5.さえずる小鳥
エヴァンシークはローブを深く被り直し、教会を出る。黄色い声の主を見つけ出し、ウィーアとやらがどちらに行ったかを問いただしたのだが、
「だめですよ。修道女から、神の戯れに差し出された手を奪っては」
腰に手を当て、叱るかのように言われれば、それ以上問いただす気になれなかった。教会の目の前で広がる慈善市の様子は平和で、そんな空気を壊さないよう、わからないよう騎士団も護衛のため周囲に配備していた。にもかかわらず、ウィリアローナが売り子としてこの場にいないことに、何のための外出許可だ、と誰をなじればいいかわからなかった。
そもそも、ウィリアローナがニルヴァニアに行けるよう誘導していた問答を、ウィリアローナ自身がねじ曲げこの場に来たのだから、だれが悪いかと言えばそもそも元を正すと……。
いや、とエヴァンシークは首を振る。望みを叶えようと思ったのは、自分自身だ。それを忘れてはならない。
この場の空気を見れば、不逞な輩に連れ去られたのではないということはわかった。相手はたいそう見目の良い男らしく、ウィリアローナもじっと見つめていたということだから……。
(だから、なんだ)
身を翻す。適当に見当をつけて、街の方へ足を向けた。
「あら陛下、追うんですか」
とっくに遠くへ行ったものと思っていた声に、振り返る。
短い金髪、食えない笑み。思わず、目を眇める。ウィリアローナを追いかけたのではなかったのか。
「エリ、何故ここにいる」
「せっかくですから」
……何がだ。
エヴァンシークが視線でというかけても、エリザベートは答えない。
「そっとしといてあげましょーよ」
埒があかない。ええい、と苛立つ内心を押し殺して、エヴァンシークはエリザベートを睨んだ。思考もろくにせず、言葉がこぼれる。
「姫は」
——こういうのをおそらく、口が滑ったというのだろうか。
「俺の花嫁だぞ」
低く、唸るような声に、エリザベートの口元がスゥっと弧を描く。それを目にした瞬間、エヴァンシークは今しがた口にした自分の言葉に後悔した。その目、口ほどに。
「どの口で、そんなことを言う」
エリザベートは音を発していないのに、そんな幻聴が聞こえる気がした。
事実だ、何をためらう必要がある。という思いと、何も言い返せないという思いで、エリザベートへ詰め寄りかけた足が止まる。言われてもいないのに、言われた気分になる。エリザベートがエヴァンシークをなじるであろう言葉を思いついてしまうことの意味とは。
その先を、考える前に遮断した。
なのに。
「陛下は、姫様をどうしたいんですか」
常に一歩後ろに控えている腹心は、皇帝という高みに座すエヴァンシークの逃亡を許さない。
「あらあら」
涼やかな声が、二人の間に割って入る。
「ならばかわりに、私が嫁ぎましょうか」
凛とした声とともに、エヴァンシークの腕に絡める指があった。
エヴァンシークがその白い指をにらみ、肩越しに振り返る。波打つ金髪頭のてっぺんを見下ろし、誰かわかった瞬間ため息とともに手加減なく右腕を振り払った。
「やぁーん」
ふざけた悲鳴に、肩が落ちる。おそらく、数歩は慣れた場所で、非難がましい目をしてこちらを見ているだろうとは思った。が、それをわかっていながら見返す気力は今のエヴァンシークには無い。
「えゔぁーんってば」
馴れ馴れしい呼びかけに、むっとする。エリザベートに視線を向ければ、困った顔で、静観を決め込んでいるようだった。一人で相手をしなければならないのか、とエヴァンシークが柄にもなく途方に暮れる。
「エーヴァーンー」
「……はなせ」
背中にしがみつかれる衝撃に、放置していれば諦めるものでもないだろうなと、察する。そう簡単に飽きてくれるほど、相手は優しくないことを、エヴァンシークは知っていた。
あぁもう、と腹を決め、引きはがすように振り返る。手を伸ばし、真正面からその両肩を掴んだ。
「いいかげんに」
言葉は、途中で途切れる。
ふわりと翻ったのは、波打つ金髪。金の睫毛に縁取られた、大きな翠の瞳。一瞬驚いた顔のあとの、美貌の微笑み。
華奢な肩は、ウィリアローナのそれといい勝負であったが、あの聖女に比べると、どこかぞっとする感触に、息をのんで眉を寄せる。
「何故、ここにいる」
微笑みが、どこか企んでいる風ににんまりとしたものに変わった。
ニルヴァニアの王女が月の妖精と謳われるなら、この娘はさしずめ魔女か。冗談のように美しく輝いている翠の瞳に、赤毛に近い金の髪。光の加減で、燃え立つ炎にも変わるだろう。これから訪れる冬を連想させるこの空気、風景に、魔女の気配を帯びる彼女はよく似合っていた。
「こちらに来るなんて聞いていない。何しにきた」
「知ってるはずよ。あなたの『子猫』が、伝言の伝言の伝言を受け取ったはずだもの」
思い返して、たしかに、とエヴァンシークはふん、と娘から顔をそらす。あら、負け惜しみ? と娘がくつりと笑った。
「そもそも、お忍びですから。アカデミーの同窓会。来ちゃ悪い? 旧友に会いにきただけよ」
そうして、一転して穏やかな笑みを見せてくる。勝てないでしょう? と、その自信と余裕に満ちた姿と、掴んだままの細い肩のアンバランスさに、エヴァンシークはさらに眉間のしわを濃くした。
「帰れ寝てろ」
「失礼ね。だいぶ体力だってついたんだから」
「どうせすぐ倒れる」
「もうそー簡単に倒れないわよ!」
ということは、倒れてたこともあるのではないか、とエヴァンシークは呆れ返る。
体質と性格が噛み合ないのはどういうことだ、と口にはしないがつい考える。
「……一人か」
「いいえ。でも、そうね」
どこか遠くを見て、娘はうん、と一つうなずいた。
「あなたが側にいるから、安心ね?」
私を置いて、どこか遠くになんて、行かないでしょう? と。
娘は肩をつかむエヴァンシークの手に、そっと自分の手を重ねた。
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雑記
陛下が可哀想になってきた。天敵じゃなかろうか。基本マイペースなはずの陛下がペースを崩されているのを見ると、気の毒に思います。
そう言えばPV50万アクセスと、ユニーク10万人突破してましたありがとうございます!
拍手かなんかで、お礼SSでも書きたいのですが、こう……、ちまたではやりの、ぱ、ぱられるだとか、ifだとか、いかがでしょう?
ふわっとリクエストだとかお題だとかを緩く募集してみます。よろしくお願いします。
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