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第4話 彼と彼女のメモリーズ/「感動」の対極

1


「……うん……うん。それで宜しく、有難う。それじゃ」

 春香は電話口の向こうにいる相手にそう話し、通話を終えた。

「『京ちゃん』……だっけか?」

「うん」

 久の問いに春香は首肯する。


 『京ちゃん』こと京子は、春香が久の家に泊まるという話を聞いてそれはもう全力で茶化しにかかっていた。やれ「早速彼氏の家にお泊りだなんて中々やるねぇ」だの「ちゃんとコンドーム付けてもらいなさいよ」だの、そういう雰囲気など微塵も無いというのに思い切り捲し立てられていた。

 元々電話したのは、京子に「親から電話がかかってきても『京子の家に泊まっている』ということにする」という点を了承してもらうためだった。所謂「口裏合わせ」というやつだ。勿論そこはちゃんと聞き入れてくれたが。

 春香本人が電話に出なかったことを親に問い質されたとしても、「マナーモードにしてたから気付かなかった」と言えば騙せるだろう。

 娘が同年代の男性と、しかも彼氏でもない人と一夜を共にすると聞いて平然としていられる親はまずいない。ましてや、春香は鈴蘭家の一人娘。それはもう目に入れても痛くないぐらいに可愛がってきた――はずだ、恐らくは。

「……あー、そろそろ話の続き、いいか?」

 久が首の凝りを軽く解しながらそう訊いてきた。

「うん、お願い」


 お世辞にも広いとは言い難い部屋に二人分の布団。その布団の上に(とんび)座りで腰を下ろす春香。若干窮屈ではあるが、今から話される話題に部屋の広さなど無関係。狭いなりにもそこそこ整理されているのが春香にとって印象的だった。

「何処まで話したっけな」

 久もそう言いながら自分の布団の上で胡座(あぐら)をかいた。


 そして久は語り始めた。自らの「過去」を――幼少期の事故とその後の顛末(てんまつ)を。



2


 それは或る晴れた日曜日の、午前中のことだった。新しく出来たという大型テーマパークに向かう小野一家の車。

「はっしれー!」

 後部座席で興奮する当時5歳の久に、

「もう、向こうに着いたら幾らでも(はしゃ)げるんだから今は我慢しなさい」

 助手席で(たしな)める母。

 指を咥えて隣の兄を見ている3歳の茜に、ハンドルを握ったまま微笑む父。

 4人を乗せた白い乗用車は滞りなく目的地に到着する……はずだった。


 赤信号の目の前で止まっていた久達の車に突如襲ってきたインパクト。止まる気の無かった乗用車に後ろから追突されたのだ。

「うわぁっ!?」

 予想もしなかった衝撃に、久達は激しく脳を揺すぶられる。


 嗚呼、それだけで終わっていれば良かったのに、神は何と残酷か。


 追突され少し進んでしまった白い車。横断歩道をも通り過ぎ、十字路の真ん中に出てしまった。そこへ――


 気が付いたら病院のベッドだった。久と出会った日の春香と同じように。5歳の久の頭の左半分には何重にも包帯が巻いてあり、視界の半分が遮られた状態で横たわっていた。

 主治医が言うには、交差点の中央で立ち往生していた車の側面から猛スピードで別の車が衝突し、ぶつかられた車の前半分は完全に潰れていたそうだ。当然ながら両親は即死、久も頭の左側を強打して重傷、茜は奇跡的にも軽傷だったらしい。


 何週間か経ち、久の頭を覆っている包帯を取り除くことになった。解かれ、傍のテーブルに置かれる白い布片(ぬのきれ)。また以前の視界に戻れたかと思いきや――

「おじさん……何か急に黒くなった?」

 久が放った一言に、主治医は「はぁ?」と首を傾げざるを得なかった。そして、

「それより……どうなっているんだ、その目は?」

 今度は久の方が困惑した。『どうなっている』とはどういうことなのだろう。そんな久に女性看護師が「ほら」と手鏡を渡してきた。そこに映った自分の顔――左目を見て、彼は言葉を失った。

