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12.あの人は、いつかわたしの王様に。

 雪が、降っている。

 やまない雪が。



「聞いてエヴァン! 私ね、好きな人がいるの」

 内緒よ、と笑う少女の隣で、彼女が拾ったという子どもがあきれ顔を向けていた。またか、とでも言いたげなその顔は、つまり、何度も繰り返し繰り返し口にされた言葉なのだろう。

 内緒の話ではないのか、と少女を見下ろす。それより、と思ったことをそのまま告げた。

「恋だ愛だ騒げる立場だったのか」

 と、これはほとんど皮肉だった。案の定、いいえ、と少女は返す。なのに、少女の笑顔には何の憂いもない。

「だって、私が好きなのは、会ったこともないいつか結ばれる相手だもの」

 はぁ、と首を傾げる。あまり良いとは言えない反応を前に、少女は楽しそうに両手を頬に当てて、目を閉じる。

「いずれ王様になる人よ」

 王様。

 その単語に妙に反応してしまった自分がおかしく、それを少女に気取られてはいないかと神経を尖らした。

 少女はこの国の人間ではないはずだから、少女が言っている「いずれ王様になる人」というのは、自分のことではないだろう。何となくほっとしつつ、「王様」と問う。

「そう、王様。王様と結ばれて、私はいずれ、一国の王妃になるの」

 それを夢見て、ここにいるの、と少女は微笑む。

「政略結婚相手に、恋を」

「そうよ」

「会ったことも、ないのにか」

「声も聞いたことはないし、手紙のやり取りもしていないわ。でも、私はいつかあの人に嫁ぐことになる。決まっていることよ。よっぽどのことがない限り、私は国の王妃になるの」

 決まった道筋、選べない未来。

 そこに、どんな希望があるというのか。

「希望なら、あるわ。願いも、夢も」

 少女は微笑んで、外套の前をかきあわせる。寒い、と呟くのは、この国が永遠の冬に閉ざされているからだ。

「エヴァンには、わからないの? 私よりずーっと年上のくせに!」

 うるさい黙れ、と低く呟く。知るか、と怒りに任せて怒鳴るには、目の前の少女とは歳が離れすぎていた。

「ねえ、エヴァン。例えば、お母様やお父様を好きって気持ちよ。お兄様や、弟を、愛しいと思う気持ち。大切にしたいと願う気持ち。でも、お父様はお母様のもので、お母様はお父様のものなの。お兄様達も、弟達も、いつか迎える奥さんのもの。だから、たった一人。私は、未来の旦那様に、全部の気持ちをあげたいの」

 大切って、伝えられる相手が目の前にくるのを、ずっと待ってるのよ、と、彼女は笑う。

 その笑顔はなんだか腹立たしかった。こちらの気も知らないで、と。無遠慮に踏み込んでくるな、と。

「母は覚えていなければ、父と呼ぶべきあの人のことなんて」

 声には本心が十分すぎるほど溢れていた。少女ははっと息をのんで、こちらを見てくる。くしゃりと、その砂糖菓子のような笑顔が歪んだ。

「でもね、恋って素敵なものよ」

 全身で否定を示すこちらの態度も関係なく、少女はぎゅっと両手を握った。

「恋をする相手を知って、私、毎日がとっても楽しくなったのよ」



 自分よりも遥かに幼い少女が、まるで大人の女性のように恋を語る。


 詳しい身分は知らないが、お互いままならない人生を歩んでいるのだと思っていた。

 なのに、彼女は恋を知る。

 エヴァンはいずれ皇帝にならなければならない。

 公を守り、私を捨てる。そうして、国を守らなければならない。

 花嫁に迎えるのも、国に利益をもたらすもの。自分で決めることではない。


 ああけれど、もしもこの少女が言うことが本当なら。

 そうすることで、この、凍った世界にほんの少しでもぬくもりがもたらされるというのであれば。


 ほんの少しだけ、望んでも構わないだろうか。


 恋というものがどんなものか、知りたいと願っても、構わないだろうか。





 実際それは、何よりも浅慮で、傲慢で。

 国を守るべき皇帝が、持ってはならなかったものだったと、思い知るのだとしても。

 願ったあのときには、戻れない。







 けらけらと廊下にまで響く笑い声に、エヴァンシークは眉を寄せた。長椅子に腰掛け、出されたお茶にも焼き菓子にも手を付けず、むっつりと黙り込んでいる。その向かい側で、同じく長椅子に腰掛けた金髪の娘が、おなかを抱えて笑っていた。

