16.魔女のささやきと、その記憶
そんなににこやかに問われても、わたしにだってなんと言っていいかわからない。
そういう、噂。それだけの話だ。図書館や庭園、中庭。侍女や騎士たちは、主のいない場所で様々な言葉を交わしている。
「……」
そんな目で見られましても……。わたしはただ静かに刺繍やレースを編んでいるだけなのに。ここでやっても良いかとついてきてくれるヘイリオには、ちゃんと確認を取っている。
「でも、それを聞いてから陛下をみても、あのお方はいつも寂しそうで、だから、ただの噂だってすぐにわかりましたけど」
「噂、ね」
エリザベートは感情の希薄な表情で、長く息を吐く。続いて何か聞きたそうに視線を揺らした。わたしは視線で、どうしたのと問いかける。
けれど、首は横に振られた。
「続きを、どうぞ」
と、促されてしまう。
聞かせてほしいと思うのに、何も言えなかった。
「陛下は、わたしを愛するつもりは毛頭なくて、きっと、ずっと、並び立たせてはくれるつもりはないのです」
あの寂しそうな瞳に、どうか、幸いが訪れますように、と祈らずにはいられなかった。
続く言葉が出てこず、口を閉ざしたわたしを、エリザベートはじっと見つめた。まるで口を閉ざしたわたしのかわりのように、「では」と、エリザベートが口を開く。
「帰りましょうか、わたしと一緒に」
とっさに出てきたのは戸惑いよりも何よりも、「どこに?」という言葉だった。口にするまでもなく、わたしはエリザベートを見る。
「辺境伯爵領。あの、緑豊かな森へ」
エリザベートの返答はよどみなかった。辺境伯爵領。それは、わたしの本当の両親の、もの。今は誰のものになっているのだろう。母の親戚が受け継いだのだろうか。わたしを引き取ったのが公爵家だったことを考えると、そんな親戚がいるとはとても思えない。
「森、なんて、あるの」
ありますとも、とエリザベートは微笑む。
「森に入れば、誰にも見つかりません。守護の元、俗世に何一つ煩わされること無く、静かな暮らしが望めるでしょう」
きょとんと瞬くことしかできないわたしを見て、エリザベートは笑った。
「なんて、私の方が、よっぽど姫様をたぶらかす悪い魔女のようですね」
寝室の方へ視線を向けたのは、いったいなんだったのだろうか。エリザベートに対して首を振って、わたしは俯く。とっさに拒否も了承もできなかったことが、辛く感じた。
そうですねーとエリザベートは宙を仰ぐ。念のため、と前置いた。
「陛下のために弁解いたしますと、全ては「忙しい」というこの一言につきるのです。仮に議会がもう少し落ち着いていれば、何か違ったのかもしれませんけど。あぁでも、そろそろ光が見えてきたので、気長にお待ちいただけると嬉しいというか」
「……わかってます」
思わずそう口にすると、言葉の響きを捉えてか、エリザベートは困ったな、と苦笑する。
本当にこの人はよく笑う。
「今このタイミングで、あの方が姫様を愛してしまえば、この国は傾きますからねー、現状。それをどうにかしたくて手伝いを申し出たのに断れればもうなんていうか、陛下嫌われても仕方ないですねぇ」
嫌わないですよ、と思いつつも、同意しながらため息を吐く。陛下は、わたしにここでどうしていろというのだ。
幸せに暮らせ、とあの方は言う。
不幸にしたくない。何が幸福か、と。
そのくせ、やりたいことを申し出ればそんなことはしなくても良い、という。
「本で読んだ知識ばかり、頭でっかちでやる気も無くて引きこもりだったわたしに、できることなどたかが知れているもの」
卑屈になって何が悪い。
手慰みにの刺繍やレース編みも、今はまだ良いけれど、そのうち無理がくるに決まっている。本当にやりたいことではないのだから。
「あとは、陛下のしょーもない方の理由をどうにかできれば良いんですけどね」
ぽつりとぼやくエリザベートに、わたしは「?」と返す。「いいです」ひらりと手が振られた。
「では姫様、陛下をどうなさるのです」
「どう、って」
忙しいのは変えようも無い事実だ。陛下がなんと言っても何を考えていても、それだけは確かだといえる。
だから。
「無理でも、勝手に手伝います」
あらま、とエリザベートは目を丸くする。
「あてがあるんです?」
きっとわたしのことはよくは思っていないだろう相手を、思い浮かべる。といってもまぁ最近会ってないのだけれど。
「……拝み倒せば、多分」
振りかざすつもりは無いけれど。権力には、弱い立場の方だ。
そうですか、エリザベートは笑って、すっと立ち上がる。
「それでは、私は仕事に戻ります」
「……ひとつだけ」
出て行こうとするエリザベートを、引き止めた。
「リゼットは、姉様といったいどういう関係なの?」
姉の呼び声。エリ、とあの人の放った輝きのような響きが、まだ耳に残っている。そしてそれに応え、現れたエリザベート。
本当は、姉と陛下の関係も気になるのだけれど、それをエリザベートに聞くのはずるい気がした。
んー、とエリザベートは微笑んで、小さく肩をすくめる。
「以前した、私が恩人と呼び慕う三人の話を、覚えていますか」
うなずく。と同時に、まさか、という思いが過った。
「あの人は、私を死なせなかった人ですよ」
二人目の、恩人。つぶやきは声にならなかったのに、はい、とエリザベートはうなずいた。
三人目はきっと、陛下なのだろう。陛下に対するエリザベートの表情を見ればそれくらいわかった。そして、それでも恩義の度合いから、陛下よりも姉に従うのだ、この人は。
「姉が、リゼットを救い上げて、そしてリゼットは、陛下のもとで育ったのね」
エリザベートは否定も肯定もせず、笑って一礼した。
部屋を辞したエリザベートに、わたしは小さく呟く。
「たしかに、ひとつだけ、と言ったものね」
読んでいただきありがとうございます。今後もよろしくお願いします!
雑記
一昨日の今日でこのざまですみません! 言った端から実行できないというorz 宣言した次の日に思いもしない出来事に見舞われたりしますね。いや弁解もできない位どうしようもない私事なのですが。
もしかしたら、この先一日に二話更新する日があるかもわかりません。
そして今日も滑り込み更新で、さらに全速力で仕上げたので誤字脱字が心配です確認します。お知らせいただいた前回の誤字修正もまだ終わっていないという。気を付けます。