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26.囚われた姫君と星見の塔。



 誰よりも長い時間を生きてきたと一目で分かるような男が、エヴァンシークの前に現れた。その瞬間、その場が騒然となる。誰もがその男の存在に驚き、疑い、一歩下がる。跪く者さえいた

「ああ」

「おつかれさま、皇帝陛下。それでは、わしももう良いのかね」

「……そうだ」

 それはよかった、と男は微笑む。これでやっと、領地に帰れると。

「今まで、不自由をさせたな。……宰相殿」

「いやいや。この事態、わしにも責任がある。わしの後任は誰かな」

「候補はいるが、しばしお待ちいただきたい。それが終わり次第、すぐに領地に帰れるよう手配する」

 任せるよ、と男は穏やかに言って、その場にいる全員を見回す。ご苦労だった、と一言いうと、そこでようやく、事が終わったというのに一様に暗い表情をしていることに気づいた。

「……? 何かあったのか」

「姫様が」

 宰相はその言葉を聞いて、しばし沈黙し、あぁ、と声を出す。

 窓の外を、仰ぎ見た。


「囚われのお姫様というのは、いつの時代も、城で最も高い塔の上だが」


 穏やかに、宰相はエヴァンシークを見据えた。

「行っておあげ」

「なぜ」

「長い付き合いだからね、あのお方のやりそうなことだとわかる」

 ざっとエヴァンシークの表情が強ばる。身を翻し、その場から立ち去るエヴァンシークに、数人の騎士が続いた。泡を食った様子で、オルウィスも追いかけようとエヴァンシークを振り返る。

「あのお方はね、それでも陛下を愛しているんだ」

 ぽつりと呟かれたその言葉を、オルウィスは確かに聞いた。けれど、遠ざかる陛下の後ろ姿に、慌ててそちらを追いかける。

 残された宰相は小さく息をついて、その姿を見送った。

「本当に、」


 困ったお方だ。







 ヴェニエールの城で、最も高いのは星見の塔だった。数人の博士たちが、引きこもって研究を続けている。階段は中心を一本螺旋状にまっすぐ通っており、恐らくそれぞれの研究室に寝食も忘れて引きこもっている博士たちに聞いても、出入りした者のことなどわからないだろう。

 出入り口には見張りもいない。星を見るのが好きでその動きを研究する者たちを、数代前の皇帝が取り立ててやり作ったのがこの塔で、国の運営とは全く関係ない塔なのだ。遠い国では星の動きによって未来を予見し国営に影響させているという話だが、この国でそういったものを信じる人間は少なかった。

 予算割り当ての扱いとしては、芸術家の援助と同じ区分となっている。


 エヴァンシークの登場に博士たちはざわついたが、それでも慌てる者は少なかった。弟子たちが騒然となって対応に追われている。

 それら全てを騎士たちにまかし、エヴァンシークは塔の上を目指す。石の組み方のせいか、隣の部屋の音が全く響かない。博士たちはこの環境を気に入っているようだが、そのおかげでウィリアローナがどこにいるかもわからない。

 とりあえず、エヴァンシークは最上階を目指した。塔の途中には南の空が広く見えるように作られたテラスがあり、博士たちはここより上にはなかなか行かない。ここから上は物置です、と追いかけてきた博士の弟子が告げた。

 いくつもの扉を過ぎて、最上階に辿り着く。開くと思ったよりも片付いている客間だった。大昔に地位の高い罪人を幽閉した場所だろうか、窓には鉄の格子がはまっている。

 誰もいない。ここじゃないのか、と視線を巡らすと、微かに軋む扉があった。

 不規則な音。何度も、何度も。


 まるで、内側から弱々しく出してくれと叫ぶような。


「姫?」

 呼びかける最初の声はかすれた。まさか、と後ろから追いついてきたオルウィスが囁く。

 扉の向こうから断続して叩かれる弱々しい音は、やまない。

「姫!」

 張り上げた怒声に、音が一度やむ。少しの間の後、激しく扉が叩かれ始めた。何故声がしないのか、焦燥に駆られてエヴァンシークは扉に手をかける。あかない。錠が下がっているのを見て、博士の弟子を振り返った。

「鍵は!」

「わ、わかりま」

 怯える弟子の答えを途中で放置し、剣を抜く。

「ウィリアローナ! そこを」


 光の、一線。


 言いかけた、その瞬間。肩で息をする若き騎士の姿に、わずかな時間で、ここまで上がってきたのかと瞠目する。錠が砕かれ、開かれた扉のすぐ側に、ウィリアローナの姿があった。

「……」

 こちらを見上げて、泣き出す寸前の顔に、エヴァンシークの手から剣が落ちる。

「怪我は」

 甲高い金属音の隙間からこぼれた感情の抜け落ちた声に、エヴァンシーク自身が動揺する。ウィリアローナはそんなエヴァンシークに気づきもせず、ゆるりと首を横に振った。首を振りながらそっと両手を膝に押し付ける様子に、エヴァンシークは数歩で側に膝をつき、その手を取る。

