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6.エリ






 騎士の手にかざされた明かりに照らされて、それはとても素晴らしい光景のように思えた。

 皇帝陛下の手で、大切に大切に抱き上げられ、眠る姫様。

 ほっとして、安心しきった顔で、眠りにつく彼女を、ヘイリオは、ただ、見つめていた。


 守れた、と思うと同時に、守れなかった、と思い知る。


 害されてはいなかったかもしれない。けれど、赤く血のにじむあの手を見れば、あれで良かったなどとは到底思えない。


 あんな思いをさせては、いけないはずだった。



 唇を噛み締め俯いて、目についた物を拾い上げるためにヘイリオはかがむ。それは、陛下の手から滑り落ちた剣だった。拾い上げ、顔を向ければ、陛下がこちらに気づく。左手で難なく姫様を抱いたまま、危なげなく右手で剣を受け取って鞘へとおさめた。


 もう一度、陛下に寄り添う姫様を、ヘイリオを見つめる。


 失わなくてよかったと、思った。




 陛下や他の騎士が星見の塔から出て行って、ヘイリオは一番最後に塔を降りる。人の気配に振り返った。

 塔のすぐ近く。

 けれど、木々の中、誰かが座り込んでいる。

 その姿に、瞠目した。

「……エリザベート」

 ゆるりと顔を上げるエリザベートに、大丈夫、と駆け寄る。

 ヘイリオは知っていた。エリザベートが、どれだけ姫様に尽くしてきたか。

 姫様の知らないところで、ヘイリオの知らないところで、もしかしたら、陛下でさえも知らないところで、夜も昼も無く敵を遠ざけ続けてきたのか。それだけ、姫様のいたあの場所は、あの人の敵ばかりだった。

 どれだけこの人があの姫様を大切に思っているかなど、その実際はヘイリオが想像している遥か上を行くだろう。

 そんなエリザベートが、今回のことでどんなに動揺しただろう。どんなに、我を失ったことだろう。

「どうして、」

 細い声は、そんな言葉しか発せない自分自身を責めているようにしか聞こえなかった。

「どうして、姫様の側から、離れたの」

 一番傷ついているのはエリザベートだとわかっていたから、ヘイリオは何も言わなかった。

「どうして、あの人を、一人に」

 ああけれど、姫様を守りたいのはヘイリオだって同じだったから。

「先に一人にしたのは、あなただ」

「私は!」

 ヘイリオの一言に咄嗟に言い返そうとした瞬間、エリザベートの言葉が途切れた。

「……私、は……」

「エリザベート。姫様を守りたいなら、姫様の側にいましょう。俺とあなたで、あの人を守りましょう」

 何を躊躇しているのか知らないけれど、姫様もきっと、あなたが側にいてほしいと思っている。

「侍女として、でなくても良い。騎士としてでも、何でも良い。わかりやすく、あの人のために生きれるような、そんな居場所を作れば良い。俺も、手伝うから」

 だって、とエリザベートは首を振る。だって、こんなに、と両手の平に視線を落として、自分自身を抱きしめる。

「だって、私は、こんなに」

 汚れているのだ、とエリザベートは囁いた。この手も、身体も、何もかも。これだけは自分の物と大切に大切に守ってきた心でさえ、あの人に捧げていい物か分からない、と。

 この人の生い立ちを、ヘイリオが知るわけも無い。けれど、同じ歳くらいで、これだけの力量の違い。ヘイリオとは全く違う、正統ではない戦い方。戦いの中で戦い方を覚えたような、エリザベートが身につけているのはそんな、命を奪うためのもの。

 それでも確実に、陛下の命、姫様の命を、その腕一つで守ってきた。それなのに、エリザベートは首を振る。なぜ、とヘイリオはその肩に手をかける。しかしそれは、苛烈な勢いでたたき落とされた。

