4.
器がいずれ朽ち果てて、世界に私が溶けてしまったとしても。
愛しい人。どうか、泣かないで。私はいつでも、あなたの側に居るから。
穏やかな目覚めだった。瞬きとともに、寝室の扉が開かれる。寝台のすぐ脇に、誰かの気配がした。
わたしは、ゆっくりと視線を向ける。輝く金色の髪に、まただ、と思う。また、この人は、目覚めとともにわたしの隣にやってきた。
ふわりと笑う気配に、つられて微笑む。はっと息をのんだような音が聞こえた。ついで、苦笑の気配。
そして再び、笑みの気配が降ってくる。
「起きてますでしょ、姫様?」
至近距離からのささやきに、やっと意識が覚醒した。
「っ!」
ばっと振り返る。なんだこの心臓。落ち着こう。朝からなんでこんなびっくりしてるんだろうわたし。一人で恐慌状態に陥りながら、何か文句を言おうと口を開く。開いたのに。
「……うぅ」
満面の笑みを返されて、なんだか言葉がしぼんでいった。むう、と口を尖らせる。朝からエリザベートは楽しそうだった。
「おはようございます。姫様」
かがんでいた状態から身体を起こして、エリザベートはことさら明るくそう言った。
せっかく良い夢をみれたと思ったのに、エリザベートのせいで台無しだ。
つん、とそっぽを向き、夜着から衣裳を着替える。わたしの目覚めに気づいたミーリエルが、慌ててそれを手伝った。エリザベートは、その場でそれを眺めているだけだ。
「エルのこと、手伝ってくれれば良いのに」
「髪結いしかやるなとの厳命をいただいてますので」
遠慮しときます、という言葉とともに、にへらと返される。ふうん、とわたしは目を細めて、ミーリエルに向き直る。彼女は困った顔で笑っていた。
着替えを終えて、朝食の席へとうつる。いつもは何とも思わないのに、なんだか忙しないと思ってしまったのは、あんな夢を見てしまったからだろうか。
懐かしいような、全く知らないような、何かの予感を感じさせるような。
そんな、不思議な夢。
目が覚めたのは、深い深い森の中だった。記憶は霞がかっていて、あぁ、何故私はここにいるのかと、途方に暮れる。
なんとか森を抜けたけれど、そこは草原が広がるばかりで、人の気配などしなかった。身体は幼い。手も、足も、わずかな疲労や傷で悲鳴を上げる。
心はもっと頼りなかったように思う。寂しくて、恐ろしくて、取るべき手を取らず、そうしてそれが決定的な破滅を呼んで、突き放されてしまった。
裏切りたかったわけじゃない。そう、ただ、知ってしまっただけだったのに。
それでも私は、許されないことをしてしまったのだ。
そんな私を拾い上げてくれたのが父と母だった。それ以外の呼び名を私は知らない。幸福だった生活はほんの数年。彼らは死んでしまった。私を拾ってしまったがために、きっと彼らは死んだのだ。
きっと彼らは殺されたのだ。
どこの誰かもわからない、不気味な色を抱えて産まれた、呪われた私のせいで。
そんな私が、思いもしない幸福を手にしてしまった。だからあの人は不幸を手にするのだろう。私なんかに関わってしまったばかりに。
広い広い草原のただ中で、私は宝を手に世界を見ていた。美しい世界。優しい世界。私が壊してしまう世界。
「ウィリア」
遠くから聞こえる声に、耳を澄ます。何度も何度も聞こえる呼び声に、小さく笑って、隠すように宝を抱え込んでうずくまった。
足音が近づき、次いで声が笑う。
「こんな所にいたのか、探した」
へぇ、そう。と、意地悪のつもりでにやりと笑う。私が何か気に入らないらしいと気づいたのか、慌てたように言葉を探している、その姿。
生真面目で、育ちの良さが抜けなくて、こんな田舎にはそぐわない気品の持ち主。
「心配した」
そう言って手がこちらに伸ばされて、これでもかと甘やかしてくる。くすぐったくて、私はくすくすと笑いながら身をよじった。
「ちょっと、やめてください、もう!」
不穏な動きにぞくりと背筋が泡立ち、思わず不埒なその手をはたく。ぱっとその場を離れたその手を抱えて、怒った? と伺う姿に、むっと唇を尖らせた。つん、とそっぽを向く。宝を大事に抱え直した。
隣にぴったりと寄り添う気配に、苦笑する。まったくもう、困った人だ、という思いとともに、ため息を吐いた。
あたたかい。大切だと思った。宝とともに、霞がかった過去のことなど知らない振りをして。
ああ、けれど既に、私はこの人を不幸にしてしまっている。だって、この人は光り輝く道を捨ててしまっているから。あんなにも、あんなにも大事にしていたものを、私は彼に捨てさせてしまったから。
私のために捨てたのでしょう? などと言えば、うぬぼれるな、と抱きしめられるのだろうけれど。
遠いあの日、あの頃の私は、こんな未来なんて予想もしていなかった。
ただ、一人亡くしたものを振り返って縋り、閉ざし、目に映る何もかもを知らないふりして過ごしていた、あの頃は、未来に思いを馳せるなんてことも、思いつきもしなかったのだから。
いつか、世界に溶けてしまう時がきたとしても。
もう、私はこの人を唯一と決めている。
「幸せな夢、ですか?」
きょとん、とエリザベートが問い返す、うん、と朝食をつつきながらわたしはうなずいた。
エリザベートとミーリエルが、そろって首を傾げてくる。
「夢を、久しぶりに見たの。あたたかくて、優しくて、幸せで」
あぁ、でも。
「なのに、とても寂しい夢だった」
大切なものを抱きしめていたはずなのに、心は満ちていたはずなのに。
一抹の不安。後ろめたさが、真っ白な紙に落とされたインクのシミのように、無視できなかった。
「……たとえばいつか、世界に溶けてしまっても」
側にいる。そう、誓ったのは誰だろう。誓ってくれたのは、誰だろう。
誓ってくれるのは、誰だろう。
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