プロローグ
バケツから水をぶっかけられた気分だった。
事実、そんな雨だったと思う。
ぬかるんだ泥は容易には足を進ませてはくれない。小さな頃の夢とはなんだったのだろうか。英雄とはなんだったのだろうか。
まただ。また失敗した。また役に立てなかった。
激しい雨にも関わらず、小さな村は燃える。辺りに広がる木すら巻き込み。
いつしか、英雄は俺にとって遠いものとなってしまっていた。たくさんの人を助けるには俺なんかの力は弱すぎる。
激しい雨が体に叩きつけられる。
肩が重い。
顔にかかった髪の毛が俺の不快さに拍車をかけていた。
この村に通りかかったのは偶然だったんだ。自分の才能の無さに気付き、夢を諦めた俺は生まれ育った町に帰る途中だった。
ことは、その帰りの道中に起こった。突如辺りに響く、激しい爆発音。続いて挙がる怒声。すぐに何処かが襲われているんだと気づいた。
こんな俺でも出来ることはあるかもしれない。助けられる命があるかもしれない。だから、俺は出来る限り急いで駆けつけたのだ。そう、出来る限りだ。
雨の中走った。風の中走った。泥の中走った。
……そして、膝が崩れた。
着いたときにはもぬけの殻だった。なぜ間に合わないのだろうか。
いつだってそうだった。俺は英雄の器じゃない。本の中で出てくるように全てがハッピーエンドとはいかないんだ。世の中そんな、上手く出来ていない。
そんな言い訳じみた自分の頭に次々浮かんでくる言葉にヘドが出そうになる。単純な話さ。俺は、出来る限り走ったんだ。そう、出来る限りね。
響き渡る怒声がはっきり聞こえるにつれて自分の足が鈍っていくのが分かった。そうさね、俺は怖かったんだよ。多人数だと思った瞬間これだ。英雄に憧れてた自分がこの程度でびびるなんて情けない。
でも、現実なんてそんなもんさ。自分に火の粉が降りかかることなく生きてきたから英雄なんてほざけた。自分の才能を測る機会なんてなかったから英雄なんてほざけた。
でも、今は違う。世界の広さを知った。自分の小ささを知った。少年の俺が考えてた時ほど世の中は甘くない。
だから、俺の足は鈍った。本当に俺が必要なのだろうか。賊ども相手に俺一人で何が出来るんだろうか。いや、できるはずがない。どーせ、俺も殺されるのがオチだ。
俺は……俺は、間に合わなかったんじゃない。間に合おうとしなかったんだ。俺が行っても盗賊ども相手に勝てるはずがないんだ。俺は弱いのだ。
……我が身恋しい感情にゲロを吐きそうになる。
どうやら、俺は気づかないうちに最低な野郎になってたようだ。
顔を流れる滴はどうやら雨だけじゃないらしい。
ただ情けなかった。ただ悔しかった。こんなことで都合良く泣いてる自分が。
小さい頃、理想に描いた英雄。そいつは、こんな情けないやつだったのだろうか。
昔の自分と今の自分は違う。昔の理想と今の理想は違う。社会を俺は学んだんだ。自分というものを学んだんだ。何度も何度も自分に言い聞かせる。
だけど、まだ微かに残る廃れちまった良心がこのまま去ることを許してはくれなかった。
だから……それは俺の俺自身に対する、一種の罪滅ぼしだったのだと思う。
「ヒグッ…ご、ごめんなぁ。もう大丈夫だからな。おじちゃんが、おじちゃんがいるから。もう怖くないからなぁ。」
土砂降りの雨だった。こんなもん気まぐれだ。ただの罪滅ぼしなんだ。この村で、奇跡的に生き残っていた幼い少女を助けたのは。
冷たい風に、土砂降りの雨。そして、燃え盛る村。少女とクソジジイの泣き声だけが辺りにには不様にも鳴り響いていた。