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第38回 月を映す水面、郭嘉登場

ついに戯志才にその才能を見出された郭嘉登場

そして潁川では予期せぬ出来事が・・・

第38回  月を映す水面、郭嘉登場


  <地図> 

         鄴(冀州)

_黄河________________

長安  洛陽  陳留(兗州) 東郡(兗州)   


   南陽  潁川(豫州)    下邳(徐州)

  

        汝南(豫州)  寿春(揚州)


 兗州えんしゅう東郡とうぐん東阿とうあの城

 「招きに応じてよく来てくれた。礼を云うぞ」

夜半だというのに続々と積み上げられる報告書に目を通していた曹操そうそうは、室内に入ってきた男にそう声をかけて労った。

 男は怪訝そうな表情で、蝋燭の灯火のもと、物色するようにしばらく室内を眺めていたが、

「郭嘉と申します」

と一言だけ発した。

 名乗ってからも雀のように辺りをしきりにうかがっている。

 室内には曹操の他に老人がひとり、隅に立っていた。

 呂布りょふとの兗州攻防戦で功をたてた程立ていりつであったが、郭嘉は面識がない。曹操お抱えの祐筆程度であろうと気にもしなかった。

 「戯志才ぎしさいより、潁川えいせん復興の力になると聞いた。郭嘉よ、手伝ってくれるか」

額から流れ出る汗をぬぐいもせずに曹操はそう云った。

 郭嘉は潁川でも指折りの秀才ではあるが、それ以上に異端児として名を馳せている。生来の天邪鬼で、他人の指示に従うことがない。頭ごなしに命令しようものなら、その指示の至らぬ点を山のように指摘し論破する。なので、好き好んで郭嘉と交わろうとするものはいないといってもよい。

 「兗州はずいぶんと騒がしいようですね」

「うむ」

そう答えた曹操はすでに他の報告書に目を通していた。

「自分の屋敷が火事だというのに、他人の家の火事を消しに出かけるものは世間を騒がす愚か者でしょうね」

「さて、そのようなものが世にいるだろうか」

気もそぞろに曹操が答える。無論、郭嘉は曹操のことを揶揄しているのだ。


 近くで立っていた程立は郭嘉の無礼を咎めようかと思ったが、はたしてなぜ自分がここに呼ばれたのかを考えて躊躇した。曹操のことだ、郭嘉と自分をここで引き合わせたのには理由があるのだろう。太守である夏侯淵かこうえんを同席させず、自分だけを呼んでいるのにも理由があるはずである。もうしばらく様子をみることにしようと落ち着いた。


 「郭嘉よ、俺は潁川に献帝けんていを招き、府宮を置く」

「潁川に帝を・・・フッ、荀彧じゅんいくあたりが喜びそうな話ですね」

「荀彧を知っているか」

「ええ。嫌というほどね。私が世の中で最も嫌いなのは無能な官僚と荀彧ですよ」

「荀彧と、そのへんの凡夫を同等とするのか」

「同等というよりも、それ以下ですよ。彼の皇室に対する忠義は異常と呼ぶしかない。孔子こうしも云っています、過ぎたるは猶及ばざるが如し、と」

「では、自分と荀彧を比べるとどうだ」

 曹操にそう問われて、郭嘉は思考の時間をやや長めにとってから、

「例えるのなら荀彧は空に浮かぶ月でしょうか」

 仲秋の名月を眺めながらそう答えた。曹操もわずかに顔をあげて空を見た。雲ひとつない夜空に月がくっきりと浮かんでいる。

 「鑑賞にはもってこいでしょうな。人々は美しいだの悲しいだのと騒ぎ始めます」

郭嘉はそう付け加えた。

 「荀彧が月ならば、郭嘉、お前は?」

「そうですね。私はそれでしょうか」

そう云って、庭の池を指さした。美しい月が水面に浮かび上がっている。

 「ほう。水面に映し出される偽りの月か」

曹操は目を見開いて初めて郭嘉を見た。そして近くにあった杯を池に投げた。水に落ちる音とともに水面が揺れて月が見えなくなった。

「それとも虚を映し出す水面のほうか」

「ご想像にお任せいたします」

 平然とそう答えた郭嘉の顔をしばらく見つめていたが、やがて何かを思いついたようで、

「よし。郭嘉よ、お前を北方攻撃の際の軍師として我が幕下に迎えよう」

 

 北への攻撃?

