19.執務室にて
ウィリアローナの申し出を受け、オルウィスはウィリアローナに毎日午前と夕方の二回、執務室へ来るよう申し付けた。昼間は昼間で、エヴァンシークと会ったり、ヒューゼリオと会ったりと忙しくしているようだった。
「ウィリアローナ姫にお願いするのは、簡単な事務処理です。計算が必要なものはこちらへまわしてください」
「計算、できます」
「では、出した数字を欄の外れた場所へ。こちらで確認します」
指示をとばしつつ、オルウィスは息を吐いた。正直に言って、非常に助かる。おそらく陛下は良い顔をしないだろう。オルウィスが勝手をするのは今に始まったことではないため、好きにさせてもらう。
「そちらも侍従として伯爵家から最近呼び寄せたので、ウィリアローナ姫がまとめた書類は、新しい侍従がやった、ものとします」
「えっ」
固まる侍従に、オルウィスは笑う。えっ、えっ、と戸惑う彼は、素直で良い奴だった。
「本当はもっと人員を増やしたいのですがね、迂闊に増やせない現状で」
うっかり増やして書類の改ざんなんてされたらたまったもんじゃないですから。と、数日経って慣れてきた頃、オルウィスはそうぼやいた。
その言葉を聞いたとき、ちょうど一つ書類をまとめ終えたウィリアローナは、はぁ、と返し、ふと考え込むように視線を下げた。
「……オルウィス様は、わたしのこと嫌っているのだと思っていました」
は? とオルウィスが机から顔を上げてウィリアローナ見ると、彼女は既に別の書類に取りかかっている。
ばれているなー、とオルウィスは思う。ばれている、というよりは、ばれていた、というのが正しいだろうが。
「……最初は、ですよ」
絶世の美女と謳われる第一王女が来るかと思えば、突然公爵家の第四子。それも、養子で、公爵家とも王家とも公には血縁が無いとされている、辺境伯爵家の生き残り。
扱いにくい、と思ったし、陛下を煩わせることは無いだろうか、と警戒していた。
オルウィスは視線を下げ、自分も書類に取りかかりながら、続ける。
「俺は陛下の為に動きます。あのお方がやりたいことができるよう、道を整えるのが役割ですから、ウィリアローナ姫があのお方を煩わせるようなことがあれば、それは間違いなく、敵になるのだと、警戒していたんですよ」
無礼千万ですが、お許しください。と、オルウィスは付け足す。ウィリアローナの腰の低さに、時々上下関係を忘れて図に乗ってしまう。
それは、とても良くない。主に、ウィリアローナにとって。下の者からそういう態度を取られることに、この姫は慣れてはいけない。
「俺はね、姫様。この容姿に、目立つ赤髪でしょ。もーお嬢様方が側に置きたがるのなんの。これでも伯爵家の嫡男だって言うのにね、声をかけてくる方々が後を絶たなかったんです。それで、まぁ、社会勉強とコネ作りもかねていろんなことやって来たんですよ。家柄で判断されないような、力が欲しかったんです。家庭教師として、相談役として、いろんなことしてきました。それでも、お嬢様方に気に入れられるでしょう? 過ちを恐れた旦那様や婚約者様、兄上様に追い出されてばかりで、それもままならなかった」
屋敷でおとなしくしていれば良かったんですけどねー。
オルウィスは振り返って自嘲する。自分の力を、ただ試したかった。
「最後に仕えたのが、とある侯爵家。気の良いじいさんでした。家令なんかさせてもらって。他の奴らはみんな代々その家に仕えてきたって言うのに、俺をそこに入れてくれた。他のも良い奴らで、居心地も良かったんですがね」
侍従も、ウィリアローナも、だまってオルウィスの話を聞いている。侍従は全部知っているようで、その表情は穏やかだった。
「じいさんが死ぬまで、ここにいてやっても良いかなって位には、気に入っていたんですよ」
けれど、ある日、じいさんが言ったんだ。「新しい皇帝に仕える気はないか」って。