「知っているくせに!」

 悲鳴のような、響きだった。

「城の者は、みんな、知っている。私はエヴァンのものだ。エヴァンのために敵を見つけて、エヴァンのために嘘をついて、エヴァンのために、私は、戦って。全部エヴァンに必要だった。敵の多いエヴァンを守るために、私が身につけなければいけないものだった」

 知っている。

 エリザベートが、どれほど皇帝陛下から信頼されているか、知っている。

 誰も側に置かない皇帝陛下。唯一といえるオルウィスでさえ、手の届かない遥か高みに、あの人はいる。そこにやすやすと手を伸ばし、手を取られ、引き上げられて、隣に並ぶエリザベートが、陛下にとってどれほど大きな存在かも。

 かたくなに陛下を陛下と呼ばないのは、それが、エリザベートと皇帝陛下の決めごとのようなものだと伺えた。

「何より、あの人が私を失えば」

 言葉が途切れる。見つからなかったのだろう。続く言葉に、何をいれれば良いか。

「エヴァン、には、味方がいないから」

 それを話してくれるくらいには、この人の信頼を勝ち得ているのだろうかと、自惚れる。

 ヘイリオにとっての姫様と、エリザベートにとっての姫様はどう違っていて、エリザベートにとっての陛下とはまた、どれくらいの違いだろうかととりとめも無く思った。

「エヴァンには、人の、好意が、分からなくて。あの人は、陛下と呼ぶ人は陛下のものであって、自分のものではないのだと。ヴェニエール皇帝を慕う者は、エヴァンシークを求めていないのだ、と」