 近くで聞いていた程立が眉をひそめた。今、緊急を要するのは呂布との決着のつけ方であり、東や南、西への備えであった。北は唯一交戦していない冀州きしゅう袁紹えんしょうの領土だ。現在は形だけではあるが、同盟関係にある。というよりもこの兗州は袁紹の庇護のもとにあった。


 北とはどのような意味であろうか。程立はふたりのやり取りに耳をそばだてた。

 「北の虚児を攻める際の総大将はどなたか」

どうやら郭嘉は初めからそのつもりでここに来たようだ。曹操の意図を理解してそう尋ねた。曹操はあたりまえだと云わんばかりの表情で、

「俺だよ、郭嘉」

「でしょうな。北が最大の障害ですからな。ではこの兗州の騒ぎを押さえるのはどなたが?」

「俺だな。ここにいる程立が兗州平定の軍師だ」

 突然名を呼ばれて程立は驚いた。大将付きの軍師ということは、立場上副大将に匹敵する抜擢である。

 郭嘉もいつしか視点が定まり、曹操だけを見つめている。

「なるほど。どちらも曹操様ご自身で指揮をとると・・・では、長安ちょうあんに幽閉されている帝の救出はどなたが?」

「それも俺だよ。軍師には荀彧をつける。あっちに必要なのはじつをもつ月だ。実をもってすれば向こう側の連携は崩れる。北に必要なのは虚を炙り出す鏡。勝算はここから生まれてくるだろう。頼りにしているぞ奉孝ほうこう

 いつの間にか曹操は旧友に話しかけるように、郭嘉をあざなで呼んでいた。

 「すべてを敵に回し、そしてすべての指揮をご自身でとられるか・・・」

郭嘉もさすがに唸った。これはひとり三役などと気軽に呼べる代物ではない。尋常ならざる精神力、体力、行動力、判断力を要求するものであった。人の身で実現可能とは到底思えない話だ。

 だが目の前にいる曹操という男は本気でそれをやり遂げようと考えているようだった。


 一介の浪人の素性から、一夜にして州牧の軍師に成り上がることになった郭嘉であるが、どうやらそのような立身出世には興味がないようで喜びの表情は一切浮かべなかった。だが反論もしない。名声も階級も経験もすべてが上の曹操が、氏素性も定かではない男に対し、手伝ってくれだの、頼りにしているだのと謙虚な姿勢を貫いているのだ。あらゆることに反抗してきた郭嘉も心が揺らいだ。

 「よろしいでしょう。恩義ある戯志才様のご推挙ということもございます。微力なれど我が身を存分にお遣いください。ただし、やるからには徹底的にやりますよ。十年で河北を制します」

 河北を制する。

 それはつまり袁紹を滅ぼし、黄河以北の領地をすべて手に入れるということである。

 「奉孝よ、焦るな。結果にこだわり過ぎると北は動かぬ。ひたすら虚を映し出すことに専念せよ。そして虚より解放することが、真に北を制することだ。忘れるな」

 郭嘉は頷きながら心の内でその言葉を反芻した。そして小さく礼をした後、部屋を退出していった。


 残されたのは曹操と程立。

 曹操はもう郭嘉とのやり取りを忘れたように報告書に目を通し始めている。

 「張邈ちょうばく、呂布との戦に、軍師として抜擢していただきありがとうございます」

程立はまず感謝の気持ちを述べた。曹操はわずかに頷いた。程立は続けて、

 「荀彧や郭嘉が月や水面であるのならば、曹操様はそれに光を当てる太陽でございますな。私は若い頃、泰山に登りこの両手で太陽を掲げる夢をよくみました。まさに生涯の主に出会えた心地でございます」

「ほう。俺が太陽か、面白いことを云う。よし、この兗州に日を掲げて立て。この国は兗州ここから変わるのだ。暗い夜は兗州ここから明ける。そうだ、お前の名の立を昱に変えよ」