 先日触れた、傷一つない手が赤く擦り剥けていた。小指や、手のひら、何度も何度も扉を叩いたことがわかる。

 ウィリアローナは、笑わない。泣き出す寸前の顔から固まってしまったように、ぼんやりとエヴァンシークを見ている。

 驚いているのか、呆然としているのか。

 声を、聞かせてほしかった。

「姫」


 いったいいつからここに閉じ込められていたのだろうか。何度も、何度も、扉を叩いていたことがわかる手や、室内の荒れた様子。手当たり次第に扉へ物を投げつけたのだろう。ほとんどが壊れていた。


 物音に気づかなかった、博士たちを咎めるわけにはいかない。

 これは、こちらの落ち度で。けれど、攫った相手が相手だった。咎め立てるわけにも行かない相手だ。証拠も無い。こんなことをするのはあいつだけだろうと、予想はついた。しかし足がつくようなことは一切していないだろうし、そもそも見つけ出すことそれ自体が困難だ。

 そういった話を、ウィリアローナにどう説明したら良いかもわからなかった。

「すまなかった」

 思い切り首を横に振られる。振った後で、じっと、赤紫の瞳はエヴァンシークを見つめていた。まるでそこにちゃんといることを確認するかのように。

 丸一日もこんなところに一人取り残されて、どんなに心細かっただろうか。大切にすると決めていたのに。一度消えたあの夏の日よりもずっと、焦燥に駆られた。それは、エリザベートの存在の有無の違いもあったかもしれない。しかしそれよりも、一緒に過ごした時間でウィリアローナをより知っていたからかもしれなかった。

「すまなかった」

 もう一度、呟かずにはいられない。痛むだろう手を握って、許しを請うようにしか、エヴァンシークは言えなかった。

 慌てるウィリアローナは、困ってエヴァンシークの背後を見やる。オルウィスや、ヘイリオ、博士の弟子、と順に見やって、エヴァンシークへと視線を戻した。




 ゆるりと、握られていない方の手を伸ばす。

 陛下、と囁いたけれど、相変わらず声がうまく出せなかった。ウィリアローナの喉は、今はもう痛んでいないけれど、声はやはりうまく出せない。目覚めて閉じ込められていることに気づいてから、無理に叫んだことも理由の一つかもしれない。

「へい……」

 言葉を途中で途切れる。睨む姉が思い浮かんで、呼び方に戸惑った。いつだって同じ呼び方で、なのに、姉のあの目を思い出すと躊躇する。

 陛下と呼ぶことで、陛下でしかいさせ無かったのは、もしかしたら自分自身なのかと、ウィリアローナは考えた。

「エ、ヴァンシー、く様」

 わずかなささやきに、エヴァンシークが顔を上げた。瞬く菫色に、ウィリアローナの羞恥が湧きあがる。なんでもないと首を振り俯けば、握られていた手をゆるりと引かれる。

 あれ、と思った時はエヴァンシークの腕の中だった。夏のあの日も、こうして抱きしめられたと思う。なのに、鼓動の脈打ち方が遥かに違う。あの時は、こんなにも、力強かっただろうか。こんな、頭が真っ白になるような。

 息が。

「すまなかった」

 三度目だった。それよりも、昨夜から今日にかけてエヴァンシークのなしたことの妨げになりはしなかったがひどく不安だった。されるがまま抱きしめられ、動けなくて、ウィリアローナはそっと両手をエヴァンシークへ伸ばす。ウィリアローナ自身もエヴァンシークを抱きしめるように、彼の背中へは届かないため、抱きしめてくるその腕に、ゆるりと手を回した。

 その途端に、ふわりと身体が浮き上がる。なんの前触れもなく抱き上げられ、ウィリアローナは慌ててエヴァンシークへと身を寄せる。




 戻るのだ、とほっと息を吐いた。

 あれから、明け方近くに目覚めてからずっと扉を叩いていた。

 不安と疲労からの緊張がとけ、安心感から眠気が襲う。エヴァンシークがきたからもう大丈夫、と、ウィリアローナは目を閉じる。



 頭のてっぺんにと落とされた何かに、姫は気づいたか、どうか。




(第三章 おしまい)




読んでいただきありがとうございました!




雑記

スライディング土下座です。

もうなんか10月中に終わらなかったどころか26話って。まさかのでしたでしょうね。不要な変化球かました気分です。

24話書き終わってアップして「さて、あと二話かー」と思った瞬間が後の祭りでした。

すっとぼけていて構成間違えました……。まぁ、よし。わたしのお話だ。


幕間はさんで、四章に突入いたします。

これからもよろしくお願いします。

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