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第2話 興味本位の代償

1


 黒髪少年との劇的な出会いから2週間が過ぎた。


 桜の花弁(はなびら)舞う坂道。春香はその坂道を歩いていた。校門を抜けた後の校舎までの坂道をだ。

 この2週間で春香の体調はすっかり回復し、(つつが)()く登校出来るようになっていた。

 矢島第一高等学校。中学校が同じ敷地内に存在する中高一貫校。春香はこの春、ここの2年生になる。

 悪ふざけしながら走り回る男子学生達。世間話に華を咲かせて微笑み合っている女子学生達。彼ら彼女らに紛れながら、春香は高校校舎前に貼り出してあるクラス表の前に辿り着いた。

「私のクラスは、と……あった」

 同じクラスの中に、あの親しい3人の名前もあった。

(みんな、もう来てるかな……?)

 そう思い教室に向けて歩を進めようとした、その瞬間だった。

「だーれだ」

「うひゃうっ!?」

 後ろを振り向かせずに自分が誰かを当てさせる場合、普通ならば目を隠すだろう。だが、その手は「普通」ではなかった。その手が後ろから触れているのはそこからもっと下、春香の――女性の体の中で最も柔らかい部分(パーツ)

「おぉっ、ちょっと見てない間にまた成長しましたなー。念願の美しいおっぱいを手に入れたぞ!」

「殺してでも……じゃなくて! ちょっと、やめっ……男子に見られるって!」

 この種のスキンシップを実行してくる人間は、春香の周りには1人しかいなかった。痴態への羞恥に耐え切れず、解答を何とか口の中から搾り出す。

「えーっと……おはよう、京ちゃん」

「だいせいかーい! ってな訳でおはよー、ノリツッコミのキレも鈍ってないね」

 春香の乳房が開放され、互いに挨拶を交わし合う。


 挨拶。

 「あの時」には無かった当たり前が、ここには当たり前に存在した。


 そのまま2人で自分達の教室に入ると、窓際の席に座っている奈枝美とそのすぐ傍で腕を組んで立っている葉月が出迎えた。そこでも勿論、挨拶が交わされる。

「春ちゃん、またおっぱい大きくなってたよー」

「互いにおっぱいを弄り弄られしてる2人……これはいい題材(テーマ)になるかも……」

 京子のどうでもいい報告に一々妄想を膨らませる奈枝美。春香はそれに「もう……」と呟きながら恥ずかしそうに俯き、葉月は大きな溜息を一つ吐いた。自分の方が大きい癖に、などと言って話題を泥沼化させるのも気が引けた。


 平和な学生生活。

 「あの時」には無かった当たり前が、ここには当たり前に存在した。



2


 始業式の日のホームルームは呆気無い程すぐに終了した。

「担任、また桑田先生(桑マン)だったね」

「そだねぇ」

「あたしは初めて当たったんだけど……ガクガクブルブル」

「私としてはちゃんと仕切ってくれるなら別にどうでもいいんだが」

 春香の席を中心に他愛ない雑談をしている間にも、生徒が1人、また1人と教室を出ていく。

「そうだ、今日は何処行く?」

 奈枝美がふと切り出した。

「折角春ちゃんも元気に戻ってきたことだしさ、今日こそは繁華街でパーッと騒いでみない?」

 身振り手振りで大袈裟に派手さを表す京子。

「すまない、行きたいのは山々だが……今日は剣道部の部活がある」

「そっかぁ……それならしょうがないか。しかし始業式の日から部活って凄いねぇ」

「あたしはいいよ、春ちゃんが嫌じゃなかったらだけど」

 奈枝美が諸手を上げながら言った。そして、3人の視線が春香に集中する。しかしこれは決して威圧や強制の暗示などではない。嫌ならば拒否することが彼女達の中では許されている。事実、葉月は京子の申し出を断っている。だが、春香の中では結論が既に出ていた。

「この間はホントにごめんね。私も……その時の分も含めて思いっ切り遊びたい」


 春香達は、春休み初日に集合するはずだった神木の繁華街で目一杯楽しい時間を過ごした。

 「甘いものは別腹」などと言いながらケーキバイキングでたらふく食べ、レディースファッション店で可愛らしい服の試着に浸り、電器店で新作ゲームについて情報交換し、同人ショップでBL同人誌の探索に明け暮れた。

