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9.不在に、うずくまるどころか。


 できた。


 ずっと編み続けて、ようやく完成した黒いレースを、わたしは丁寧に折り畳む。執務の手伝いをしに行ったときに、オルウィスに預けようと用意していた袋に入れて、じっと眺め、抱きしめた。


 半月後、リンクィン殿下の婚儀が執り行われることが正式に決まった。その間、それに出席するためにエヴァンシーク様は一ヶ月間この国を留守にする。

 ここしばらく頻繁に顔を合わせていたのが、全く顔を見れなくなるということで。

(ちょうど、よかったのかもしれない)

 わたしは寂しがるどころか、そんなことを思ってしまった。

 だって、あれから数日。

 見れないのだ。陛下の目が。

 浅ましい自分が惨めで、恥ずかしくて。それでも願ったことは曲げたくなくて、頑固で。

 もう少し時間を貰えれば、きっと、元に戻る。また、エヴァンシーク様のために、笑っていられるから。


 すこしだけ、時間が欲しい。




 エヴァンシーク様は、形式張った型通りの言葉をわたしに向けて、わたしもそのように応えた。

 そうして、皇帝陛下はともを連れ、ニルヴァニアへと出発された。


 わたしは陛下の目も見ることなく。

 冷たい声で、送り出してしまったのだった。





 丁寧に、丁寧に、髪を梳られる。久しぶりの感触でいて、記憶よりも執拗に繰り返されるそれに、それとなく口にしてみようとするけれど雰囲気から叶わない。

 どうしよう、と、わたしはミーリエルをじっと見た。しかし、わたしと目が合うと、ミーリエルは「あらあら」というだけで、にっこりと微笑んでくる。そういうことじゃなくて、だから、あぁもう、とわたしは背後の騎士に、声をかけた。

「……あの」

「はい、姫君」

「……リゼット」

「はい」

 声をかけても、手は止まらない。

 どうしよう、とひたすら思った。なのに、いやべつに困ってないから良いじゃないか、とも思う。

 ただ、侍女ではないから髪結いはさせられないと、エヴァンシーク様は以前仰っていなかっただろうか、では今ここでわたしの髪をいじっているのは誰なのか。

 ……エリザベートだけれど。

「騎士が、髪をいじるの」

「髪結いもできる、騎士ですから」

 楽しそうに返されてしまった。あぁもう、と途方に暮れる。なんにせよ、エリザベートが楽しそうなのが一番の問題だ。問題というか、困惑というか。


 というか、騎士。


 今日まで詳細を聞く暇もなかったけれど、なぜリゼットが騎士の姿をしているのか、何よりも一番に聞くべきことではあったが、そう言えば、とさらに思考は巡る。

 宰相が、どうとか言っていたような。

「姫様、準備はよろしいですか」

「まだだよエル」

「早くしてください、リゼット」

 慌ただしくこうして準備をしているのには、理由があった。宰相閣下が会談の場を設けたいとのことだったのだ。これまた、いつだったかの騎士団長様と同様、非公式に。

 ただ会って話したいというだけなのに、仰々しいことだった。

 きちんとした恰好をしなければならないからと、髪をあげる段になって手を出しかけた侍女がエリザベートを振り返り、エリザベートがにっこりとその侍女に微笑みかける。

 ただでさえ美しい顔をしているのに、その上での満面の笑みだ。侍女は顔を真っ赤にしてその場を譲り、エリザベートが立つ。ここまで流れるような展開に、わたしは声をつっこむ暇もなかった。

