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24.お母様。


 なにを、言っているのだろう、この人は。


 君はどうして春を、呼べたのかな。


 そんなの、わたしが知りたい。

 そんなの、わたしは知らない。


 首を横に振るしかできなかった。喉は焼けるように痛んだままで、時間が経つにつれてどんどん言葉が声にならなくなる。

「そっかそっか」

 知らないのかー、と男は困ったように首を捻り、あれ? と瞬く。

「なんで声、でないの?」

 問いかけに、わたしは思わず背後の女性を見る。えーと男性は眼を丸くした。

「何してんの! あの人に怒られるの私だよ! あぁ、いや、あの人は私のことなんて顔も見ない気だからやっぱり放置されるのかな。でもさすがに花嫁に手を出されたらあの人もさすがに」

 言いながら意気消沈していく男性を横目に、女性が男性の方へと歩き出す。男性の背後にまわったかと思えば、おもむろにガンっと椅子が軋んだ。

 ……蹴り上げた?

「うっわ君ほんっと容赦ないよね」

「そもそも、花嫁を攫っている現時点で何らかの注意は避けられないかと」

 これで注意ですむと思っているあの人もなかなかだと思います。

 わたしは呆れてものも言えず、逃げ道が無いか視線をさまよわせる。

「無理だよーこの子、すーっごい速いから、逃げても追いつかれて連れ戻されるからねー」

 読まれていた。仕方なく、視線を男性へと戻す。


「さてさて、話がずれたね。えーっと、なんで春が呼べたのかな? これに君は、何も知らないようだった。だろうね。じゃあ、もう一つ聞くよ?」


 穏やかな口調で、やはり男性はその場から動いていないのに。

 やはり、追いつめられている気分になる。


「君の母上は、何者だったのかな?」


 かあ、さま?

「辺境伯爵領のひとり娘? たった一人残った?」

 そう、そのはずだ。ぼんやりと思考を巡らしながら、わたしはうなずく。母様は、伯爵家のひとり娘。両親は先に亡くなられていて、そして、父様に出会って。


 会話の中で、どこか違和感を覚える。引っかかる。なにか、この人がこんなことをわたしに語るのはおかしいと、そう。

 気づいて、怪訝な視線を向けた。あぁ、気がついた? と男性は笑う。

「そっかそっかー。やっぱり賢い子だね。そうだね、わたしは最初、君をハプリシアと勘違いしていたね」

 でもさすがにわたしでも、ハプリシアが銀髪ってことは知っているんだよ?

 かわいこぶって首を傾げないでほしい。というか、だったらその場ですぐに気づいてほしかった。暗がりなのでもういろいろ細かいところは見えないのだけれど。表情も作っていらっしゃるのかなこのお方。見たいような見たくないような。

「私が訂正しました」

 背後で女性が付け加え、男性があちゃぁと手を額に押し当てる。台無しも何も……。あぁもうなんですかこの人調子狂います。怖がりきれないじゃないですか!

 わたし、攫われたんですよね?


 そんなことよりも、なぜ、ここで母様を持ち出してくるの。春を呼ぶ血は王家のもので、それはおそらく父が持っていたもので。

 なぜ、そこにそんなにも突っかかるの。

「いやいや。君は、自分が発生した時を覚えているのかと思ってね」

 わけが、わからないことを、言われた気がした。

 男性はわたしの視線に気づいたのか、だって、と肩をすくめる。


「ニルヴァニアの辺境伯爵領に、ひとり娘なんていたかなーって」


 それでね、と男性は前屈みにわたしの顔を覗き込むような仕草をする。

「極めつけはその眼の色でね。綺麗な赤紫。これは、もう、魔性を疑わずしてどうするって話になるわけなんだよ。わかるかな、お姫様。ニルヴァニアの先王時代の王太子は、そんな瞳の色はしてなかったはずだからね」


 まーもともと神聖王国は魔性に魅入られた国なわけだけどさー。そしてその国の首都をぶんどって成っちゃったのがこの国だからもー決まってたことかもしれないんだけどさー。


 思いもよらない言いがかりだった。訳が分からない。なんでそんなことを言われなくてはいけないのだ。

 言い返せない、この口が悔しい。

 動揺し、脈打つこの心臓が憎らしい。


 戯言に、何を怯える必要があるというのか。


 だって。


(うるさい)


 だって、わたしはおぼえていないから。


(だめ、今ここで、それを思い浮かべては)