 今この場に葉月はいないが、決して彼女の悪口を言おうとする者はいない。もし春香達がそういうことをするような人間ならば、この友情関係などとうに崩壊している。

 そして――


「アタシ、実は前々から気になってた本があるんだ。ここで最後にしよっか」

 そう言って京子が指したのは、この一帯で最大規模の書店だった。

「気になってた本?」

 書店の自動ドアをくぐりながら、春香の脳内がクエスチョンマークで満たされていく。

「『君だから』って小説。今女子高生の間で大人気なんだってさ」

「……?」

 聞いたことも無い、といった表情を浮かべる春香に、

「春ちゃんは入院してて見てないかもしれないけど、一時期CMもやってたんだよ」

 奈枝美がそう解説を入れる。得意気な顔に掛けられた眼鏡のレンズが一瞬輝いたような気がした。

「イラストの参考書探したいから、あたしは違うフロアに行くよ。また後でね」

 奈枝美には予め目的があったらしく、春香と京子とは別行動を取ることになった。


 春香達2人は漫画や小説が置いてあるフロアにやって来た。

「えーっと……小説のコーナーは……」

 春香がこの書店に来るのは決して初めてではない。中学2年の時、それまで京子の家以外に寄り道したことの無かった春香は、京子の誘いでこの書店の並ぶ繁華街を訪れた。そこに自分の知らない世界が広がっていたと知って、当時の春香は歓喜にも似た衝撃を覚えていた。

 昔のことを思い返しながら歩き回っていた春香が小説のコーナーに辿り着いた。

「『君だから』……これね」

 ライトノベル等が並んでいるのとはまた別の、「携帯小説」と書かれた棚にその本はあった。白を基調としたハードカバーの表紙が印象的だった。

(それにしても……何なのかな、この違和感……)

「お金はアタシが払うよ」

 違和感の原因を探ろうとして、しかし京子の言葉に遮られた。

「あ……うん。有難う」

 以前から代金の支払いは京子が率先して行っていた。国会議員を父に持つ京子は金にあまり不自由していなかったが、4人で絡むようになって、不自由していないという状況に驕らず仲間内のために使うようになり今に至る。


 会計を終え合流した3人は、神木商店街駅で再び解散しそれぞれの帰路に着いた。購入した『君だから』をこの日は京子が持ち帰ることになった。



3


 翌朝。

「みんな、おは……よう……」

 京子の机を中心に集まっているいつもの3人に元気に挨拶しようとして、しかし途中から急速にトーンダウンしていく。

「あー……うん、おはよう春ちゃん……」

 返す京子の声にも、いつもの気迫が無い。力無く机の上に倒れ伏せているのを見れば誰もが相応だと思うだろう。春香の挨拶のトーンダウンもそれが原因だった。奈枝美や葉月の顔を見ても心なしか普段より元気が無いように見える。

「どうしたの、京ちゃん? もしかして……」

「うんや、生理は先週終わってるから」

 春香の問いに気怠そうに返す京子。

「だったら……」

 更なる原因を考えようとした春香の視界に、1冊の本が飛び込んできた。紛れも無く、昨日買ったばかりの小説だ。

(昨日「アタシが一晩で読んで明日以降みんなに回してあげるね」って言ってたけど……まさか)

「『この本買ったの失敗だった』らしい」

 京子が言ったであろう言葉を葉月が代弁した。奈枝美も「あたしはまだ読んでないから詳しいことはよく分からないんだけどね……」などと零す。それに続いて京子がそっと口を開く。

「ホント、到底誰かに勧められる代物じゃないよ、これ……。特に春ちゃん、奈枝ちゃん……アンタ達にはきつい内容かもね」

「……!」

 春香と奈枝美。つまりこの2人の共通点。

 4人で絡むようになって、お互いのことをある程度は知っていた。その時に春香は奈枝美が昔いじめられいたことを知ったし、春香が嘗て同じような状況下にあったことを全員で共有もした。

 だから、分かってしまう。その答えが。それを知ってか知らずか、

「じゃあ、まずは私が読んでみるか」

 そう言ったのは名前の挙がらなかった葉月だった。

「月ちゃん?」

「京子がこんなにも苦しんでいるのに、黙って見ている訳にもいかないだろう。……それを知るために、私も読んでみたい」

「あ、あたしも……後で読むよ。漫画のネタのために……じゃなかった、純粋に京ちゃんの気持ち、知りたいから」

 奈枝美からも同様の申し出。

「私……は…………」

 「あの日」以来、ずっとそれに対して「逃げ」の姿勢を取り続けていた自分。でも、もう逃げ飽きた。だから、

(だからもういい加減、真剣に向き合っても……いいよね?)

