4.望んだのは、ささやかな。
10/2 02:05 に、前話、3.の中程を加筆修正いたしました。よろしく願いします。
町外れであるのに、遠くの市場の喧噪が聞こえてくる。
ここは、本当に平和で、人々の活気が満ちていて、なんて、ぬくもりに溢れているのだろう。
それを作り出している人には、届いていないそれに、なんだか悔しい思いがした。顔を上げれば、神様がそこにいる。背後の着色ガラスで描かれたモザイク画が、陽光を通して神様に降り注ぐ。
町外れの、小さな教会だった。森の近く、街の中心からは遠い、神聖な場所。
木造の神様に祈ろうかと考えたけれど、わたしは神聖王国の王家の血を引いていて、この木造の神様は、別の神様の血筋を名乗るわたしを許してくれるかわからなかったため、ぺこりと頭を下げるにとどめた。
わたしはヴェールを手に取って。最近滅多に結うことの無い黒髪を、どうしようかと考える。
「……こちらへ」
背後から聞こえた低い声に、目を丸くする。慌てて振り返り、思わず一歩下がった。
「な、何故こんなところにいらっしゃるのです」
わたしと出入り口を結ぶちょうど中間に立つ人影に、呆れ声をあげる。失礼かもしれないけれど、だってこれはあんまりだった。
人影は頭からローブを被り、容姿がまったくわからない。それでも、声さえ聞けばわかるようになってしまったのは、慣れだろうか。
「……」
わたしは修道服を翻して、手招きに応じる。上下にゆれる手に右手を乗せて、軽く握れば、引き寄せられる。
「こちらへ」
同じ言葉を繰り返されて、木造の神様に向かっていくつもならべられている長椅子の一つに座らされた。人影は背後に回ったかと思えば、おもむろに、わたしの髪に触れる。
もう、と息を吐くように言葉が漏れた。
「……いきなりすぎますよ。陛下」
びっくりするじゃないですか、と呟けば、ここにきたいと言ったのは姫だろう、と人影はわたしの髪に手ぐしをかけながら、しれっと答える。
「姫に言われる筋合いは無い」
そっけない仕草に、えええと思う。そんな風に突っぱねられても、そこまでひどい要求をしたとは思わないのですが。いや、確かに、エリザベートから聞いて狙われているだのなんだの聞きました。聞いてましたよ。でも、わたし、そんなの知らないことになっているので、ええ。
「慈善市の売り子など、よくも許可させてくれたな」
さすがに、許可がほんとに下りるなんて思わなかったんです。なんて。
「陛下が言ったのではありませんか。何でもと言ってくださいました」
それはそうだが、と呻く。それにしたって、よくもまぁこんなところに皇帝陛下が現れたものだ、とわたしだって思う。
「こんなところにくる暇があるのなら、仮眠でもとるべきでは、ないでしょうか」
「姫がいないのに、仮眠はとれない」
虚をつかれる一言に、思わず振り返りそうになる。髪をいじられているため、それは叶わなかったが。
つくづく思うけれど、本当に、陛下は体裁や事実を好まれる。
つまり、今でもわたしの部屋での仮眠というのは、わたしの部屋でのお茶会に変えて、という建前が必要ということでしょう?
「最近、結い上げている姿を見ないが」
わたしの髪をいじりながら、陛下はそんなことを言い出した。
「髪結いの上手な侍女が、いなくなってしまいましたから」
わずかに、陛下の手元が一瞬止まる。気づいたけれど、構わず続けた。
「それでも、先日ガイアス騎士団長と会談した際には、ちゃんと別の侍女に結い上げてもらいましたよ。でも、もともとあまり好きではないんです。髪をまとめるの」
そうか。とだけ、陛下は返した。何やら髪を引っ張られる感覚に、え、と思う。もしかして、と。
「陛下、何をしているんです」
「動くな」
はい、と返す。うなずきたかったけれど、動くなと言われてしまったので仕方が無い。
しばらくして、できた、と陛下が呟く。わたしはそっと、自分の頭に手をやった。うなじでまとめられた髪の輪郭を、壊さないようになぞる。
「……あ、これ」
何となく形を把握して、振り返った。
「いつかのエリザベートとお揃いのようです」
ね。と言ってみせたのに、返事は無かった。エリザベートに髪を結われるのは好きだったし、いなくなってしまったのは本当に惜しく思っている。先ほどの言葉は本心だったけれど、それが陛下に気を使わせてしまっただろうか、と考えながら、ヴェールを被った。
「どうです? 似合いますか」
皇帝陛下の婚約者、なんて、バレませんね?