 だってわたしは覚えていない。

 わたしには、公爵家に引き取られる前の記憶が、ちゃんと、無いから。


 幼すぎて覚えていなくとも当然だといわれても。

 わたしには、覚えていないことが、あるから。


「わたしは、ちゃんと、母様と父様の子ども、よね?」


 喉は痛み、声はかすれた。けれどその言葉を、男性は優しく拾い上げてくれる。


「さぁ、どうだろうね」


 柔らかな笑みでの言葉は、けれどわたしを突き落とした。

「っ」

 悔しい。言い返せないことが、問いかけも容易にできなくされた今の状態が。


 陛下は、わたしがいなくなったことに気づいているだろうか。

 今夜から明日にかけて、連絡はつかないという話だったから、気づいていないかもしれない。

 それなら、明日までに、ここを出る。

 絶対に。

 わたしの不在が、陛下に、気づかれる前に。



 この人の言いたいこともその理由も全部、聞いてから。



「さい、しょから、魔性、に、魅入られているというのは、どういう」

「ん? あれ、知らない? 神様と春の女神様と人間の娘の話。神聖王国の最初の伝説。建国譚」

 知っている。頷いて、それが、と視線で続きを問う。

「私はあれ、神様が人間で人間の娘が魔性だと思うんだよ」

 にっこりと、勝手な解釈を男性は披露し始めた。

「誰からも愛される人っているよね。神聖王国の、先王時代の王太子がそうだった。行方不明になっちゃったけど、あの人は本当に誰からも愛されたよね。家出して、行方不明になっちゃって、残された人が可哀想だったくらいに」

 それが、最初の人間の娘もそうだったんじゃないかって、思うんだよ。

「神様って言うのは、その時代に元々あった国の王様で、女神様はその奥さん。奥さん押しのけて、神様は魔性の娘を召し上げた、っていうの、どうかな」

「では、なぜ冬は」

 そこなんだよねー。やっぱりこの案却下かな? 私は最初に申し上げました。男性と女性がコントのようなやり取りを繰り広げる。もうなんなんですかこの二人。

「君はファンタジーを信じているのかな。私はあんまり信じていないんだけど。まぁ、実際百何年も冬が巡り続けたり、春が戻ってきたりしているから、私の負けかなぁ。ファンタジーは存在するもんだねぇ」

 男性は椅子に座ったまま。うんうんと頷く。

「でも、やっぱり納得できないのは、何故ハプリシアに春は取り戻せなくて、君に取り戻せたか、なんだよ」

 父親をここで明らかに出すのはやめておくよ。でも、大して変わらないはずなんだ。正統性がどうもなにも、大した問題じゃないはず。

「だとしたら、やっぱり君の母上に何かあったとしか思えないんだよね」



 母。


 ずっと、側にいてくれた母。公爵家に引き取られてからも、ずっと。


 世界に溶けて、消えたはずの母は、わたしの側にずっといた。



 いなくなったのは、いつからだろう。



 ヒューゼリオが、ヴェニエールに新しい皇帝が立ったと語ったあの日。わたしは、母様がいないことに気づいて、それで。

 それきり、母様はいなくなってしまった。


 幼い子どもの幻想だと、笑われるだろう。実際信じた人は誰もいない。ふとしたおりに思い出し、話題に上り、そんなことがあったのだと言っても、子どもにはよくあることだと言われるだけで。

 それでも母は、側にいたのに。

「他国のことだから、できることに限りがあったけどね、それでも調べたら、君の母上は、女伯爵としての正式な地位に就いていないんだよ」

 これはどういうことだろうね、と男性は肩をすくめる。

「疑わしい事実ばかりが出てきて、肝心な真実が出てこない。だから、私は君に聞きたいんだ」


 君の母は、何だったんだい。


 知らない、と首を振る。喚きたい。なんでそんなことを言われなければならないのかと、憤りを吐き出したい、なのに。

 なぜ、こんなにも心臓が脈打つの。

 母を、侮辱されて、なのに、言い返せない。声が出ないとか、そう言う問題じゃなかった.言葉が何も、浮かばない。

「神様は、人間の娘に恋をして、結ばれて、息子が生まれた。息子に王国を与え、女神が自然に反した祝福を与えた」

 男性が語るのは、建国譚。

 わたしが知っているのは、もう一つ。

「女神が王様に恋をして、祝福を与えた」

 そして知っている残る一つを、わたしは


 わたしは、残る一つを知っている。

 なのに誰も、その一つを語らない。

「前者は、市井に知られる建国譚。後者は、今のニルヴァニア王家に伝わる建国譚。ね、お姫様。君は、先王家に伝わる建国譚を、知っているんじゃないのかな」


 ゆるりと、わたしは男性を見る。

 暗い室内。

 今は、何時だろう。

 陛下。


 陛下。


「本当に恨んだのは誰で嘆いたのは、誰だったのでしょう」

 この場所で、ニルヴァニア王国の始まりの日、誰が誰を裏切ったのだろう。


 愛されていたのに、忘れてしまったわたしは、アイを知らない。だから、わからない。

 あの建国譚の向こうの真実で、誰が誰を真に愛していて、何があって、嘆いたか。



 寝物語を思い出す。



 優しい声で、悲しい声で、でも、後悔なんてしていないのよと、彼女は言った。

 こんなところまで来てしまったけど、幸せなのだと。


 母は、確かにそう言ったのだ。



読んでいただきありがとうございました!

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