かの漢たちも同意してうなずく。
「下手に刺激すると、李傕め、帝すら弑すことが考えられますぞ。奪われるぐらいであれば殺してしまえと兵に命じていると聞きました」
馬鉄は唸りながらそう云い、机を己の拳で叩いた。
「フン。愚痴をこぼしてもはじまるまい。何か策があるのだろう。洛陽までの道すがらは我ら白波の衆で身を守ることになるが、外に出られねば話が始まらぬ」
韓暹が楊彪と魯粛を見比べながら尋ねた。魯粛は笑顔でただうなずいているだけ。
楊彪が口を開き、
「帝の警護隊長である董承を味方につけることに成功した」
「おお、それは素晴らし吉報」
成公英が感嘆の声をあげた。龐徳が眉をひそめ、
「董承と云えば、亡き董卓の親族。よくこちら側に寝返らせませたな」
楊彪は少しばつの悪そうな表情をして、
「董承は李傕に不満を持っていた。そこを突いたのじゃ」
「それだけでは動くまい。董承は李傕の信任が厚いと聞く。餌が無いと釣れぬ大魚」
謎の漢がそう云い放った。馬超はじっとこの漢だけを見つめて一言も発しようとしない。何かを感じているのだろう。
楊彪の顔色が曇ったのを確認して、隣に立つ魯粛が微笑みながら、
「いやいや、餌とはまた随分な云い様ですな。このたび董承殿の娘を帝の側室として迎えることになったのは事実。これはあくまでも帝の御意思にございます。他意はございません」
「すると、董承は帝の外戚となるのか。李傕は承知なのか」
「あくまでも宮中奥の話。大司馬様のご意向をうかがう必要のないこと」
魯粛は笑顔でそう返答しているが、目の奥には冷酷な光がさしている。
「どちらにせよ。警備隊長の内応が確実であれば、救出は容易い。よかったではないか」
楊秋が周囲に同意を求めながらそう云って笑った。
「そこの漢に問う。貴殿はこの計画、成功すると思われるか」
ようやく馬超が重い口を開いた。
謎の漢は腕を組んで薄ら笑いを浮かべたままで、
「このままではしくじるだろう」
「ほお。何が足りぬ?後学のためにお聞かせいただきたい」
馬超には珍しく敬語を使った口調なので、龐徳や馬鉄らが唖然として見守っている。
謎の漢は鋭い眼差しで馬超を見つめ返した。
相当な戦場を経験してきた漢の目だと馬超は感じている。父である馬騰や韓遂の比ではないだろう。
「まずは東の動き」
「東?東は今、左将軍袁術が南陽の張繍を攻める準備をしている最中。南陽が落ちればこの長安はさらに孤立し、混乱する。脱出の機会も出てくるであろう」
と、馬超が見解を伝えた。
「逆だな。南陽が落ちれば李傕と郭汜は手を結んで袁術にあたることになるだろう。南陽を落とせば救出は失敗に終わる」
それを聞いて全員が唸った。確かにその可能性は否めない。
漢はさらに言葉を続け、
「李傕を上手く誘導する者も必要だ。あの獣、何をしでかすかわからんからな。手綱が必要」
「そのような手綱、いかにするのだ」
「一朝一夕であの獣に手綱は付けられぬ。数年の時を要し、信頼という絆が必要」
「それでは間に合わぬではないか」
「いや、この日のために俺がその手綱を準備してある。鍾繇という名の手綱をな」
「鍾繇……。あの李傕の相談役と云われている男か。あの男が貴殿の手の者なのか」
「埋伏とは数年を経て毒となる。鍾繇は李傕の首を絞める猛毒の手綱となろう」
「貴殿、一体何者なのだ」
馬超がそう云って初めて殺気を放った。
李傕や郭汜よりも遥かに巨大で危険な人物だと馬超の本能が反応している。
漢はその殺気を吸い込むように軽やかな呼吸をし、
「俺の名は曹操。豫州に帝を迎えるためにここに来た。安心しろ。俺がいる限り計画は必ず成功する」
曹操。その名を知らぬ者など誰ひとりいない。
信じられないといった表情で、楊彪・魯粛以外の皆が曹操を見つめていた。
南陽は落とせぬ。
曹操の思惑は袁術に届くのか。
次回は南陽攻略です。こうご期待。