「……!?」

 その左目はエメラルド色の輝きを湛えていた。

「な……に……これ……」

 あまりの衝撃的事実に、つい手鏡を取り落とす。

 手鏡を渡してくれた看護師に目を向ける。黒い。また別の看護師に目を向ける。それより更に少し黒い。

 訳が分からなくなって病室を飛び出す。

 廊下をゆっくり歩いている同い年ぐらいの少女患者を見る。僅かに黒い。ロビーでテレビを眺めている老翁を見る。どす黒い。たった今外来診察が終わったばかりであろう太った男性を見る。やたら黒い。走っている久を注意した看護師を見る。そこそこ黒い。トイレから戻る途中の禿頭(とくとう)の中年男性を見る。吸い込まれるように黒い。

 ……みんな。みんな、黒い。


「う……あ……」

 そんな現実に久は、

「うああーーーーーー!!」

 叫ばずにはいられなかった。



3


「で、その後茜ともども叔父夫婦に引き取られて、黒コンタクト付けるようになって、数年前からはこうして二人で生活するようになったって訳だ」

「そんなことが……」

 久の話を一通り聞いた春香は、そう漏らさずにいられなかった。

「……それで、その見えてた『黒』っていうのは……」

「ああ、春香も気付いてるとは思うが、『闇』だ。まぁ、気付くまでに1年以上はかかったけどな」

「私の『闇』は……?」

「コンタクトを付けてると多少はマシになるんだが、その状態でさえお前は真っ黒だった。さっきのロン毛を殴ってた時は余計にな。右目が無かったら人として認識出来なかったぜ」

「そ、んなに……?」

 春香の『闇』。自身でも原因ははっきりしている。

「次は私の『過去』を話す番……よね。実は私……」

「ああ、『京ちゃん』から聞いてる。小学生の頃、いじめに遭ってたんだって?」

「え……い、いつ聞いてたのそんなこと!?」

 雨の中走っていた久とそれを引き止めた京子との会話を、春香は知らなかった。

「お前を追ってた途中で会ってな。でもそれ以上詳しいことは聞いてねぇ。俺としてはやっぱり、春香の口から直接……ってな」

「……久……分かった」

 ゆっくりと目を閉じ、大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。

「私は……」

 目を開きながら春香は憎悪に塗れた「過去」を語り始めた。



4


 それはもう、両親以外の味方はこの世に存在しないんじゃないかと言いたくなるような――少なくとも春香のような優しい少女にとって優しくない世界だった。


「この魔女め!」

「触ってくんなよ魔女ー」

「こっち来ないでよ、私まで呪われちゃうじゃない」

 腫れ物のように扱われ、触れることさえ許されない少女――鈴蘭春香。

 「魔女」と呼ばれる所以は、その名から連想される空想上の女のように高く伸びている鼻。耳も常人に比べるとやや大きいらしく、「耳デカ女」などと呼ばれた記憶もある。

 小学校3年生の頃の話だ。

 最初に誰が言い出したのかなど覚えていない。だが広まるのは一瞬だった。「いじめ」に参加する者に男女の別は無かった。

 力強く否定していればそれで済んでいたのかもしれない。だが春香はそうしなかった。「ひょっとしたら本当に『呪われた魔女』なのかもしれない」と思ってしまっていた。だから、止まらなかった。


 春香のクラスメート達が暴言に飽きた頃、それは暴力に変わり始める。

 すれ違いざまに足を踏みつけ。教室移動の最中に後ろから蹴られ。昼休みに両手両足を封じられた上で鳩尾に拳が飛んできたこともあった。勿論、基本的に「触れたら呪われる」ため、暴力に興じた同級生達は揃って触れた箇所を丁寧に洗ってから次の授業に臨んだ。

 今から思えば相当滑稽な光景だったが、当時の春香は自分の存在を拒絶されていることに対するショックの方が大きかった。


 冗談では済まないような嫌がらせも増えていく。

 授業の途中で後ろの席の児童にいきなり椅子ごと後ろにひっくり返される程度はまだマシな方で、運動会の開会式を目前にして体操服が無くなっていた(別の教室のゴミ箱に捨ててあった)り、給食に消しゴムの滓を入れて無理矢理食べさせられたり、トイレで用を足している間にランドセルの中に木くずを入れられたり、春香の綺麗な黒髪が「生意気」という理由でバッサリ乱雑に切り落とされたり――挙げ始めるとキリが無かった。


 抜き打ちで行われた学力テストで算数でうっかり100点を取ってしまい、成績上位者として名前が出てしまったのを機に、いじめの頻度・内容は更に激しくなる。 いじめの格好のターゲットであることは最早学年共通の認識となり、クラス替えが全く意味を為さなくなる。トイレでは当たり前のように春香の根も葉もない噂が飛び交う。

