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7.双方踏み出しかねていたからこその、今が

 そんな都合がいいことを、信じられるわけが無かった。

 そうかもしれぬと期待して。

 そんなわけは無いと打ち消して。


 よく考えても見ろ。

 全てのはじまりは、だまし討ちのようなものではなかったか。







 途方に暮れるまま呟いた言葉は、自然沈んでいった。それでも、目はそらしたくなかったから、だから、顔はあげたままで、わたしは、陛下をじっと見つめる。

 陛下はわずかに怯んだような気がした。わたしから目をそらして、顔を背ける。それは、と呟く陛下の声は小さかった。


「どういう意味だ」


 ……。

 どう、いう意味だと、聞かれましても。


「そのまま、です。よ?」

 含みなど無い。陛下がわたしの方を見る。目が合って、何か変だ、と思った。なんだろう。何か、雰囲気だろうか。目の色? 目の色、は相変わらずの美しい菫色で、なのに、何故だろう。


 陛下の、わたしを見る目が、どこか、ひどく。



 甘い。



「へ……」

 言いかけて、口を噤む。視線を落とし、少し考えて、そっと陛下を見た。心臓が、痛いほどに、脈打っていて。

 それでも、小さな声しか出せない。

「……エヴァンシーク様?」

 伺うわたしに、陛下は眉を寄せる。それでは、だめだ、とその目が語る。

「言葉が、足りない。意味を取り違える前に、どういう意味か、ちゃんと」

 少しおかしくて、笑ってしまう。そうかもしれない。わたし達は言葉が足りない。陛下に言われたくないですよ、と思いながら、でも、言われても仕方が無い自分を自覚している。

 じっと見ている陛下に、失礼しました、と口元を抑える。陛下はわたしを見上げたまま、わたしの言葉を待っていた。


 陛下のために何かしたい、わたし。その意味は。

 含みなど無い、ただ、あなたを知ってしまったから。屋敷を出て、この国にきて。そして、この閉架図書室で、あなたに会って。

 寂しい目をした、あなたを知った。国に尽くし、『陛下』であり続ける、孤独なエヴァンシーク様を。


 優しくしてくれたあなたに、なにか報いたかった。

 寂しい目をした、陛下のそばにいることで、救いになれば良いのにと。


 けれど、これは、一国の皇帝に向けるにしては、あまりにも浅ましくはないだろうか。

 突然冷静になって、考えてしまった。

 だってこれでは、物語のようだ。


 遥かに身分の隔たる相手に、抱く、この思いは。

 物語にしか、ないはずのものではなかったの。


 でも、わたしが本当に陛下から何も望まないというのなら。

 それがわたしの真実なら、わたしが何を望んだところで、陛下にどんなに呆れられたところで。


 怖いものなど、なにもないのだ。




 わたしは、できる限り穏やかな表情で、微笑んだ。

 陛下の目は、どこか落ち着かない気分にさせられるけれど。

「あなたのために、何かがしたいわたしというのは、つまり」

 笑みを崩さず、見開かれていく陛下の目から、逸らさない。

「たとえ、今ここでニルヴァニアへ帰れといわれても。そこからあなたのためにできることを、わたしはきっと探すでしょう」

 それくらいの、気持ちです。


 どういう意味かと聞かれても、ちゃんと答えられる自信がなかったから。例えばの話でごまかした。

 これで、どうか伝わってくれれば良い、と。

 驚いている陛下に、あぁ、呆れられてしまったのだ、とわかる。

 なのに。

「それなら」

 陛下は、わたしをじっと見上げて問いかけてきた。

「俺が呼べば、あなたはくるというのか」

 呆れて、しまったと思ったのに。陛下はそんなことを聞いてくださる。いいえ、と咄嗟に身を乗り出して訴えた。

「呼ばれずとも、おそばにいたいと」

 言い切ってから言い過ぎた! と思う。両手で口元をおおって、身を引こうとすれば、右手首を捕まえられる。

 肩を震わせる。なんで素直に逃がしてくれない、とさえ思う。

 見上げてくる陛下は、困ったような顔をしていた。なのに、優しい声で、優しい微笑みで。

 わたしの手を引き寄せて、指先にひとつ、キスをくれる。

「あなたは、こうして掴んでいなければ、すぐにいなくなるだろう」

 指先が、熱い。だって、この間のは、そんな。

 塔に閉じ込められた時のことを持ち出されてしまったら言い返せないではないですか!

 うううううと唇を引いて唸るしか無いわたしを、陛下はなんだか楽しそうに見てるような気がします。ってあれ困ってるわたしを見て楽しそうな陛下って、これはとっても性格が悪い気がします! へ、陛下そんな方でしたか!

 今度こそエリザベートの方を見た。

 白い騎士も、困ったように笑っている。どちらかといえば、この人は陛下に対して呆れているようにも見えた。

 今度も助けてくれない、と思った矢先、エリザベートがゆったりと立ち上がり、陛下の背中を叩、いや、蹴った? い、今蹴りました?

