25.あの日語った寝物語、いつかの建国譚。
「神様がいたのよ。少女にとっての神様が。その人の妻であれと望まれ、そうして神様の妻となった少女が」
それ以外を、選べなかった少女が。
でも、少女は神様が好きだったし、大切にしようと決めていた。けれど、その神様は何の取り柄も無い娘を前に、恋に落ちてしまった。彼女を望み、側に置いて、その娘だけを大切にしたの。少女のことなどすっかり忘れて。
息子ができて、王国を与えて。
少女は。春の女神は、決して人間の娘を受け入れたことなど無かったのよ。
その子はひたすら、神様に愛されなかった自分自身に失望して、そのことにそれほど悲嘆に暮れなかった自分自身に愕然とした。
少女の方も、神様を愛していたわけじゃ、なかったんだわ。
母は笑っていた。そして、嘆いていた。
「色々なことが、少女に降り掛かったの」
語られた神様と少女の話。春の女神の叶わなかった恋の話。
それはまるで、母様が大切にし続けてきた思い出のようで。
「全て、君は知っているね」
男性の笑みに、わたしは現実に引き戻される。体中が総毛立って、肌がぴりぴりと痛んだ。
あれが。
ただの、寝物語として聞かされてきた「あれ」が?
「ほんとは全部聞かせてもらうつもりだったのに、君が余計なことするから」
「悲鳴などあげられて、化け物騎士に襲われるのは避けたかったので」
淡々と返す女性に、そっかそっかと男性は笑った。
「その状態じゃ、語らせるのは酷だしなぁ。また今度にしようかな」
その隙があると良いんだけどねぇと、笑う。
軽薄な笑い声に、わたしは男性をきつく睨んだ。
「また今度ね、お姫様」
男性が立ち上がる。視線が外れた途端足を一歩踏み出した。動けなかったという事実に今更気づく。
「ま、って」
男性が振り返った。
「うん?」
「なんで、こんな」
「ハプリシアだと思ったのさ、君のこと」
なのにね、聞いてた話とずいぶん違って。
「あの人を愛してくれる花嫁は、リンクの妹だとばかり思っていたんだ。息子のように思っていた、たびたび可愛がっていたあの可愛い王子の。それが違うって言うから、調べたくなった」
まぁ、とっくの昔に情報はまとめられて、聞いたその瞬間にこの子が書類を出してきたわけだけれど、と女性を指して男性は笑う。
「そしたら今度は辺境伯が気になって、君の母上が気になって、調べていくうちに、決定的な何かが出てこないことに気づいた」
それだけの、話だよ。もう良いかな? と男性は首を傾げる。
「あなたは、誰」
「私かい?」
何だそんなことかと男性は笑って、くるりと軽やかにターンをし、わたしに向き直る。
「私は、最もコウテイヘイカを愛さなくちゃいけなくて、それでいて、あの人から最も憎まれている者だよ」
「それ、って」
そうだよ、と男性は頷いた。でも、駄目だよ、と微笑む。
「きっとあの人は、花嫁たる君の口から、私の存在がこぼされることさえ、耐えられないことだろうから」
先帝。
「私は、幸せにしたかっただけなんだけど。でも、私が望んだ幸せは、あの人の不幸に繋がってしまった」
危険な場所から遠ざけただけだったのに、まわりが思い違いをして、あの人を不幸にしてしまった。
「あの人……」
実子である陛下を、そんな風に呼ぶの。
男性は、笑顔のままだった。
「だからね、お姫様。あの人を幸せにしてやってくれないかな」
気がつけば、すぐ側に女性が立っていた。驚いて男性から目を離し、女性を見上げると、最初のように布で口を覆われる。
「愛されていた君なら、あの人のことも」
知らない。
覚えてない。
意識がかすんだ。今度は意識を奪うものをかがされたらしい。くらくらする。吐き気、が。
崩れ落ちたウィリアローナを抱きとめて、女性はウィリアローナを担ぎ上げた。
「皇帝陛下」
議場から出たところで、蒼白な顔をしたミーリエルが、エヴァンシークにすがりつかんばかりの勢いで飛びついてきた。咄嗟に、横に立っていた騎士がエヴァンシークをかばい彼女を受け止める。
花嫁付き侍女のただならぬ様子に、エヴァンシークの表情がさっと変わった。
「どうした」
「ひめさまが」
前にもあった、こんなことが。
「エリザベート!」
エヴァンシークが声を張り上げる。視線を巡らせると、そこには恐怖を浮かべ、立ち尽くすエリザベートの姿があった。
「っ、ヘイリオは」
「い、いま、ひめさまをさがしてま」
エリザベートが音も無く駆け出す。呼び止める間もなく、姿は見えなくなった。
「何があった」
「姫様が部屋にお戻りの途中、悲鳴が聞こえて、ヘイリオ様は様子を見に。それで、侍女が怪我をしていて、不審人物の報告を聞いて、集まってきた侍女に姫様を頼んでヘイリオ様は対処を。頼まれた侍女がヘイリオ様に聞いた場所に行ったときには、ひめさまは、いなくて……」
ばたばたと後ろから数人の侍女が駆けてくる。一人がエルの様子に気づき、その肩に手を添えた。
「誰か、エル様を休ませてあげて。陛下、不審な車両、荷の出入りは確認できませんでした。不審人物と姫様はまだ、城内にいる可能性が高いと思います。ただ、姫様がいなくなったのは昨夜。もう、丸一日経っています」
一人の侍女が出す指示に、ミーリエルが連れて行かれる。侍女の言葉にはっとして、エヴァンシークは外を見た。外は暗く、既に日が落ちている。
「……お前は」
「はい。先日姫様付きの侍女として城に招かれました」
そうか、と陛下は返す。探せ、と短く命じて、会議室を振り返った。
「中の者は連行しろ。こちらのことには構わなくて良い」
短い返事を聞きながら、頭の中ではものすごい速さで思考が流れていく。
ウィリアローナが姿を消したのは、昨夜。
その事実に、エヴァンシークは歯噛みする。昨夜から今日にかけて行われたのは、先帝時代の掃除だった。
昨夜に情報を流し、泡を食って証拠隠滅をし、逃げ出そうとする雑魚どもを一網打尽にして、超然と構え言い逃れをする者たちを議会の場で追いつめる。
多くを罷免し、捕らえ、呼び寄せ力をつけさせていた実力のある者を相応の地位にすげ替えた。
「一番危険だと思ってはいたが、昨夜、だと? まさか情報を流したか流してないかのタイミングで……」
いったい、誰が。
握った拳はほどかれること無く、エヴァンシークの手のひらに食い込んだ。
タイミングの良さに、気味の悪さが拭えない。
「狙ったんでしょうか」
「やはり、エリザベートをこちらに呼び寄せるべきではなかった」
オルウィスの表情が歪む。しかし、と何ごとか言いたそうにして、首を振った。
離れた途端何かあったらたまったもんじゃない。
エリザベートがかつて口にした言葉がよみがえる。
ヘイリオがいた。という、その事実。あの騎士の存在を過信しすぎたのかもしれなかった。
こちらの駒が、足りなかったというのだろうか。
「終わったのかい」
廊下の向こうからやってきた穏やかな声に、その場の誰もが目を疑う。
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