 春香は肉体的・精神的に疲弊しながらも、近所の学習塾に通い続けその学力だけは維持し続けた。


 6年生の年明けの冬。

 春香は志望校である私立矢島第一中学校の受験に合格した。この学校を選んだのは亡き祖父がそこの卒業生だったからなのだが、当時の同級生達の多くが通うであろう近場の公立でなければ正直何処でも良かった。それ程までに、彼女は追い詰められていた。

 幸いなことに、他にこの中学を受験した同級生はいなかった。つまり、ここに入学してしまえば……4月になってしまえば、もう自分を知っている人間はいなくなる。


 ――そう思って安心していたのがいけなかったのだろうか。


 その年の3月24日。

 中学からの合格通知を貰って以来「もう内申書がどうとか関係無い」という理由でずっと休学していたが、この日は卒業式の予行演習ということで仕方なく小学校に来ていた。

 その予行演習も問題なく終わり、あとは教室で担任教師を待って解散するだけという所で事件は起きた。


「無い……キーホルダーが無い」


 ランドセルの中に仕舞っていた筆箱を見て春香はそう呟いた。

 嘗て祖父が買ってくれたペンギン型のキーホルダー。筆箱に付けていたはずのそれが無くなっていたのだ。


(体育館から教室に戻る僅かな間に……?)


 探すまでもなく、誰かに取られたであろうことはすぐに察しがついた。しかし……祖父の形見。そう簡単に諦められる訳が無い。

 周囲を見渡す。犯人は意外な程あっさりと見つかった。教室の窓際にいたクラスメートの少年――森川健太だった。この時の森川の髪はそんなに長くはなかったが。見下したような目を春香に向けて、ニヤニヤと汚い声で嘲笑って、彼女の探し物を指先で摘んで。つまりは春香に対する挑発だったのだろう。

 嘲笑っているのは彼だけではなかった。周りにいる同級生全員が春香の状況を見て笑っていた。助ける者などいるはずもない。だって彼女は「呪われている」のだから。そんな「呪い」に喜んで手を差し伸べることなど、到底有り得なかった。

 ともあれ、彼女はその挑発に、乗った。乗ってしまった。

「返して! それ、返してよ!」

 森川の方へ走り、叫んだ。しかし、森川には殆ど近付くことが出来なかった。何故なら……

「瀬戸っ!?」

 春香が一歩踏み出した所でその体を瀬戸が後ろから羽交い絞めにしていたからだ。坊主頭の小柄な少年。その割に腕っ節は強いらしく、非力な春香には振り払えなかった。

 それを見て安心したのか、森川は春香のキーホルダーを持ったまま窓を開けた。

(まさか……!)

 これから起きようとしていることを想像して、春香の顔が(あお)()めていく。

「やめて! 早く返してっ!!」

 恐らくこの12年の人生の中でそこまで叫んだことなど無かっただろう。遊園地で両親と(はぐ)れて途方に暮れていた時でさえここまで絶望はしなかった。

(後でどうなってもいい! 今だけは……お願いだから!)

 森川は必死な表情の春香を一瞥し、窓の外に上半身を乗り出し――


 春香のキーホルダーを投げ放った。


 そしてそれは窓の外、裏庭にある蜻蛉池の中へと吸い込まれていった。


「……い……いや……」

 春香の中で何かが壊れた音がした。そしてそれは、


「いやああああああぁぁぁぁっ!!」


 第二の産声を(もたら)した。

 藻掻いていた力が完全に抜け、頬を大量の涙が伝う。


(なんで? どうして? 人が「やめて」って言ってるのにやめない人がいていいの? 私ならそこまで言われたら絶対返すのに! 何なのこの人達あああああぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!)