「私も……読みたい。今の自分と、ちゃんと向き合いたい……」

 それが、春香の回答。嘘も偽りも、そこには一切存在していない。それは奈枝美や葉月も同じだろう。

「みんな、優しいね……流石はアタシが見込んだ親友達だ」

 京子の表情に少しだけ生気が戻った……ような気がした。



4


 午前中、『君だから』は葉月の手に渡ることになった。

 授業開始に備えて自分の席に戻る途中、葉月が丸山という生徒に話し掛けられていた。野球部特有の坊主頭がトレードマークの男子生徒だ。

「木幡さん。それ、『君だから』だよね?」

「そうだが……お前も知ってたのか?」

「知ってるも何も、俺だって読んだからね。……次の授業中に読むのかな?」

 葉月相手に口達者に喋る丸山。成程、「女子高生の間で大人気」だからといって男子高生が読んではいけないというルールは無い。ましてやそれで感動出来るのなら男女問わず大人気ということで、それは素晴らしいことではないだろうか。

 「そのつもりだ」という葉月の短い返事に、

「感動して授業中に泣いちゃっても知らないよ? ……あ、木幡さんの泣いてる姿って見たこと無いから逆にちょっと気になるかも」

 まるで葉月に気があるのかと思わせる程に、丸山は一気に捲し立てた。

「……そうか」

 その遣り取りを見ていた春香は疑念に包まれていた。

(「感動」? 「泣く」? ……そんな作品なのに、京ちゃんは落ち込んでた?)

 きっと葉月も同じことを考えているに違いない。それでも葉月はそんな気持ちを全く露わにはせず、何事も無かったかのように席に着いた。


 そして、漢文の授業――教師がいい加減なので真面目に授業を聞いている人は殆どいない――が始まると同時に机の下でその小説の表紙を開いていた。隣の席にいた春香はそれをそっと横目で見て、前日に感じた違和感の正体に辿り着いた。

(小説なのに左開き……?)

 小説なら普通は縦書きで右開きのはずなのに。左開きの小説を知らない春香は理解に苦しんだ。

 異変はその約10分後に訪れた。それまでほぼ一定のペースで読み進めていた葉月が、突如一気にページを捲り始めた。じっくり読んでいるようには到底見えない。読むに値しない下劣な内容なのか、それとも――

 それに目を通している葉月の目が感動に潤む様子は一切無く、寧ろ怒りに燃えているように春香には映った。


 結局、葉月は午前中までに『君だから』を読み切った。

 そして昼休み、いつもの4人で集まって昼食を摂り始めた。

「……言い出した順から考えると次は奈枝美だな」

 そう言った葉月の顔は明らかに不機嫌そうだった。指名された奈枝美も「……うん」と一言だけ返した。

 あの小説の一体何が彼女をそうさせたのか。まさか感動している人間がそこまで険しい表情はしないだろう。愚問であると分かりながら、春香は葉月に尋ねた。

「『感動』……した?」

 葉月と丸山の会話を受けての質問だった。葉月も春香が本気で訊いている訳ではないと気付いているのか、身を巡っているはずの激情を抑えて答える。

「あれで『感動』……か。ふんっ、あんな胸糞悪い作品に期待した私が馬鹿だった」

 予想していた通りの回答が飛び出し、春香は複雑な気分になった。京子は未だに朝の気分が尾を引いているのか、終始無言だった。


 席に戻る途中で、葉月はまた丸山に話し掛けられていた。

「木幡さん、『君だから』はどうだった? やっぱり感動したでしょ?」

 もし読んでいた時の表情が彼に見えていたとしたら、それでもそんな質問を投げかけることが出来ただろうか。

「…………」

 無言。無感情な表情で彼に一瞬視線を遣った後、そのまま通り過ぎようとする。

「ねぇってば」

 肯定的な意見が聞けると信じているらしく、しつこく食い下がる丸山。もし春香が葉月の立場だったならば、「感動なんてしなかった」と正直且つ怒気混じりに話していたかもしれない。

