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1.微睡みから


 ———やってきた手紙を読んで、姫様の表情が変わった。どうやら落ち込んでしまっていて、どこかぼーっとしていて、あげくの果てにその手紙を燃やしてしまったらしい。




 そんな噂が城中を駆け巡ったのは、これから冬が訪れようという、矢先であった。





(……最近、ものすごく視線を感じる)

 陛下と向かい合って、お茶を飲む。そのとき感じるのは、離れた場所に控えている侍女からの視線だ。ここ数日、そんな日々が続いている。

 かちゃり、と陛下のカップが置かれる音に、わたしは顔を上げる。菫色の瞳を見つめて、小さくうなずいて、二人で席を立った。


 あれから。

 わたしが、とんでもなく恥ずかしい言葉を、とんでもなく誤解されても仕方が無いような場所で口にした、あの日から。

 お茶を終えると、わたしの寝室で陛下が仮眠を取る、というのが恒例化した。

 ただでさえ激務の中、わたしとお茶を楽しみお喋りを楽しむなどとそんな余裕があるはず無いのだ。そもそも喋ることなどなく黙々とお茶をするだけでは時間の無駄と言うものだろう。

 幸い陛下は神経質なたちでもなく、横になれさえすれば次第に睡魔に身を任せることができるようだった。これは、きっと、軍に所属していたことがあるためだろう。そのくせ時間になって呼びかければ、どんなに小さな声でも目を覚ます。

 わたしの祖国であるニルヴァニア神聖王国第一王子、リンクィン殿下などは、わずかな物音でも目を覚まし、とっさに枕元の剣を手に取って抜いてしまうという話があった。そのため、何となく王族というのは眠りが浅いイメージだったのだが、間違いだ。

 眠りに落ちるまでの間に、わたしと陛下はぽつりぽつりと言葉を交わす。話題などすぐに無くなってしまうため、言葉を交わす時間などそれくらいで十分だった。

 そうしてわたしは、窓際へと移動する。明るい場所で、刺繍をするのだ。

 エリザベートがわたしの前に現れなくなってからも、完成したものは部屋の隅に置いた籠の中へ入れていた。すると、月に一度だけ、空になるのだ。

 バザーに持って行ってくれているらしい。売り子はきっともうできないだろうから、せめて、この場所でわたしのしたことが、誰かの手元に残れば、と思えた。

 時折手を止めて、眠る陛下を振り返る。

 睫毛まで金色だと知ったのは、陛下がここで眠るようになってわりとすぐの頃だった。

 一国の主にふさわしい、輝きに満ちたお方。きっと、公私混同もされない。国を思って、今も日々奔走している。

「……それで身体を壊したりなどすれば、どうするのです」

 人間なのだ。無理のし過ぎで死んでしまうこともあると聞く。もしそうなれば、この国はどうなってしまうのだろう。

「……そういえば、他の王位継承権保持者の方って」

 いないのかな?

 皇妃として知っておくべきことだろう。わたしは一つうなずいて、視線を手元へと落とした。


 ここしばらく、わたしが考えているのは、皇妃としてどうすべきか、だ。陛下を支えるためには、何をしていれば良いか。にこにこ笑って後宮を統べていれば良いという話ではない。そもそも後宮に属す人間はわたししかいないため、実質閉鎖されている。わたしが今いるのは皇妃に与えられる、陛下の私室に最も近い部屋だ。というか隣だ。正妃だけ別格なのか、後宮から距離のある場所に位置している。本来近い位置にあるものじゃないのだろうか。

 帝国の後宮。

 ちゃんと意識すると、不思議な施設だ。というか変だ。だって、周辺諸国に一夫多妻制はないのだから。そもそも、この国の後宮だって……。

「建物が、新しいみたいなんだよね……?」

 少なくとも、建国当初からある施設では無いだろう。それどころか、ずっとずっと新しいように思える。三十年も経っていないのではないだろうか。

 もちろん、建て替えたということもあり得る。

 一度覚えた違和感は、しかしヴェニエール帝国先代皇帝へと思考がうつると遮断される。触れてはいけない存在だ、と瞬時に察することができた。

 実際に聞いてみたことは無いが、雰囲気でわかる。この城で、先代皇帝について口にすることは忌避されている、と。

 聞けるとすれば、皇帝その人自身の口からだろう。先代の行方さえも、わたしは知らない。その必要性が湧かないよう、巧妙に儀式などの段取りがすり替わっている気がする。

「……なにをどうすれば、あなたのちからになれますか」

 問いかけるだけでは駄目だ。自ら動かなければ。


 けれど、思い出すのはエリザベートから伝えられたあの話だった。

 春を呼んだ聖女が狙われているという事実。ならば、下手に動けば迷惑をかけてしまうかもしれない。

 だから、動かず息をひそめていなければ。

「……考えるって、難しい」

 針を置いて、やりかけの刺繍を中断する。

 知って居ながらにして、知らない振りをし続ける。これだけでも、陛下は救われるのだろうか。それが、負担にならない一番賢いやり方なのかもしれない?

 当然許可されないだろう。ため息を吐きながら、今度はかぎ針と糸を手にした。そのまま、黙々と編み始める。

 編み始めがちょうど立ち上がり、これを指針に編み進めようと切りが良くなった辺りで、そろそろ陛下を起こした方が良いだろうか、と顔を上げる。

 時間は明確には決まっていない。例えば、オルウィス様が駆け込んでくるだとか、そんな日もある。

 できれば寝たいだけ寝かせておきたいが、仕事があるためそうも行かない。

 窓辺に編みかけを置いて、寝台に近づく。そーっと覗き込んで、手を肩に添え、小さくゆらす。

「陛下」

 いつもなら、これですぐに起きるはずだ。ここでの仮眠を重ねるに連れ、眠りが深く、寝起きが悪くなっているような気もするが、それでもすぐに起きるはずだった。

 それが、今日は全く反応がない。

「……へい、か?」

 なんだか怖くなった。先ほどよりも強く、肩を揺さぶる。

「ん……」

 微かなみじろぎに、ほっとする。「起きてください」と繰り返す。珍しい、本当に、今日は寝起きが悪い。

 ……起きない。起きてくれない。

 なんだか途方に暮れる気持ちだった。オルウィス様が起こしにきているわけではないため、まだ余裕はあるのだろうけれど。

 ちょっと目が遠くなり、もう一度視線を落とすと、菫色と目が合った。思わず上体をわずかに引いてしまう。

「陛下、そろそろ、起きてください」

 ゆらりと、陛下の手が上げられた。その手を取れば良いのかとわたしが手を伸ばしたのに、するりと陛下はわたしの手をよけ、がしりと、掴んだのは。


「い、痛いです!?」


 肩からこぼれる髪を掴まれたわたしは、思わずそう叫んだ。







「……手紙が」



 しばらくして、うわごとのように声をかけられる。なんですか、手紙?



「姫に憂いを与えていると、聞いたが」



 ぱちくりと、わたしは瞬く。


 ええと?





 いったいなんの、話ですか。




読んでいただきありがとうございました。

誤字脱字などございましたらご一報いただければと思います!

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