長椅子から立ち上がってくるりと回ってみせる。ヴェールの端や、修道服の裾がふわりと浮いたけれど、修道服の裾は長いため、派手に翻ることは無い。
「様子を見にきてくださってありがとうございます、陛下」
教会の出口に向かって、歩き出す。ローブをまとう陛下の表情は、伺えなかった。
「ウィーア! したくはすんだの? もうすぐ慈善市が始まるわよ」
外から慈善市の売り子をするためにつけた偽名が呼ばれて、わたしは慌てて返事をする。そうして、一度だけ、陛下の方を振り返った。
「いってきます」
それだけ言って、扉に手をかけ、外に出る。
「……エーヴァンっ」
「なんだ」
どこからとも無く声がしたため、エヴァンシークはどこへとなく、その場で呟く。
「姫君の髪を、結って差し上げたのですか?」
「それが」
あらめずらしい、と声は笑う。「エリ」と、エヴァンシークは不機嫌にその笑い声を咎めた。
「だって、エヴァンが自分からあの姫君に手を伸ばして差し上げたということでしょう? 珍しいではないですか」
「……エリ」
再度、強く咎められた。これは失礼、とエリザベートの声が言う。
「ところで、ですけど」
「……ここにこうして報告にくるからには、問題が起きてるわけはなさそうだが」
「そうですねぇ。問題があったなら、大立ち回りを演じているはずですからねぇ」
暗に軽口を言うだけならどこかに行ってしまえと言っているらしいエヴァンシークに、エリザベートはぷーとエヴァンシークに見えないどこかでほおを膨らます。
「しりませんよ、聞かなくて後悔したって」
「……」
エヴァンシークはため息を吐いた。
「なんだ」
仕方なく、とでも言うように、エヴァンシークが問いかける。はいはいあのですねぇ、とエリザベートはうなずいた。
「あのですねあのですね。……もうすぐ『小鳥』が、やってきますよ」
初めて、エヴァンシークがエリザベートの姿を探すべく視線を周囲へ巡らした。その様子を、エリザベートは楽しそうに眺めている。
「暁の君に、なんて言い訳しましょうか?」
狼狽えるエヴァンシークを眺めるだけにしては、やけに寂しそうに、エリザベートは呟くのだった。
「それとも、『小鳥』はそんなこと、聖女様に言うつもり無いのでしょうかねぇ」
しるか、とエヴァンシークは吐き捨てる。
「あれは、好きにするだろう。自分の気が済むように」
そうですね、とエリザベートは微笑む。それでは、姫君のところに戻ります、とエリザベートが言う。ウィリアローナはエリザベートが近くにいることなど知らないだろう。それでも、なにも害が無いように、エリザベートはウィリアローナの周囲に控えているのだった。
教会の外で、わぁっと女性たちの歓声が上がる。ついで、まとめ役の「そんなことではしゃぐのではありません」という叱責が。
なにごとかと、エヴァンシークとエリザベートは外の様子に耳を澄ませた。と同時に、一人の修道女の黄色い声が聞こえる。
「ウィーアったら! よその修道院から手伝いにきたって話だったのに、あんな素敵な殿方とどこで知り合ったのかしらねぇ?」
「目が合ったとたん手に手を取って二人でどこかへ行ってしまうなんて」
全てを聞き終わること無く、エヴァンシークが宙を睨む。
「エリ!」
既に、教会内にエリザベートの気配は無かった。
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誤字脱字などございましたらご一報いただければと思います。
雑記
ちょっと陛下何考えてるのかわたしも最近分からなくなってきた。