「…………」

 葉月はそれを上回る決断を下した。無言の圧力。丸山を睨み付ける切れ長の双眸(そうぼう)。お前に話す感想など一言たりとも存在しない――と言いたげな憤怒に満ちた視線に、丸山は「ひっ!?」と短く(うめ)き、追及を諦めた。



5


 午後、6時間目。京子の生気を奪い、葉月に怒りを植え付けたその小説は、予定通り奈枝美の手にあった。


 机の上に同じ左開きの数学の教科書を広げながら、その下で『君だから』のページを捲っていく。春香も自分の席からこっそりその様子を見ていた。

 最初こそじっくりと読んでいたものの、やはり途中からどんどん読み飛ばしていく。そのペースは葉月のそれを更に上回っていた。遠目に見ても、そのページを捲る指が震えているのが分かった。まるで何かに縋り付くような、そんな表情も垣間見えた。

 そして、その授業も終盤に差し掛かった頃。

 床に何かが落ちるような音が教室内に響き、教師の注意が一瞬そちらの方に傾く。教師の目線がそれに向けられる前に、斜め前の席に座っていた京子が素早く拾い上げ、奈枝美の机の中に戻した。

「ノート落としたよ、奈枝ちゃん」

「……有難う」

 京子の演技を一瞬で理解しそれに合わせる奈枝美。数学教師はその演技に見事騙され、すぐにまた黒板の方に視線を戻した。

 ――そう、落としたのはノートなどではなく(くだん)の小説だった。その小説の結末に絶望或いは失望し、震える両手の間から滑り落としてしまっていた。


 そうしてやって来た放課後。

「…………」

 この日剣道部の活動が無い葉月を含む4人が集まっても、誰の口からも言葉が出てこない。揃って一同に暗い表情しか浮かべられない。長い沈黙。

 結局出てきた言葉は、

「…………どうぞ」

「うん……」

 最低限の事務的なものだけだった。眼鏡のレンズ越しに映る奈枝美の表情は、今にも泣き出しそうだった。奈枝美から受け取った『君だから』を、春香はそっと自分の鞄に仕舞った。



6


 学校を出た後も、殆ど言葉は交わされなかった。

(もし、本当にいじめについて触れられていて、絶望的な結末が待っているとしたら……私は……)

 どうなってしまうのだろうか。

 それを考えただけで、例えようのない不安に駆られそうになってしまう。今朝「真剣に向き合う」と宣言したばかりだというのに。

 嫌な予感を必死に振り払いながら、最寄り駅である矢島北口までの道のりを歩いていた、その時だった。

「ねぇ、奈枝ちゃん……ああいうかっこいい彼氏がいたら最高だと思わない?」

 そんなことを京子が何の前触れも無く言い始めた。奈枝美に向けられたのは、偶々春香と葉月の前を京子と奈枝美が並んで歩いていたからだ。

「うーん……背が釣り合わないし、やっぱり男の子は中身じゃないかな……」

 最初は何故そんなことを言っているのか分からなかった。小説の毒牙が強力すぎて現実逃避に走っているのかと思っていた。実際、それも少しはあったのかもしれない。


 ――もしここで視線を前方に向けていなければ、一生後悔していたに違いない。


 春香達のいる方に歩いてきていた3人の少年達。矢島北口駅で下車して何処かに向かう途中だったのだろう。彼らが着ている制服は矢島第一高校とはまた別の学校の物だ。

 そして、


「…………あ」

「ん……?」

 視線が、合った。

 その3人組の中央。春香はその姿に見覚えがあった。引き締まった細身の長身に黒いミディアムヘアーの少年。

「……確か、あの時の……」

「……また会ったな」


 春香と黒髪少年の面識を匂わせるその言葉に、外野の視線の全てが彼女達2人に注がれた。

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