 そんな人、ばかりではないのに。なのに、否定しきれないこの世界を嘆くしか無かった。

「私がいないと、エヴァンは、きっといなくなってしまう。皇帝陛下という仮面の中に、埋もれて、消えてしまう」

 気が、して。

「姫君の側に行こうと思えば、いくらでも行けた。エヴァンが望んでいないこともやってきた。でも」

 でも、とエリザベートが繰り返す。あぁ、と、突然肩の力が抜けたように惚けた表情をした。なんだ、と。

 そうだね、とヘイリオは返す。エリザベート、君は、難しく考えすぎたんだよ、と。

「でも、姫君が、きてくれた」

「そうだね、姫様がいるから、エリザベート」

 エリザベート。


 思い出すのは、塔の上。優しく姫様を抱き上げた陛下と、それに寄り添う姫様。真っ暗な塔の中、明かりに照らされた、二人のお姿。


 確かに姫様の側に陛下が膝をついたのだけれど。何故だろう、姫様よりも皇帝としての陛下を見る機会が多かったからだろうか。


 遥か高みにいるあの人に、姫様が降り立ったような。そんな、錯覚が、あのとき。


「君だけが、陛下をつなぎ止める必要は、なくなったんだよ」

 この人は、守ってきたのだと知った。

 陛下の心を、全力で。遥か高みで凍り付き、砕けてしまう寸前の陛下の心を、祈りながら。

 ずっと側にいたからできたことだろうか。ヘイリオの知らない、もっと別の何かが、陛下とエリザベートをつないでいたのだろか。


 ヘイリオは知らない。エリザベートの恩も、エヴァンシークの孤独も。


 ただ、側にいてこの剣で救えるのなら救いたい、と願った。

 捕われているのであれば、断ち切れるもので、あるなら。


「エリザベート」

 これ以上は踏み込み過ぎだろうか、と躊躇する。けれど、この問いを引き下げる気もなかった。

「君は君の仮面を、取るべきじゃないか」

 瞬くエリザベートに。ヘイリオは沈黙を返す。

「エリザベートをやめても、姫様はきっと笑って受け入れてくれるよ」

 それは、とエリザベートがヘイリオを見上げる。

 ぼんやりと見つめあって、ううん、とエリザベートが首を振る。ようやくその口元に、いつもの笑みが戻った。

「私は、エリザベート」

 そう。と返せば、うん、と笑う。そうして、いろいろあったんだけどね、ほんとは。と、独り言のように、聞き手のヘイリオのことを全く考えずこぼすのだ。

「第一候補は、エリオローウェンで、それが嫌ならエリオローレンでもエリオローランでも好きにしろといわれたから、エリザベートになったんだ」

 本当に脈絡が無かった。繋がりが読めず、何が、と瞬くヘイリオに、エリザベートはさあねぇと肩をすくめる。

「言い出したあの人は、ただ、亡くしてしまった人の名前を忘れたくなかっただけかもしれないけれど」

 あの人? ヘイリオの問いには、ウィリアローナ姫様のお姉さんのことだよ、となんでもないことのように返してくる。

「さすがにその名前を貰うには恐れ多すぎて、私は、最初のふたつの音をもらって。だから、あの人も、陛下も、私をエリと呼んでくださる。エリザベート、リザ、ベート、いろんな人からいろいろ呼ばれたけど。うん、そう、それらは全部あとづけで、どうでも良くて、侍女の身分を貰うにあたって、都合が良かったから」

 あぁ、でもねぇ、とエリザベートは微笑んだ。

「リゼットは、別なんだぁ。これは、エルがくれたから」

 ほんとは、エルにはエリって呼んでほしかったと思ったこともあったけど。先に「私のことはエルって呼んで」って言われてしまったから。

 じゃぁ、私のことはエリで。

 そんな風に、無邪気に言えたら良かったんだけど。エルが最初の、今では特別な呼び名になって。

 言いながら、エリザベートは立ち上がる。その場で伸びをして、あぁ、と息をつく。


 よかった。


 小さく、金髪を震わせて、空を仰いで口にした。




 沢山聞かせてもらった。知らなかった陛下のこと、エリザベート自身のこと。

「今日はずいぶん、口が滑ったものだね」

「そだね」

 取り乱しすぎた、と困ったようにエリザベートは頬をかく。照れくさいのかもしれなかった。聞けてよかったと、そう思う。姫様を守るという、ただその一点で近づいて、親しくなったけれど、まさかこんな形でエリザベートのことを知れるとは思わなかった。

「私としては、ヘイリオの中身も気になるんだけど」

「俺?」

「いつも何考えてるの?」

 疑わしげな眼差しに、勘弁してよ、と手のひらを見せる。

「俺は何も考えてないよ。ただ、姫様の望みを叶えて差し上げたいだけで」

 はー、とエリザベートがヘイリオを見てくる。なに、とヘイリオが眉を寄せると、別に? とエリザベートは楽しそうだった。

「ヘイリオって姫様のこと、とーっても好きだよね」


 どこかで聞いたことのある言葉だった。

 その言葉を向けられた目の前のこの人は、はぐらかしていたけれど。


 そうだね、とヘイリオは微笑んだ。


「正直、君とは張り合いたくないけど」


 負けるとは、認めたくないけれど。

 それにしたって、知らないところでの働きが、影に埋もれているとはいっても輝かしすぎた。


「……姫様の侍女してたとき、君っていつ寝てたの」


 ぽつりと問えば、え? なんのこと? とエリザベートはくるりとかわして先に城へと戻るのだった。





読んでいただきありがとうございました!



雑記

 エリザベートの内心とかは、かなり細かく考えてはいたものの、本編にはちょっと組み込めないだろうなーって言うのと、かといって番外編とか拍手に使っていいネタじゃないなーと幕間に盛り込んでみました。


 お話が経過すれば経過するほど、登場人物たちの年齢をカミングアウトしにくくなっていくというこのジレンマ。ええと、そのうち。そのうち、ですね。

 ひとまずこの二人は十代思春期真っ盛りで、二人の強さはほとんど思いの強さでもあります。思い込みともいう。なんでそこまで思い詰めたし、とねえちょっとと手をかけたくなる勢いといいますか。やりすぎたような気もするような。


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