13.わからなかったから、考えなかった
考えたくない。考えてはいけない。
それは、考えたら胸が潰れてしまうほどだから。
どうして良いか分からなくなってしまうから。
居間からの光と寝室の窓から入る光を受けて、姉の金髪が、赤くきらめいた。
「うそなんて、わたし」
「いいえ、嘘をついているわ。ウィリアローナ、私の可愛い可愛いウィリアローナは、閉じこもることでしか自分を守る術を持っていないのだもの」
部屋の隅で固くなるわたしを見据え、追いつめるように一歩足を踏み出す。
「では、復唱してあげるわ。『王国を出る事になった事に関しては、不幸だと思った』と、確かに、あなたはそう言ったわね? 『ここで生きたいと思っていた場所に、いきなり帰れなくなったときは』と。ウィリアローナ、あなた、『いきなり』帰れなくなったのかしら。本当に?」
陛下が、こちらを見ていた。わたしと姉を交互に見ていた。
「ねえ、ウィリアローナ」
突然、姉の声が優しくなる。あぁ、と思った。心の片隅を過るたびに深く深く放置し続けたことが、暴かれてしまう、と。
「あなたがここで生きると決めた時。レヒトールがあなたに会いにいってから。自分の真実を知って、春を呼んだのが自分だと知ってから」
言葉は切られ、姉の目が私をじっと見つめてくる。まるで妖精のような翠の瞳が、煌々と輝きわたしがやめてと叫ぶのを、一瞬だけ待ったような気がした。
「ハプリシアを思い出したことはあったの?」
わたしは、姉じっと見つめる。
「……思い出さないわけ、ないじゃ、ないですか」
けれどすぐに深く封じた。考えないと決めたことだった。ああけれど、姉はけして逃がしはしないだろう。
「考えれば考えるほど、あの方のことが分からなくなるんです。わたし、あの方に望まれて側にいました。あの方が、ずっと一緒にいてほしいって、そう言われたからずっと一緒にいると決めました。屋敷から出て、あの方に連れられて、お城で、侍女の仕事を覚えながら、一の侍女にまでなって」
なのに、どうしてわたしはここに一人でいるのだろう。
ヒューゼリオの側にいて、あの方が現れて、あの方の側にいて、側に居続けようと決めて、それなのに。
「……ハプリシア様は、この国に春を呼ぶ、と言われて育ったと、聞きました」
そうして、わたしが春を呼び、自分には春が呼べなかったと知ったのだと。
「あの方に会ったのは、その後です。全ての後に、あの方は、わたしを側にと望みました」
その真意が何か、わたしにはわからない。
「ハプリシア様が、もしも、この場所を夢見ていたのだと思うと、どうして良いか、わかりません」
だから、かわりになろうと思ったのです。
皇妃としての義務を、果たそうと。
わたしの言葉を、陛下がじっと聞いている。陛下は優しい。だからきっと、わたしの願いを叶えてくださる。
こんな願いでも、きっと、叶えようとしてくださる。
その優しさにつけ込んだのだ。
「あんたはこう言っているのよね、優しい陛下に、愛してようがいまいが、好きとか嫌いとか関係なく、ただ、自分に、ハプリシア様が望んでいたはずの皇妃としての義務を果たさせてほしい、と」
あまりにも要約された言葉に、わたしは言葉を返そうとして、結局返すこともできずに黙り込む。
「そんな望みなら、エヴァンには叶えられないわよ」
「おい」
「エヴァンは、そんなことができる男ではないから」
わたしを見つめて、あんたにわかる? と姉は言う。やめろ、と陛下が寝台から足を床におろし姉に迫ろうとした。
「そんなことができる男だったらね、皇帝として、義務の上で皇妃を迎え入れたというなら、もうとっくにあんたは皇妃になってるはずなのよ」
「違うっ」
「違わないでしょう。エリ!」
呼びかけに、突然姉の背後からエリザベートが現れ、姉を背にかばい陛下から姉を守るように立ちはだかった。
「リゼット……?」
「お騒がせしてます、暁の君」
にっこりと微笑むエリザベートはいつも通りで、なのにどうしてか、永遠に付き従っているものだと思っていた陛下に対峙している。
「……そういうことか」
何がです? とエリザベートは微笑む。
「大の男が病弱な女性へ詰め寄っているのを見れば、そりゃ守るべきは女性の方ですよ? 安心してください。私は変わらず、陛下のモノです」
ですよねー? とエリザベートは自分の背後へ声をかける。姉はそうね、と肩をすくめるだけだった。
「拾ったのは私だけれど、育てたのはあなただから、エヴァン? そんなに動揺しないでくれる?」
姉が、何を拾った? そして、陛下が何を育てたというのだろう。間にいるのはエリザベートで、犬や猫に対するような言い方に混乱する。もしかして、エリザベートは、姉を知っていた?
