5.白騎士
この血も肉も、心でさえも。
捧げたのは、一度きり。
凍った世界で目を閉じて、楽園の中で目をさました、あの時に。
「この春はね、きっと、あの子がもたらしたのよ」
あの人はそう言って、私の手を取った。あの人が告げた言葉によって、この楽園が誰かの手によってもたらされたことを知ったのだ。
ほんの七日間。だけどそれでもその人に、あのとき全て、捧げたのだ。
「ヘイリオ様!」
ミーリエルの呼び声に、ヘイリオが声のした方へと振り返る。駆け寄ってきたミーリエルは、深々と頭を下げた。
「お呼びたてして、申し訳ありません」
「いえ、どうかしたんですか?」
「少し、お話ししたくて。晩ご飯ご一緒してもよろしいでしょうか」
はい、とヘイリオは頷いて、ミーリエルと二人、大通りに面した宿屋兼酒場を目指した。
ヘイリオが選んだ酒場は、有名ではあるが、この界隈の酒場にしては珍しく、テーブルごとに空間が区切ってある。密室とまでは行かないが、ここから先はこのテーブルの客、とわかりやすくなっているのだった。格子状の区切りが三方を囲んでおり、意識から隣のテーブルの客の存在が消える。
「それで、何が?」
「リゼットのことです!」
席に付き、料理を頼むとすぐにヘイリオは切り出した。対するミーリエルも即答する。
「エリザベートの?」
聞き返すと、ミーリエルは力強く頷いた。ヘイリオはきょとんと瞬きながら、首を傾げる。
「リゼット、侍女じゃないけど、影役で戻れるだとか……あぁ、私もよくわかってないですうまく言葉にできません」
「いえ……、あぁ、なるほど」
うなずくヘイリオに、ミーリエルは首を傾げる。なんです、と呟く彼女に、ヘイリオはすぐにきた料理を店員から受け取りながら、簡潔に言葉を返した。
「護衛官としてでしょう」
「ごえい、かん……」
まさか、とミーリエルが首を振る。そのまさか、とヘイリオは真剣な顔で頷いた。呆然とするミーリエルに冷めますよ、と忠告して、食事をはじめる。
「私は、あの人だけは敵に回したくないですよ」
「リゼットが? ええ、だからって、そんな、どういうことですか」
「って、ミーリエルさんが言ってるよ、エリザベート」
隣のテーブルから出てきたのを見計らって、ヘイリオは現れたエリザベートを呼び止めた。
短い金髪にぐしゃりと手を当て、なんで、とエリザベートが呆れた顔をする。
「私はもう戻るよ」
なんで同時に姫様の側を離れるかな、と毒づいた。
「お互い姫様がオルウィス様のところにいるうちに、食事を済ませないといけないからね。俺もすぐに戻る」
その間は、オルウィス様付きの護衛官が人手を増やしてくれているから大丈夫ですよ、と心配そうなミーリエルにヘイリオが付け足した。
それに、としれっとした顔で、黒髪の若き騎士は笑顔を浮かべた。
「俺はエリザベートがそこにいるかいないかなんて、わからないからね」
「嘘だね! それは絶対嘘だね! あんたなんで自分が化け物騎士って呼ばれているかわかってないでしょ!」
どれだけ気配に聡いかなんて、騎士団のみんなはほとんど察してるんだから! と唸るエリザベートに、そんなことないよ、とヘイリオが笑う。
本当に仲いいのね、この二人、とミーリエルは目を丸くしながら、ええと、それで、と話を戻そうと試みた。
「リゼットは、姫様の護衛官になるの?」
ヘイリオ相手に喚いていたエリザベートは、それを聞いた瞬間うっ、と表情を硬くする。何よ、とミーリエルが目を眇めた。
「……今、ずいぶん君のお兄さんが陛下を通さず無茶をしてるよ」
はい? とミーリエルが瞬いた。
「兄は、今、騎士団の方で医者として……。最近、地方から呼ばれたばかりですよ?」
いったいエリザベートが護衛官云々と何が関係あるというのか、と首を捻るミーリエルを、平和で良いね、とエリザベートは肩をすくめた。
だいたいの情報を客観的に捕らえてもてあそぶことができるエリザベートだが、我が身に降り掛かることにはさすがに冷静ではいられない。
「この時期に、いきなり呼び寄せられたのが、ただの医者な訳が無いんだよ。まだエルには会ってたかなどうかな。あの人、確か五年前に陛下が即位すると同時に地方送りにされたでしょ。そのころのお兄さんの役職知ってる?」
知らない、とミーリエルは首を振った。なぜ? とヘイリオが視線で問う。その視線を受けて、だって、とミーリエルは言った。
「だって、兄は学院で優秀な成績を収めていたことを認められて、養子に出てしまいましたから。それ以来、あまりやり取りは。私もあの頃は行儀見習いで城に上がったばかりで、一番忙しかった時期ですし。気がついた頃には兄は地方で働いていて、そう言うものだと思っていました。手紙ではいつもの調子で元気そうでしたし」
甘いお菓子をよく送ってくれます、とミーリエルは微笑む。
「そのお兄さんが、宰相第一候補。ほとんど確定済み」
「……兄が?」
そう、とエリザベートが頷く。食べないならちょうだい、とミーリエルの食事に手を伸ばすのを、ミーリエルが慌ててよけた。なんだ食べるの? とエリザベートは手をひっこめる。
「もともと陛下の陣営だったのが、難癖つけられて地方にとばされてたんだよ。今回戻したけど、またすぐ何か起きたらたまんないってことで、騎士団の医者として、名前とかもごまかして、ばれないようにしたんだって。それにしたって医者はないよね。せめて参謀とか」