 この日、春香の心は、死んだ。



5


「月並なことしか言えなくて悪ぃが……『酷い』以外の言葉が見つからねぇな……」

 春香の話を一通り聞いた久は溜息と共にそう漏らした。

「…………」

「だが」

「……うん?」

「お前の親御さんはまだ亡くなってないよな? 今の話に全然出て来なかったがその辺はどうなんだ?」

「うん。お父さんにもお母さんにも、私がいじめられてたことは言ったよ」

 久の問いに春香は正直に打ち明ける。

「そうなのか。いや、そういう年頃ってプライドとかあって親に話さないって人が多いって聞いてたもんでな」

「私は……素直だから。素直さだけが取り柄だから」

 春香はそう言って軽く微笑んでみせた。しかし今の話題が話題だけに、明らかに無理をしているように久には映った。

「……6年生の時にね」

 春香は真顔に戻り、

「お母さん、私の連絡帳に『クラスメート達を何とかして下さい』って担任宛のメッセージ書いたことあるの。連絡帳って大体朝に回収されて担任が一通り目を通すじゃない。まぁ、それで何が変わったかっていうと……結局何も変わらなかったんだけどね」

「成程、担任もクズだったってか。やっぱり『3月24日』に関してもだんまりだった、とか?」

「ううん、流石にその時は夜に校長と一緒に私の家まで謝罪に来たよ。反省の気持ちは全然見えなかったけど」

「そうか……」

「それでも、ずっと謝り続けてるのを見兼ねてなのか分からないけど……翌日の卒業式にちゃんと出席することを約束だけして帰ってもらったの」

 春香のその言葉に顔を(しか)める久。

「……もし俺がお前の両親の立場だったら、ちゃんと誠意ある謝罪を聞くか、目に見える……右目でもって意味だが、とにかく見える形での賠償が検討されるまで釈放するつもりは無ぇな」

「久もそう思う?」

 言いながら表情を(ほころ)ばせる春香。自分と同じ考えを持っている久の存在が心底嬉しいのだろう。

「ああ。ところで今は……おっと、『今は無い』んだっけか?」

「うん、京ちゃん達がいてくれたからね」

「友達に裏切られて、って話も偶に聞くが……お前はいいダチを持ったな」

 友人の存在が人生に於いて大きな影響を持つことを、春香は中学生になってからその身を以て思い知った。

「おかげさまで」

 春香と久。この時二人が心から惹かれ合っていることを、果たして彼ら自身が自覚していたかどうか。



6


「いじめの話してたら……思い出しちゃった」

 春香は立ち上がりながら言った。何のことか分からない久は脳内に疑問符を浮かべることしか出来ない。

「これ」

 春香は自分の学生鞄から何かを取り出した。1冊の本。白い表紙の左開きの本だ。

「それは確か最近CMでやってる……」

「やっぱり久も知ってたのね」

 本の帯には『1200万人が感動したケータイ小説』の文字。そう、昨日京子が購入し、葉月、奈枝美、そして春香へと渡ってきた『君だから』だ。

「ねぇ、一緒に読んでみようよ?」

「それがいじめとどう関係あるんだ?」

「……京ちゃんが、この本がいじめと関わってるようなこと言ってたから」

 春香と奈枝美のそれ以外の共通点といえば、16歳の少女であることぐらいか。自分の布団に戻り、久との間で『君だから』のページを広げる。

「そっか。俺もこれについては多少気になってたし、横から失礼するぜ、っと……」


 序盤のストーリーはこうだ。


 合コンに参加する予定の大学生達。相手が可愛ければそれでいいという、如何にもチャラ男じみた連中だ。その中の1人である主人公が、相手方の「可愛い」少女に一目惚れした。しかし、その少女の行動が挙動不審気味で、特に主人公に対しては異常とも言える冷たさを見せる。主人公のその少女に対するラブコールも「大嫌い」と一蹴。

 後日、少女の通う大学で主人公は少女と再会し、詳しい事情を聞く。そしてこの時主人公は初めて気付いた……その少女が、小学生時代にいじめていた相手だったのだと。


「おいおい……」

 そこまで読んだ久が呆れ果てたように言う。

「この女の子……まるで春香そのものじゃねぇか」

「…………」

 春香の「予想」は見事的中した。やはりこの小説にいじめが深く関係していた。春香が心の内を明かす。

「瀬戸や森川が……『奴ら』が告白してきたら、私も同じような対応するよ、多分」

 その先にいじめの内容も載っていたので目を通す。

「『ブス』……『汚い』……『死ね』……」

 春香が口にしたその内容――主人公達が小学生時代に少女に行った行為(いじめ)――は、先刻彼女自身が語った「過去」にあまりにも酷似していた。こういうバックボーンで――

(こういうバックボーンで、どうして京ちゃん達が落ち込む結末になるの……?)