まるで、エリザベートが姉を守るような現在の立ち位置に、わたしは何がなんだか分からなくなる。
「触らないでくれる? エヴァンみたいな武の王に触れられれば、私あっという間に死んでしまうから」
「お前っ」
「何を焦っているの。エリザベートが私の言うことを聞いていること? それとも、エヴァンの真意を勝手に私が喋ることかしら」
真意なんてかっこいものでもないわね、と姉は言った。
「ねえ、ウィリア。エヴァンは今まであなたに言ったことはなかったかしら。皇妃を無理に縛り付けたくない、だとか、皇帝としての義務は受け入れるけれど、その義務を皇妃に押し付ける気はない、だとか」
思い当たるものが、あった。
いつだっただろうか、いつだったか、陛下が自分の話をしたいと言ったときだっただろうか。皇帝になるべくして生まれ、育てられ、皇帝にしかなれなかった、と、言った陛下。
それを、伴侶となるものに押し付けるつもりはないと、陛下は言った。
そう、確かに言った。それを、姉はどういうつもりで持ちかけたのか。次に姉が何を言うかが恐ろしい。見て見ぬ振りをしていた何かを、否応無しに突きつけてくる、この、姉が。
「陛下はあなたに言ってるはずなのよ、義務を押し付けたりしない、と。なのに、あなたは陛下から義務を押し付けられることを望んでいるのよ」
あなたたちが歩み寄れるわけがないわ、と姉は言う。どうして、とわたしは口にする。どうして姉様が、見てきた風なことを言うの。
「……エリザベート」
低い陛下の声に、エリザベートは「えー」と応える。
「濡れ衣ですって。この方に情報逐一流したりなんてしてませんから」
「エヴァンのことはだいたいわかるわ。でもね、ウィリアローナ。あなたのことは、私は知らない。私には、あなたのことはわからない」
「……妹の、ことなのに?」
甘えが出た。この姉に、こんな言葉をかけるのは間違っていた。こんな言葉を選ばなければ、わたし、
「ウィリアローナ。あなたを妹だなんて思ったことなど、一度もなかったわ」
傷つくこともなかった。
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雑記
めんどくさい子だなぁ全くまだそんなことでうじうじしていたのか!! という、ウィリアローナでした。
いや、でもね。
「春を呼ぶといわれていた」ハプリシア様。ある日突然、別の子が一週間だけ春を呼んじゃいました。って、どう思ったことでしょうね? って。
さらに、自分に春は呼べず、そのあと、その、春を呼んだ子に会って、なんで侍女にして側にいさせたのよ? って、いくらウィリアでもそうなります。
なぜ自分を側に置いていたのだろう、って、最初の方でもなってましたし。それが今の今まで引きずられていた、という。
感じた違和感を放置し過ぎなんですね。こんなになるまで疑念が育ってしまった。
陛下も陛下ですけど。陛下のことは、またどこか別のところで。