突き放された気がして、ちょっと反抗なんかもしたんだけど、結局「家令なんかじゃもったいない。国に仕えるだけの気概もある」って、推薦状を書いてくれた。
じいさんにいろんな話を聞いて、陛下の側に行ったらあまりの書類仕事の要領の悪さに、びっくりして、反抗する暇も警戒する暇も人となりを吟味する暇もなくて。
気がつけば、この方のために、と奔走する日々だった。
「陛下は、器用な方ではないんです」
嫁いできたウィリアローナへ敵意を抱いたのは、もう過去の話だ。今はどうか、この姫が、陛下のためにあるよう、祈るばかりで。
「真剣であればあるほど、他を先に終わらせてから取りかかるような。それが、」
「オルウィス様」
遮るような言葉は、固く、感情の無い声だった。
思わず手が止まり、はじかれるようにして顔を上げる。ウィリアローナはこちらを見ておらず、ただ、机に向かっている。
「一番最初に、見返りは求めていないと言いました」
丁寧な言葉だけれど、それだけに硬質さが目立った。それは、期待させるなと、いうことだろうか。
「いいんです。陛下が、何を考えていても」
じっと書類に視線を落として呟くその姿は、どこか一番最初、馬車を降り立った時のウィリアローナを思い起こさせた。
「姫様って、あんなお方だったんですね」
午後にはいってすぐ、ウィリアローナのいなくなった執務室で、侍従がぽつりと呟いた。
「何を今更」
くるようになって、数日経っているのに、とオルウィスが返す。いや、でも、と侍従は続けた。
「あんまり喋らなかったじゃないですか。今日お話しされていた姿が、なんだか、すごく」
言い淀む姿に、構わない、続けろ、とオルウィスは促す。
「考えているようで、考えていないような……」
あぁ、と侍従の言いたいことがわかり、うなずいた。
「思考停止してるだろうなー。あれは」
陛下のことについては、何も触れたくないし、触れられたくないし、そんな願いが手に取るようにわかった。
「ほんと、どーにかならんもんかね」
雑な口調に侍従が苦笑したところで、扉の音がなった。真っ先に侍従が気づき、彼が立ち上がり応対する前に、扉が開けられる。
「へ」
「おや陛下」
現れたエヴァンシークに、侍従は固まり、オルウィスはなんだ、と書類に向きなおる。
「この侍従は」
「先日、実家から呼び寄せました」
「……最近、ウィリアローナが来ていると聞いた」
「婚儀が春にはあるんじゃないかって噂を聞いたそうですよ。まぁ、予定日はともかく、今回の婚儀は大々的に披露宴もあるし、各国からの客人についてや、テーブルマナーをちゃんと習いたいそうで」
昔の経験が役に立ちました、と笑ってみせる。対する陛下は、硬い表情だった。
「……つきっきりでか」
「執務の片手間ですから、そこに座っていただき口頭で、ですが」
姿勢はだいぶ良くなりましたね、と付け足す。侍従は複雑そうな顔で、よくもそんなことがぽんぽんと、とでも言いたげだった。
それより、オルウィスの方がエヴァンシークへ問いかける。
「忙しくなければ、陛下はちゃんとウィリアローナ姫に向き合っていたはずなんですよね」
当たり前だ。エヴァンシークは硬い表情からさらに眉間にしわを寄せて呟いた。どいつもこいつも、と低く続ける。
「それで、陛下。今日はどうしたんです」
「……あぁ、気になることが」
言いかけて、エヴァンシークは何も手にしていない手元を見ている。
「書類を忘れた。取ってくる」
そのまま部屋を出て行くエヴァンシークを、侍従は黙って見送る。オルウィスは机に向かったまま見てもいない。
しばらくして、
「……陛下って、なんだかんだで姫様のこと」
「俺たちにできることは、案件まとめて少しでも陛下の負担を減らすことだけだからなー」
いらんこというなよー、と、オルウィスは侍従へと釘を刺す。
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