「日を掲げて立つと・・・かしこまりました。これより程昱ていいくと名を改めます」

「程昱よ、早速だが反乱ごっこをして楽しんでいる連中を片づける」

「はい。仰せのままに」

「仰せのままに、ではない。お前が指示を出せ。俺を好きに利用して構わん」

「は、はい。かしこまりました」


 「喰いあい、生き残れば、さらに強い毒を有することになろう。毒を以て毒を制す。この国に長く蔓延った腐敗に満ちた毒を打ち消すには、まさに最適」

独り言のようにそう呟いて、曹操はまた報告書に目を通すのであった


 こうして曹操軍は危機的状況にありながら、他国との交友関係を一切断ち、四面楚歌に自ら飛び込んでいくのである。

 もちろん、このとき、曹操の頭のなかには勝利の筋書きがしっかりと組み立てられていた。



 一方、曹操との本陣から遠く離れた豫州よしゅう潁川

 三万の兵が城に籠り、十万に及ぶ袁術えんじゅつ軍と対峙していた。

 率いるは潁川の太守、夏候惇かこうとん。曹操に最も信頼されている武将である。

 参軍として付けられていた荀彧は、袁術との和睦交渉に単独で出向き、捕らえられた。運悪く、袁術軍の先鋒を任されていた韓浩かんこうが離反し、袁術の兵と夏候惇の兵がぶつかり合った直後だったからだ。


 「太守様、またそのようなご無理を」

夏候惇の側近が数名、青い顔をして夏候惇をなだめている。夏候惇はいきり立った表情で、

「ここのまつりごとは別駕であるお前たちに任せる。俺は荀彧の救出に向かう」

「十万の兵ですぞ。荀彧殿とてどこに囚われているかわかりません」

「韓浩に道案内させる。動かす兵も降ってきた一万だけだ。二万で籠れば百日は落ちまい」

「百日が過ぎたらなんとするのです」

「ハハハ、そうなったら降れ。百日過ぎても援軍が来ぬということは、兗州の地で孟徳もうとく(曹操の字)もくたばったということだ。そうなっては勝ち目がないからな。潔く降伏せよ」

「な、なんと」

「案ずるな。孟徳はそう簡単にはくたばらぬ。許褚きょちょよ、お前が城門の守衛隊長を務めよ。援軍が到着するまで、誰が来ても決して通すな」

呼ばれて身長八尺(184cm)の巨漢、許褚が進み出た。

 かつて流民の兵を率いていた男で。当時の潁川を支配していた張済ちょうさいから城を奪い取る際に、城に埋伏し城門を開け放つことに成功している。

 「韓浩よ、袁術の布陣について話せ」

 続けて別の男が進み出た。韓浩である。

「先鋒の梁剛りょうごうの兵が一万あまり。背後には三段に組まれた陣がございます。一段目は楽就がくしゅう率いる歩兵一万。二段目は雷薄らいはく率いる弓兵一万。

 三段目は程普ていふ率いる歩兵一万。袁術の本陣はさらに下がったところにあり、歩兵五万。さらに殿しんがりの位置に張勲ちょうくんの歩兵一万。荀彧殿が囚われているとすれば、本陣五万のところかと」

 そこに一万の兵で突撃をかけようとしているのだ。正気の沙汰ではない。

 「別に袁術の首を討つわけではない。荀彧を見つけ救出次第退却するだけのことよ」

 そう云って夏候惇は笑っていた。

 韓浩としても夏候惇に命を救ってもらった恩があるので断る訳にもいかない。

 「策は、策はあるのですか」

側近がすがるようにして問うと、夏候惇はそちらも笑い飛ばして、

「あるわけがなかろう。梁剛の陣を踏み越え、三段の陣を抜き、本陣に踏み込む。単純な話だ」

「ひとりを救うのに一万の兵の命を無駄にするのですか」

「無駄にするとは何事か。つわものとは勇気あるものを示すのだ。仲間を救う気概なくして兵に非ず。曹操軍の精強さを天下に知らしめるのは今ぞ。後れをとって後世に名を落とすな」

 夏候惇が叫ぶように一蹴すると、もはや誰も異論を挟まない。


 夏候惇一万が城から打って出た。


 いかに精強な兵であろうとも十倍に及ぶ兵の守陣を破れるはずもない。


 一方的な戦いになるかと思われたが、そこに予期せぬ出来事が起こった。


 それは唯一、現在呂布の軍師を務めている陳宮ちんきゅうだけが、兗州の地理を調査していて気が付いたことであった。



 暗く深い狂気の雲が近づきつつあった。


荀彧、夏候惇の運命は・・・

国を揺るがす異変が発生。

次回、こうご期待。

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