3.襲来、と言っても良いかもしれない。
たった一つのために生きてきた。
そのために、最もよい選択肢を見つけ出し、選び、永遠にそれを繰り返す。物心ついた時から、きっとずっと、永遠に。死ぬまで選択肢を探して、選び続けるだろう。
だって、そうすれば間違えないから。
最も良い選択肢の中から探し出した物だ。それはきっと失敗しない。そうすれば間違ったりしない。
たった一つのために、生きてきた。
そうであれ、と生まれてきた。それなら、そうであるしかない。
そうであれと望まれて、そうでないことがわかったなら、そうであれ、と、そう思ってここまで一緒にきた人たちは。
一緒に来てくれた人たちに、失望させないために。
そうなるしか、なかったのだから。
わたしの目の前に、たいそう可愛らしい女の子が座っていらっしゃる。
身なりはとてもきらびやかで、綺麗に巻かれた輝く金髪も、頭のてっぺんから爪の先まで、立派な「お姫様」を体現しているような、女の子が。
彼女は黄金の瞳をキッとつり上げ、わたしを睨みつけていた。最初こそ、わたしの不吉な赤紫に一瞬怯んだみたいだったけれど、こちらが怯えれば優勢と見たのか一気に強気な態度に変わっていった。
続く沈黙に困惑しながら、背後をちらりと見やる。そこには怖い顔で相手の騎士を睨みつけているヘイリオがいた。
女の子の後ろに立つ暗い色の騎士服を着込んだ騎士は、飄々とした態度で立っている。短い黒髪に、恐らく目も黒だろうか。精悍な顔立ちで、背はすらりと高くて。ヘイリオのおかげで感覚がおかしくなっているのかもしれないが、それでも目の前の女の子のようなお姫様を護衛してここまできたにしては、若すぎると言っても良さそうな外見だった。
最初に見かけてしまったのが運の付き、だろうか。通りがかりに彼女たちを引き連れ困り果てた少年を見つけて、声をかけてしまった。制したヘイリオに従えばよかったかもしれないと今では思う。
女の子はわたしをじーっと見つめて、一言、「応接間へ通しなさい」と言い放ったのだ。殺気立つヘイリオをさりげなくなだめながら、通しはしたのだけれど。
通りがかりの侍女の一人が、ミーリエルへ伝えて、ミーリエルがオルウィスに伝えて、オルウィスが陛下に伝えてくれるだろうことを期待して、わたしはただ待っている。いやでも陛下忙しいだろうなぁ。ああ、けれど最近ようやく落ち着いてきたと仰っていたから、もしかしたら……。いや、運が良ければ……?
そのうちしびれを切らした女の子が何か言い出すかと思ったが、そんなこともなかった。ただわたしをじっと見つめて、眉をひそめている。
……女の子、とさっきから表現しているけれど、もしかしたらわたしより年上かもしれない。
ただ、なんの事前連絡も無くこの場にいる、という不可解さに、常識はずれなことをするのは年下、という思い込みが働いた。
……まぁ、わたしが常識を語るのも変なのだけれど。物事に疎すぎる自覚は、ちゃんとある。
ちなみに、最初に彼女たちを引き連れていた少年は、部屋の隅で丸くなっている。顔色が悪いのだけれど、生憎そちらに気遣えるだけの余裕がわたしにも無かった。この女の子の相手で精一杯だ。
「……あなたは、なんでここにいるんですの」
挨拶も何もかもをすっ飛ばした、思いもしない問いかけに、目を見開く。無礼な問いに答えるのは、こちらが格下であればまだしも、相手の格もわからない上に最低限の礼儀も果たしてこない、言葉が通じるだろうかと、まだこちらから言葉を投げかけてもいないうちに途方に暮れる。
そして、なんと返していいかもわからなかった。ありのままを伝えるべきだろうか。それより先に、マナー違反を指摘するべきだろうか。
本当、誰なのだろう、この人。
応えないわたしにただでさえ上がっている目をさらに吊り上げ、勝手に彼女は話し出した。
けれどそれは最初の一言から、聞き逃せないものだった。
「あたくし、夫に会いにきましたの」
「……はい?」
わたしが返事をした途端、にんまりと女の子の唇が弧を描く。ええ、そうですとも、と彼女は微笑んだ。
「先日、こちらに滞在している新しい側室のお話を聞きまして。なんでも、陛下自らの手で攫われたところを助けていただいたのだとか。留守を預かってもらっている身としては、苦労をねぎらうことも必要でしょう?」
一息だった。割り込む隙もなかった。結果全て正面から聞いてしまったわたしは、二の句が継げない。
「申し遅れました。あたくし、ヴェニエール帝国皇妃、ルチエラですわ。というわけであなた、先日来たという新しい側室を呼んできてくださる?」
なぜあたくしの向かいに腰なんておろしているの、とでも言いたげな視線だった。
そう、か。
一方で、わたしは深く理解する。納得する。たしかに、そうだ、と。
陛下には、正妃様がいらっしゃったのか。
ヴェニエールほどの大国ともなれば当然だろう。むしろ、いないと思っていたことの方がおかしかったのだ。確かに春はこず、冬に閉ざされていた国といえども、多くの国民が暮らし、この国を基準にして巨額が動いていたのだから。
意識の遠くで、扉の開閉音が聞こえた気がしたが、それどころではなかった。
陛下には、既に正妃様がいらっしゃった。目の前の、綺麗な金髪に黄金の瞳をもつ女の子。確かに、陛下と並べば絵画の一枚のような、そろえて神々が造り出したと言われれば頷いてしまうような、一対となれる二人。
名乗られるとこのかたは年上なのだと思い直し、となれば、わたしよりも確実に陛下との年齢も近い。あぁ、なるほど。間違いない。
どこかぼんやりと、現実に対し靄のかかった意識下で、深く納得する。
だから、わたしの部屋へ渡ることも無かった。
婚約の儀の際に、キスをしなかった。
考えてみれば、いくらでもその兆しがあった。婚儀の日程については音沙汰が全くない。正妃様がいらっしゃるのであれば、本当に婚儀をあげること無く、婚約者、という位置づけで、ヴェニエール帝国の所有物、春を呼ぶ聖女、という肩書きで十分なのかもしれなか
「いったああああああい!」
お姫様……ではなく、正妃様の悲鳴が響く。思わず瞬いて、そちらを向いた。
静かな佇まいで、なのにどこか着ている服がよれているのが不思議な、陛下が、正妃様が座るすぐ側に立っていた。
正妃様は額をおさえ、陛下は、拳骨を握っていて。
並ぶ二人の姿を目にして、あぁ、絵になるなぁ、と呟いたわたしの後ろで、ヘイリオが「姫様、よく見て。ちゃんと見てください」と口元を引きつらせて囁いた。
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