15.陛下に対する想い
さあさ、そんなところにいないで、と、エリザベートはわたしの手を引き、寝台に座らす。エリザベートも隣に腰掛けた。
……あれ、今、なんだか……、さりげないけど。
「……リゼット?」
こんなにもちゃんと、エリザベートがわたしに触れたことがあっただろうか。一度や二度は、あったかもしれない。けれど、でも、こんな。
手はあっさりとはなされ、エリザベートは背後で眠る姉を見る。
「自由ですね。それでも、必死に勝ち得たものでしょうけど」
「うるさいわよ。野良猫」
低い声に、起きてましたか、とエリザベートは微笑む。
「いくらあなたが計算高く、神聖王国の王女から、姫様の話を聞いたとしても、ここに来てから側にいたのは私ですから。私の方が姫様のことわかってるつもりです」
譲りませんよ、と、訳の分からないことをエリザベートは言い出した。え、何。何の話ですか? とわたしが混乱しているのをきっとわかっているだろうに、何も教えてくれない。どころか、姉様を指し示しながらわたしに笑いかけてくる。
「この人計算高いし悪い知恵も働く割に、なーんでアカデミーではあんな成績だったんですかねー」
「エリ、それ以上言うなら……」
声が怖い。姉様、声、怖いです。あわわわわと感じる背中の悪寒にエリザベートを振り返ると、エリザベートは小さく笑って、「隣、行きましょうか」と立ち上がった。
……最初から、寝台に腰掛けたりせず移動しましょうよう……。
「さて姫様。しつこいようですけど聞きますよ。どれが建前だったんですか」
さらっとした問いかけと、その内容に、わたしは黙り込んだ。
大きな窓に背を向けて、わたしは長椅子に腰掛ける。エリザベートは、美しい姿勢でわたしの正面に座っていた。
低いテーブルを挟んで、エリザベートの目を伺うように覗き込む。
「……わたしに不利な、質問です」
ぽつりと呟けば、そうですねー、とエリザベートは軽く笑った。
「それをさらっと今この場で答えれていれば、こんなことになってませんもんねぇ」
そう、とうなずく。途方に暮れながら、この場でいったい何を語れというのだろうか、と、エリザベートの目的を考えた。
わたしでさえまとまっていない考えを、聞き出そうとしても無駄だというのに。
「じゃぁ、単純に、陛下のことどう思います? あいやここは、好きとか嫌いとかではなく、単純な評価です」
「……評価」
印象、でも良いのだったら。
「はらがたっています」
ぽつりと、呟く。
おや、とエリザベートは瞬いた。
「皇妃としての役目を全うしようとするわたしを、陛下はどうやら迷惑に思っているようです」
姉が言うには、だけれど。陛下も特に否定はしなかった。
「……それで、腹を立てている、と」
だって、とわたしはつい眉間にしわを寄せる。
「あの人は、皇帝陛下でしかないくせに」
わからない、というように、エリザベートは一度瞬き、続いて、あーと頭上を仰いだ。「それでむかついちゃいますかー」
「だって、それなら」
わたしは一度唇を噛む。じっとエリザベートを見据えた。
「エヴァンシーク様は、いったいどこにいるというのです」
見えるのは、ヴェニエール帝国皇帝陛下。皇帝陛下として、あの人はわたしに接し、わたしに無理をするなと労り、民を思って動いていらっしゃる。
あの人の力になりたい。
できることがあるならしたい。
皇妃の立場ならそれができる。
だから、皇妃として動きたい。
なのに、
「皇妃としての義務を、背負うなと、皇帝陛下は仰った。ならば、エヴァンシーク様自身は何を考えているのです。エヴァンシーク様の心は、いったいどこにあるんです」
だから、
「腹を立てている、ってことですか」
はー、とエリザベートは笑った。なんだか泣きそうに、笑った。わたしもわたしで、なんだかんだ全部喋ってしまっている。でも、いい。エリザベートになら。
誰もが何も教えてくれなかったあの頃、あぁ、今もだけれど。それでも、あの夜、陛下を裏切るような真似をしてまで、部屋にきて語ってくれたエリザベートになら。
「背負わなくても良いって言いましたけど、一切背負わせてくれないんです。選択権が無いんです」
そんな覚悟はいらないと。
「姉様に言われなくても、わかってました。陛下は、わたしを皇妃として招いたんじゃなくて、ただ、この国に春を呼ぶためだけに嫁がせたんだ、って」
わたしにそれ以外を望まないというのであれば、それは、なんて。「そう取りますか。いやまぁそうとしかとれない部分も無いことも無いようなうーん」なぜか、弱り切った表情でぼやくのはエリザベートだ。
構わず、わたしは続ける。
「別に、想い人がいるのだとも、思っているの……」
何故だか、声が強ばった。自分で口にした言葉に、ひゅぅっと息を飲み込む。
「ハプリシア様でなくてよかった、とも思いました。こんな想いをするのが、ハプリシア様でなくてよかった。身替わりになれたなら、それもそれで良かった」
よくわからなくて、ここに来てから、いろんなことがありすぎて、その時々で、わたしが思うことは違って。
「途方に暮れること、ばかりで」
こんなひどい場所に来たのが、ハプリシア様でなくてよかった、と思った次の日には、ハプリシア様じゃないわたしがここでこんな風に誰かに優しくされていいの、って。いろんなことを、考えた。
本当にわたしがこの国に春を呼んだのだとわかってからは、ハプリシア様がこの場所を夢見ていたのだったらと思うと、どうして良いかわからなくて。
それなのに、会うたびに陛下は高いところに立っていて、わずかに垣間見えるエヴァンシーク様はとても寂しそうで。
寂しい場所に、いるようで。
なんて瞳で、世界を見ているのと、叫びたくて。
でもそんなの、世界を見てもいなかったわたしが口にできるわけが無くて。
「わからないの」
わたしは、かすれた声を出して、顔を両手で覆う。高いところにいる陛下は、ハプリシア様と重なった。寂しそうで、でも、ハプリシア様にはリンクィン殿下やレヒトール様がいて、国王陛下も王妃様もいらっしゃって、人に囲まれていたハプリシア様は、それでも寂しそうな瞳で世界を見ていて。
帝国に嫁ぐことになって、出会った菫色の瞳。寂しそうな瞳。なんて目をしているのと、思わず口にしてしまった人。
陛下のまわりには、誰もいなかった。
「エリザベートが、いるのに」
ぽつりと付け足した言葉に、エリザベートが反応する。端正な顔ににこやかな表情を崩さないまま、「?」とわたしに問いかける。
「大半のことはよくわからなくて、詳しいことは、知らない、けど」
なんと言えば良いのかわからず、わたしは言葉を探す。
「陛下が唯一心を許しているのは、エリザベートだと、聞いたわ」
エリザベートの表情は、にこやかだった。
なのにその背後にゆらりと黒いものが見えたのは、気のせいだろうか。
「……だれですかね、んなことを姫様に吹き込んだのは」
低すぎて聞き取れない何かが、そのにこやかな表情から吐き出された。
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雑記
今回から次回にかけては、ウィリアローナが建前を持ち出さずにはいられなかった理由、でしょうかね。
どれが建前でどれが本音か。あるいはどちらもどちらの本音であって建前なのかもしれませんが。
すんなり割り切るのが下手な子でした。
そして久々の滑り込み……。orz 明日の更新もこんな感じかもです。。。