 背中に衝撃を受けた陛下は、横に立つエリザベートを振り返った。

「……何をする」

「いえ、別に。思わず」

 胡乱そうに陛下はエリザベートを見上げ、ため息を吐きつつわたしの方へ向き直る。

「他には」

「はい?」

「他に、何かあなたがわたしに望むことは」

「そ、そんな」

 ありません、と首を振る。なのに、陛下は疑いの眼差しだった。信じていませんね、とわたしだって困ってしまう。笑ってみせるしか無いではないですか。

 というか、そろそろ陛下、オルウィスが泣き出す頃ではないでしょうか。先ほどの応接室はともかくとして、あの人陛下がここにいること知りませんよね?

 告げるべきかどうかでおろおろしだすわたしに、陛下は大きなため息を吐いた。はい、それは何のため息ですか、と瞬けば、菫色の瞳に力がこもる。

「ウィリアローナ」

 一つ目の、衝撃だった。

 いえ、初めて呼ばれたわけではないです決して。でも。いえ、その。これは。

 固まるわたしに、陛下は少し首を傾げて。

「……ウィリア」

 これが二つ目の、衝撃だ。

 顔が、熱い。なにをそんないきなりそんな声音で名前を呼ばれる必要があったのでしょう。微笑む陛下に、思わず目を強くつぶり、耳を塞いだ。それでもなお、くつくつと笑い声がする。

 陛下の頭らしきものが、わたしの左肩に押し付けられた。それは近くて、なのに陛下は笑っていらっしゃるから、緊張すれば良いのか憤慨すれば良いのかわからない。そーっと目を開けても、陛下はその状態で楽しそうに笑っていらっしゃる。助けを求めるわけでもなく、何気なくエリザベートへ視線を向ければ、何やら思案顔だった。

 もう一度蹴るべきか、などと考えているのだろうな、なんて、思ってない。

 わたしも巻き添えを食うのでやめてほしいと切実に祈ろう。

「笑い過ぎです、よ」

 ぽつりとつぶやけば、そうか、と笑いまじりに顔をあげられる。こんなふうに肩を震わせて笑うなんて想像していなくて、嬉しくて、くすぐったい。

 そう、嬉しい。今、陛下とこうしていられることが。

 優しい目で、わたしを見上げて。

 笑みを浮かべた、口を開いて、


「姫は、騙されている」


 穏やかな表情で、陛下はそう言って、わたしを突き放した。

 強く強く押されたわけではない。ただ、陛下が戯れを突然やめて、身を引いて、わたしの手を離して、立ち上がって。

「気づいていないだけなのか。賢いあなたが、本当に。それとも、騙されている振りをしているのか」

 何故だろう。転じて見下ろしてきた菫色は、どこまでも優しいように思えるのに。

 降り掛かる、その、言葉は。

「気づいた時も、あなたはそう言ってくれるのか」


 王家の血を継いでいないはずのわたし。

 ハプリシア様のかわりに花嫁となったわたし。


 相応しくない、間違っている。

 そう言って、王国に戻ろうとしていた、わたし。


 あの頃のわたしも、きっと今の陛下のような顔をしていたのだろうか。

 けれどわかる。今の陛下がわかるということが、よかった、と心から思う。

 あの頃のわたしのように、今の陛下には、きっと、何か。


 引け目が、あるのだと。


 それが全てだったのだ。

 陛下が、婚約の儀のとき誓わなかったのも、皇妃の義務をわたしに押し付けたがらないのも。


 わたしは、騙されていて。

 陛下はわたしを、騙していて。


 それを、きっと、辛く思ってくださっていて。


 騙されてなど、いませんよ、と笑って差し上げることは簡単だったけれど。そうすることで、陛下はいっそう打ちひしがれるだろう。


「陛下」

 長椅子から立ち上がって、それでも届かないから顔を上げ、陛下を見上げ、その目を見つめて言葉を探す。

 求めないと言ったけれど、求めることを求められているというのなら。

 わたしはエヴァンシーク様に、願いましょう。

「では、そうでないと本当にわかったなら」

 驚くエヴァンシーク様に、わたしも思う。ここにきたことで、こんな風に、言葉を紡げる自分になれたのだと。

「エヴァン様、と呼ばせてください」




 エリザベートは、それらを黙って側に控えて見つめていた。


 泣くかと、思ったのに。


 今にも泣き出しそうなウィリアローナはエヴァンシークに一礼して、階段を下りていき閉架図書室をあとにした。

 エリザベートもそれを追うため、エヴァンシークからはなれる。彼女は本当に、少し目を離すといなくなってしまうから。

 深く息を吐く音を聞きながら、エリザベートは階段を静かに下りる。エヴァンシークが、長椅子に突っ伏する音に、何気なく頭上を見上げた。


「そんなもの」


 絞り出すような、声が聞こえる。

 エヴァンシークの引け目が何か知っているエリザベートは、困ったもんだねぇと苦笑した。


「俺が、嬉しいばかりだろう」




 いつだって、皇帝然と旗を掲げているのに。

 こんなもの、皇帝として生まれ落ちた運命だと割り切って素直に花嫁を迎えれば良かったのに。


 求めたのは、あなたですよ、とエリザベートは閉架図書室の扉を、そっと閉めた。



読んでいただきありがとうございました!



さてさて、ようやく陛下のあれそれが整いまして。

今後もよろしくお願いします。

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