 側で見ていたはずのミーリエルも、止めてくれれば良かったのに、と思う。だって、どうみてもこの構図、おかしいのだ。なぜ騎士が皇帝の婚約者の髪をいじっているのかと。

「姫君」

「なに」

「笑ってくださいませ」

 笑ってなどいられるか、とわたしは口を尖らせる。そんなわたしに、エリザベートは楽しそうにくすくす笑うのだった。

 それを側で見ているヘイリオも、どこか楽しそうにしている。だれも突っ込んでくれない、とわたしは肩を落とした。

 好きにして、とぼやけば、それはもう、と楽しそうにエリザベートは答えて。


 数分後、わたし達は宰相殿に会うため、廊下を歩いているのだった。










 これから春を呼んだ聖女がここに来るらしいという情報を受け、騎士団長のガイアス・ドリュークは、口を開けたまま固まった。

 見苦しいぞ、と笑顔で言われ、慌てて閉じる。

 ここ、というと、つまり、と思いながら、辺りを見回した。こことはつまり、普段騎士達が出入りしている訓練棟だ。なぜ、と目の前の男を見据える。

 目の前にいるのは、フォルトナ・エルド・フィリップバーグ。先日宰相に任じられたというのに、執務棟には居着かず未だに医師としてここに通っている。たしかに地方から呼び戻された直後は、ここの医務室に配属になったという医師だったはずなのだし、まだかわりの医師はきていない。いや、しかし、それにしても、だ。

「閣下はご自分の執務室には入らんのですか」

「あのしみったれた皇帝の側など息が詰まる、侍従がこの上なく邪魔臭い。あんなところいられるか」

 一息だった。このお方、と二の句が継げない。あの議会の中でここまで国を支えるあの陛下を、しみったれた皇帝、などと。それでもその皇帝の一声で地方から舞い戻ってきたのだから、心の底から嫌っているわけではないとも思うのだが。

「だいたいあの男に嫁など十年はやかろう」

「閣下こそ、いつになったら奥方を迎えられるのです」

 思わず返し言葉が口をつき、嫌みが何十倍にもなって帰ってくることを予想する。あぁ、と思ったが、フォルトナは予想に反してからりと笑った。

「こんなでもきてくれるという女がいるなら、喜んでもらうがな」

 今のところそんな女もいなければ、頭を下げてでも欲しいと思う女もいない。気長に待つさ。と、このお方の見の上を考えればそんな暢気にしているわけにも行かないだろうに、気楽そうなものだった。

 それで、とガイアスはフォルトナに問いかけた。

「なぜ、いきなりウィリアローナ姫を呼び出されたのです」

 しかも、こんな訓練棟の片隅の、医務室などに。診察台にでも座らせる気かと、ぼやけば、それはいい、とフォルトナは笑った。

「まぁ、医者としてみれば、あの姫がどうして春を呼べたものかとどうにかして解明したくなるのは確かだが」

 どこかのマッドサイエンティストなど、喉から手が出るほど欲しいだろうねぇ、とまるで冗談のように言う。声の調子は軽い物だが、顔はいたって真顔であるのが始末に悪い。

「生憎解明できないものに手を出すほど、オレは暇じゃないんでね」

 解明できない? と問いかけそうになったが、話を逸らされていることに気づき、ガイアスはだから、と声を荒げる。それをまぁまて、とフォルトナは制した。

「簡単さ、『しみったれた陛下がいない』それが全て。以上。終了」

 説明になっていない、とガイアスが唸りながら眉間にしわを寄せれば、だから、とフォルトナは椅子を引いて立ち上がり、伸びをする。

「手を出しても、慌ててとんできて国家権力を振りかざす皇帝陛下がいないって話さ」

 と、言い終わると同時に、部屋にノックの音が響く。はいはい、とフォルドなは長い足を伸ばして扉の前まで歩き、扉を開く。

 思いのほか早い返事にと扉が開いたことに、驚き瞬く暁の瞳を見つけて。


「ようこそ、お姫様」


 フォルトナは毒を隠してにっこりと笑った。



読んでいただきありがとうございました!


雑記

二日ほど空けてしまいましたが。なんとか戻ってこれました。

置いてけぼりになっていた話をこれから詰めていきます。陛下不在のまま。ええと、陛下の方のフォローも多分します。いやしかし陛下はぐだぐだしているだけなのでする意味もないような。話数の無駄と言うか。えふんえふん。

さて、新宰相フォルトナ。含みのない竹を割ったような性格の人です。イメージとしては、頭のいい、開き直った、ミーリエル。とでも言うべきか。どこか暢気で、いざとなれば「まぁ別に良いだろう」と笑ってしまうような。

だがしかし、かといって良い人、で終わらないのが、宰相に選ばれた所以、と言ったところでしょうか。


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