えええ、とミーリエルが突然ふってきた情報に混乱する。確かに兄の引き取り先の貴族について何も知ろうとしなかったのはそうだが、まさかそんなことになっているとは思いもしなかった。というか、ミーリエルも馬鹿ではない。長いことお城にいるのだ。兄がその状況でよくも実の妹である自分に何事も降り掛からなかったものだと感心する。いや、守られていたのだ。ウィリアローナをミーリエルたちが守るようにして、きっと、ミーリエルも兄に守られていた。
「で、信用できる、騎士団に入っても苦労をものともしなさそうな医者が見つかるまで、兼業するらしいよ」
「はぁ」
しばらく会わないうちに、兄がハチャメチャな人物になっていた。それを聞いて、ヘイリオがなるほど、と頷く。
「考え方が武官よりの文官ってことか。陛下の好きそうな人材だ」
わけがわからないわ、とぼやきながら、ミーリエルがはっとする。だから、そうじゃなくて、とエリザベートを見上げた。
「それで、その兄が、リゼットに何を」
「私だけじゃなくて、ヘイリオにも関係あるんじゃないかな」
「俺にも?」
「まぁ、そのうち知らせがくるでしょ」
あぁ、話しすぎた、とエリザベートがぼやく。内容ではなく時間の話だろう。それじゃ、戻るね、と手が振られ、待って、とミーリエルが呼び止めようとする。その向かいの席で、食事の終わったヘイリオが、帰り支度をはじめていた。
「ウィリア」
軽やかな声に、ウィリアローナが反応した。広い机の向こう側。開け放たれた大きな窓のすぐ側に立つ人影を、彼女はまっすぐに捕らえる。
閉架図書室。
ルチエラの言葉に狼狽えるウィリアローナを、エヴァンシークが咄嗟につれてきた場所だ。
なぜ、ここがわかったのか。
ウィリアローナは、人影を見つめていた。目の前の、エヴァンシークに見向きもせず。
人影は静かに近寄ってきた。かつりかつりと、長靴のかかとを鳴らして、人影はウィリアローナの側へ。
白い騎士服を身に纏い、エヴァンシークのすぐ隣に跪き、優雅な動作で右手を差し出す。
「ウィリア様」
柔らかく響くその声に、ウィリアローナの緊張が解かれた。救いがきたかのような、泣きそうな顔になる。
「このままでは、あなたの息が、止まってしまうような気がして」
浮かべられた笑顔に、ウィリアローナの膝の上の右手に力がこもる。エヴァンシークは何も言えずに、白い騎士を見上げていた。
エヴァンシークの視線に気づいたが、白い騎士は変わらず微笑む。
「片時も離れず、そばで守れと仰ったのは、あなたですから」
それは確かにそうだ。エヴァンシークは返す言葉も無い。姫を守れと、これに命じたのはエヴァンシーク自身だった。けれど、それでも、予感があった。だから、これを姫の側に置きたくなかった。
「この件については」
着ている白い騎士服にそっと触れて、肩をすくめる。
「次期宰相殿に、伺ってください」
私に聞かれても、困ります、と。
白い騎士は艶やかな笑みを浮かべて、わずかについたウィリアローナの手をすくい上げる。
ウィリアローナの手は白くて、細く、白い騎士の手のひらにのせられると、縋るように指に力が込められた。
「ねぇ、姫様。私はヘイリオとは違います。あの人はきっと、あなたのために、あなたが命じたことをするでしょう。あなたの本心はどうあれ、あなたの意思で、あなたが口にした言葉に従うでしょう」
それでも、私は。
「あなたのためを考えて、私のために動きます。私は、あなたの息が止まり、言葉を失う様子を黙って見ていたくないのです。ですが、これがあなたの意志に沿わぬと言うなら、そう、教えてください」
「……ト」
呼ばれた気がして、白い騎士ははい、と頷いた。
「どうして」
「あなたのための、居場所を得ました」
なんて、と気取っていた様子を崩して、白い騎士はクシャリと笑う。
「次期宰相さんが、無理矢理作った場所に押し込められただけなんですけど」
ひどいんですよ。ほんの十数日で作った、即席の地位ですから、と。崩れた様子に、ウィリアローナの肩から力が抜ける。エヴァンシークはそれを見ながら、そんなにも緊張させていたのかと知る。
それを、この白い騎士はほどいたのかと、思い知る。
「……エリ」
そのささやきは短かった。はい、と白い騎士は頷く。なおもエヴァンシークは呼びかけた。
「エリオローウェン」
「いいえ」
今度は首を横に振った。
「私は、エリで、リゼットです」
「エリザベートではないと」
「それは、便宜上ですから」
ねえエヴァン、と白い騎士は言う。エリザベートは、陛下の菫色をじっと見つめる。
なんだ、と、エヴァンシークは返した。
笑顔で告げられた言葉に、エヴァンシークの目が眇められた。あら怖い、とエリザベートが笑う。
「私がウィリアローナ姫を、連れて行っても構いませんか」
そんなことを、白い騎士は言ったのだった。
読んでいただきありがとうございます!
字数が多い割に前回から話がちっとも進んでませんが!
拍手レス不要とのことですが、ありがとうございました! 嬉しいです!
評価もありがとうございます!
雑記
ちょっと生活犠牲にしてまでやるこっちゃないのですが、はまってしまったのでこのサイクルから抜け出せません。抜け出さないとそろそろヤバい気がします。なんかもう毎日が夏休み状態の生活習慣です。
ただ金土日は更新できないかもしれません。金はギリギリいけるかもですが。
無理してまでやるこっちゃないのはわかってるので、突然更新止まるかもです。
よろしくお願いします。