 読者の内の1200万人は「感動した」と言った。一旦は『1200万人』を信用してみることにして、ストーリーの続きを読んでいく。


 再び偶然会った二人。主人公は少女に昔いじめていたことに対する謝罪と共に深く頭を下げる。当然謝罪程度で許せるはずも無い少女は、主人公に自分と「付き合う」ことを強要する。恋人同士になれることを一瞬喜ぶ主人公だが、少女にその気は無く、自分が満足するまで主人公を振り回そう――彼女はそれを「復讐」と呼んだ――という目論見だった。


 最早春香にとって、この小説が横書き左開きであることなど、どうでもよくなっていた。

(自分をいじめていた相手と付き合う……復讐……)

 有り得ない。絶対に有り得ない。頑として有り得ない。受けたことに対する「復讐」としては、「自分の要求を何でも飲む」なんて程度では達成出来ないから。


(だって、私は心を殺されたんだから)

 命を差し出せ。それぐらいしてもらわないと気が済まない。


 その後も少しペースを早めつつ読んでいく。その間、春香と久は一言も発しない。

 どうやら、主人公はとにかく少女に対して「今の自分を見て欲しい」という想いが強いようだった。少女はというと、如何につらい仕打ちを受けていたのかを事細かに主人公に説明する。

 そんな彼女に春香は同情しながらも、結末が気になった。自然とページを捲るペースが早くなっていく。そんな自分の姿を、昼間の友人達3人に重ね、そして理解した。

 ――ああ、京ちゃん達もこういう気持ちで読んでたのかな。

 そして……

(絶対に有り得ないけど……もし瀬戸や森川が私を本気で好きだとして。それを京ちゃん達が聞いたら応援したりとかするのかな?)

 小説の中の少女がその友人から恋愛に関して肯定的になるようなアドバイスを貰っているのを見て、そんなことを考えてしまった。尤も、そんなのは愚問に違いなかった。


 もう、過程なんかどうでもいい。結末を知りたくなった。

 そんな春香の気持ちを乗せた視線を久は感じ取り、こっそり同意した。

 そこにあるのは別れか、復讐の達成か。未だ成長中の胸を期待で膨らませながら最終章のページを開く。


 再度少女に頭を下げる主人公。場所は二人のいた小学校のようだ。その謝罪に対して少女は言った……「有難う」と。どうやら少女の中では小学生の頃から主人公には笑いかけて欲しかったらしい。絶望の中の一抹の希望、というニュアンスだろうか。その後も少女の口から出てくるのは「君に会えて良かった」「大好き」という人格肯定の言葉。


(何だろう……この気持ち……)

 理解……出来ない。

(こんなことって……)

 理解…………デキナイ…………。

(どうして自分をいじめた相手に「好き」なんて……言えるの……?)

 リカイ、デキナイ。


 とどめに、少女はこんなことを言った。

「もう君と離れたくない。それは、本当は優しい君だから」

 かくして、この少女は主人公と結ばれた――


「何……これ……」

 春香が険しい表情で肩を震わせていることに久は気付いた。

「恋愛物語だったのね、これ……いじめてた男の子といじめられてた女の子の……」

「春香……?」

 いじめのことなどすっかり忘れていた主人公の、嘗ていじめていた少女に対する一目惚れによる愛の告白が成功した――結果論で言うとそういうことになる。

「何が『許し』よ……何が『愛のある復讐』よ……。酷い内容なんだろうなっていうのは何となく予想してたけど、こんなのが……」

 捲ろうとしたページに力が篭り、グシャグシャになる。

「こんなのがっ!!」

 そのまま腕を引く。ハッピーエンドが記されたページが本の根本から引き離される。


「こんなのが……この世界に存在していていい訳無いじゃないっ!!」


 他のページも同様に乱雑に破り捨てる。一度も読んでいないページのことなど知ったことではなかった。久は黙ったまま、春香の怒りを眺めていることしか出来なかった。自分の部屋が破かれた本の残骸で散らかっていくことなど関係無い。

