9.かつての野良猫は主の幸福を願う。
ウィリアローナの部屋から出てきたミーリエルは、蒼白な面持ちだった。そんなミーリエルを、部屋の前で護衛していたヘイリオがきょとんと眺めている。
どーんと世界の難題を押し付けられたかのような、そんな顔でミーリエルが「どどどどどうしましょう何がいけなかったんでしょうなんですかあの姫様の可愛らしい反応は……」と呟いている。ええと、とヘイリオは琥珀の瞳を瞬かせて、首を傾げた。
「姫様に、何かあったんですか?」
平坦な口調でそう問われると、ミーリエルは「ううう」と眉間にしわを寄せて扉の横に佇むヘイリオを振り返る。
「それが―—」
ミーリエルの話を聞いたヘイリオは、きょとんとする。続いて、思案顔でじ、っとミーリエルを見やった。
「ミーリエルさん。その話、それ以上広めない方がよろしいかと」
騎士の言葉に、へ、と侍女は瞬いた。その反応に、ヘイリオは小さく嘆息する。いやその態度失礼じゃないですかなにか! とミーリエルは年下の騎士をうううと睨んだ。あまり、迫力は無いのだけれど。
「まぁ、確かに、嫁いだ家族を取り戻そうとする言動は、好ましくないかもしれませんけど」
むう、とミーリエルはじっと視線を注いでくる琥珀の瞳から逃れるように、目をそらす。
「美しい兄妹愛ではありませんか。いいじゃないですか。姫様はちゃんと、ご家族に愛されていて。家族の情というのは、突き放せなくて当然です」
王国を追い出されるようにして、来たのではなくてよかった。ここにきたばかりの頃の姫様は、それはもうふさぎ込んでいらして。
「よかったです」
「いいえ」
割り込むようにして響いたヘイリオの言葉に、むっ、とミーリエルは向き直る。何がですか、と食って掛かる侍女に、ヘイリオは眉を下げた。
「問題なんだってー、そんな事が外部に広まると、ますます暁の君の立場が悪くなる。エル、知らないんだっけ? 姫様は、公爵家の方々とは血の繋がりが無いんだぁって」
横から割って入った説明に、は、とミーリエルが口を開ける。忘れていたのか知らなかったのかわからないが、ヘイリオはその反応にもう一度、ため息を吐いた。
そして、右手側からやってくるその説明をした人物に、どうも、と一礼した。ミーリエルは両手で拳をつくり、身構える。
「リ、リゼット!? あなた」
エリザベートは笑顔でひらりと手を振る。つられてミーリエルも片手の拳をといてひらりと振り返した。じゃなくて、と下にたたき落とす。
本当に久々に会うミーリエルには見慣れない、身体の線に沿った、動きやすさを重視しているとわかる服装で、どう反応すべきか戸惑う。戸惑っているのに、
「お帰りなさい」
傍らのヘイリオは、何でも無い事のように違和感溢れる挨拶をしていた。え、とミーリエルは面食らう。言われたエリザベートも、なんでもない事のように、
「ただいまー」
と。
「え、え、え?」
ミーリエルのまわりには、疑問符が飛び交う。
「な、い、いつの間に、仲良くなってるの……」
えー、とエリザベートは首を傾げる。ヘイリオと二人、ミーリエルを挟んで首を傾げあった。
(うわぁナニコレ仲良しですか!? なにそれ!)
二人はそのままそれぞれ考えていたのか、少しの間の後、ミーリエルの方へと視線を移し。
「まぁ、自然に」
ねぇ? とうなずきあう二人に挟まれて、ミーリエルは非常に置いてけぼり感というか、のけもの感を味わうのであった。
そんな彼女を尻目に、二人は言葉を交わしあう。
「成果は」
「まー、上々?」
「ふうん」
「あ、信じてない? ひどいなぁー」
「エリザベートの言う事を頭から信じると、痛い目見るから」
「良い心がけだ。でも、本当にそろそろ動けると思うよ。やっと」
「は、はひ……?」
流れるような会話に取り残されたミーリエルは、ようやくそれだけ発言する。あ、動いた、とでも言うように、二人はミーリエルを注視した。
「リゼット、今、何してるの」
「コウテイヘイカの命で、いろいろ」
いろいろって……とミーリエルが絶句するのを見つめながら、内緒、とエリザベートは人差し指を立てて自分の唇にそっと当てる。
そんな事より、とエリザベートは笑って話題を変えた。
「お姫様が、もしも王国に帰る、って言い出したら、君たちどうする?」
「ついていきますが」
えええええと泣きそうな顔になるミーリエルの横で、ヘイリオがしれっと即答する。
その答えとあまりの速さに、きゃーとミーリエルがヘイリオを振り返り、その勢いのままエリザベートの方を見た。
「り、リゼットは?」
「止めるよそりゃー」
これも返答は速かった。ええええと呻くミーリエルに、忙しい子だなぁとエリザベートは苦笑する。そんなエリザベートを、ヘイリオの琥珀はずいぶん冷たい色で見ていた。
「あなたは、陛下の味方だったな」
そのあまりの突き放すような声音に、誤解だよー、とエリザベートは言う。
「どうしても、この国に春を呼んでしまった、と知れ渡ってしまっている姫が、王国に戻って平和に暮らせるとは思えなくて」
あ、とミーリエルが、口元を抑える。ヘイリオは険しい表情で、「守ります」と呟いた。
「うん」
と、それぞれの反応に、エリザベートはうなずく。
「ただ、知ってしまった姫様は、心穏やかでいられるかな」
まぁ、私としては、とエリザベートは続ける。
「姫様が言う事が、『王国に行きたい』では無くて、『この国を出たい』だったら」
それはもう、とエリザベートはにっこりと瞳の色を深くして、微笑んだ。
「ありとあらゆる手を尽くすから」
世間話のように言う。というより、こんな会話をエリザベートのような立場の人間と、騎士と、侍女が、こんな場所でするような事ではない。
わきまえるべきだった……、と壁に手をついてぐったりとしたい気分でミーリエルはため息を吐く。
それにしても、
「……リゼットって」
ぽつりと言って、ミーリエルはエリザベートを見つめた。
「ウィリアローナ姫様の事、とーっても好きよね」
「好き、ねぇ」
その言葉を受けて、エリザベートは首を傾けた。
「ただ、ひたすらに、あの方の幸せを、願っているだけですよ」
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誤字脱字など気になる点がございましたらご一報いただければと思います。
雑記
三人の顔を合わせてみました。唯我独尊ぎみな二人に一人が振り回されるというまぁですよねー、みたいな感じでした。
わたくしごとですが、ヘイリオとリゼットの対比が好きです。ありとあらゆる意味で似てるようで似てなかったり対照的というか対称というか。