「あぁ、おかしい。ばかね、エヴァン。あなた、あの子と喧嘩したままこの国にきたというの」

「喧嘩」

 と、いうのはおかしいだろう、と眉をしかめる。そんなエヴァンシークの内心が伝わったのか、目の前の娘は砂糖がたっぷりまぶせられた焼き菓子に手を伸ばしながらぞんざいに続けた。

「喧嘩よ喧嘩。エヴァンがあの子の思いを聞かされて、信じられるかって突っぱねて、あの子だって今きっと怒ってる。どっちもどっちよ。でも、エヴァンが謝ればすむ話だわ」

 さっさと謝ってきなさいよ、彼女は言う。座ったままのエヴァンシークを一瞥して、「ほら、はやく」と。

 エヴァンシークは黙っていた。もう、と彼女は頬を膨らませ立ち上がり、腰に手を添える。

「エヴァンシーク。あなたは、代理にオルウィスを立てて、とっとと帝国に帰りなさいと言っているのよ!」

「……言うことがめちゃくちゃだという自覚はあるのか」

「ただ言えばいいのよ。ウィリアの気持ちを疑ったのではなく、ただ愛されることに自信がないのだと。愛され方がわからないのだと」

 当然ながら、エヴァンシークは動こうとはしなかった。本来の目的であるリンクィンの婚儀はこれからで、連日催されるパーティーにも参加する予定で、帝国に帰る予定なのもまだ先だ。

「このままほっといたら、あの子はいなくなるわよ。消えてしまうわよ。それでもいいの」

 それなのに、ウィリアローナのこととなると捨て置くべき言葉をつい拾ってしまう自分がいた。そのことに、エヴァンシークはひどく動揺してしまう。

「……姫は、そばにいるといった」

「それを突っぱねたのでしょう」

 じと目で見下ろされ、エヴァンシークは目をそらす。もう! という声がしたかと思えば、テーブルに手をついて見を乗り出された。

「あの子は春を呼んだわ」

 今更何を、と思う。もっとも全て知っていたに違いないくせに、と。

 わかってないわね、と腹立たしそうに、テーブルが叩かれた。


「ただの人間に、春が呼べると思うの」


 ひどい言い草だった。それでは、まるで。

「姫が、人でないかのような言い方をする」

 エヴァンシークよりも赤みの強い金の髪が、一房。華奢な肩からこぼれ落ちる。

 返事はなかった。

 違和感、胸騒ぎと言ってもいい。エヴァンシークは、目の前の娘を見た。

 翠の目が、こちらを見据えてくる。



 何を言い出すのだ、と音もなく問いかけたところで。

「陛下!」

 伝令が、走る。

「帝国から、知らせが。ウィリアローナ姫様のことで」



 呼べば、来るのか、と聞いた俺に。

 呼ばずとも、と答えたのは、姫であったのに。


 掴んでいなければ、どこかへ消えてしまうというのなら。


「ほら、だから言ったでしょう」

 魔女の笑い声に、思わず目つきが険しくなる。

「信じられないからと撥ね付けて、目を離したからいけないのよ」

「何を知っている」

 低く呻くように声が出た。

「あなたは、姫の行方も知っているのか」

 簡単だわ、と歌うように彼女は言う。


「あの子は向き合うべきものに、会いに行っただけよ」


 春を呼べたあの子を、聖女だなんだと祭り上げるのはあなた達の勝手だけれどね。


 例えばもしも、永遠の春が巡る国に冬を呼ぶ存在がいたとして。

 それを、人がなんと呼ぶか、わかるでしょう?

 化け物と呼ばれるであろう存在と、真逆のことがなせた存在も、




 また。


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