「これで『1200万人が感動』……? 冗談じゃない!! 日本ではこんなもので……いじめの当事者同士の恋愛話なんかで感動する人が1200万人もいるっていうの!?」

 1冊の本だったそれは、今や何の価値も見出せない紙屑の山と化していた。

「……所詮、今の世間一般での『いじめ』に対する認識なんてそんなもんさ」

 諭すように、静かに久はそう言った。

「……久は……?」

「俺は『世間一般』なんかよりもよっぽど理解あるつもりだぞ? 少なくともこの作者は真の『いじめ』ってもんを分かってねぇだろうよ」

「有難う……久」

 カバーだけになった『君だから』をその辺に放り出し泣きながら久に抱きつく春香。

「春香……」

「……ごめん、久……暫くこうさせて……」

 抱きしめる力に勝手に力が入ってしまう。

「……へっ、俺は今日1日だけでお前に一体何回『ごめん』って言われなきゃならねぇんだ?」

 久の両手が、まるで泣いている妹をあやすかのように春香の頭をそっと撫でる。

「久……私、あんたに会えて良かった……」

 春香は、破り捨てた三流小説に対する皮肉のつもりで敢えてそこからの台詞を抜粋して口にしてみた。だがその言葉は決して自分をいじめていた者達には向けられていなかった。

 そして泣き疲れたのか、その言葉を最後に春香は眠りに落ちていった。



7


 同時刻――


「ねぇ、親父……」

 春香と通話してからずっと複雑な表情を浮かべていた少女。巫山戯(ふざけ)た話をして誤魔化しはしていたが、その胸中は今や穏やかさとは無縁である。雨で凍えた体は既に温かいシャワーを浴びることで解決してあるが、心は……。

「どうした、京子?」

 京子の呼びかけに答えたのは彼女の父・花町アンドレアスだった。歳の所為で多少(いろ)()せてはいるが、娘の金髪は間違いなくこの父の遺伝子によるものだ。春香の元同級生・瀬戸が死んだ事故の報道を小さくした日本国国会議員でもある。

「春ちゃんや奈枝ちゃんを見ててずっと前から思ってたんだけど……いじめって本当にどうやっても撲滅、出来ないのかな?」

「また藪から棒だな」

 アンドレアスは読んでいた英字新聞をテーブルに置き、元アメリカ人ながら流暢(りゅうちょう)な日本語で語る。

「俺がまだ学生だった頃のアメリカは……そうだな、やっぱり今の日本が異常に思えるような状況だった。なんで日本人はいじめていた相手を殺す前に自殺してしまうんだろうか?」

「なんで……なんだろうね?」

 つい質問に対して質問で返してしまう京子。

「……『諦めたらそこで人生終了』、だったか?」

「親父、惜しい! 確かにどっかの漫画で似た台詞あったけど『人生』じゃないから。因みにアタシにとって春ちゃんは人生!」

 京子は何故か顔を赤らめてそう言った。

「それはともかく」

「あっさり流された!?」

「……それはともかく、そんなに簡単に生きることを諦められるものなのか? それとも、日本では憎い相手が現れたら相手を殺すより自分が死ぬ方が美しいのかね?」

「流石にその辺の意識は全世界共通……だと思うんだけどねぇ」

 父親と言葉を交わしながら、いじめ解決のためのヒントを探っていく。

 春香。奈枝美。身近にいじめを経験した人間がいる。そんな彼女達の力になりたい――とグループリーダーながらに大真面目に考えていた。

(母さんは……弟の命と引き換えに死んじゃった母さんはどう思うのかな……)

 京子があれこれ考えていると、テレビのニュース番組が学校で起きた痛ましい事件を報道した。


『本日未明、神木市立芹塚中学校で男子生徒の遺体が発見されました。教室で首を吊って亡くなっていたのは、この学校の2年生、東霧人くん(13)です。遺体の足元には遺書が落ちてあり、その内容によるといじめを苦にしての自殺であると推測されています――』


(なんでいじめられた側が死ななければならないんだろう? ……ん? いじめられた側が……いじめられた側『だけ』が……)

「京子は明日も学校だろう、こんな時間まで起きてて大丈……」

「待った、ちょっと今話しかけないで!」

 娘を心配して声をかけたアンドレアスだったが、どうやら間が悪かったようだ。

(もうちょっと……もうちょっとでいい案が出そうなのに!)

 そっちから相談持ちかけた癖に今度は「話しかけるな」かよ――とアンドレアスが思ったかどうかは定かではないが、とにかく彼は娘の次の言葉をじっと待った。


『――遺書にはクラスメートと思しき数人の生徒の名前が記されており、警察は彼らや担任教師などから詳しい事情を聞いています』


(死んだ男子の名前は公表されるのに、いじめた連中……殺した連中の名前は出ない……)

「親父……あのさ」

 妙案を閃いたという顔で京子が言う。


「……いじめた相手を復讐として殺した場合に罪が軽くなるっていう法律、作れないかな?」

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