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3.ゼルクバード・テトロ・シュバリエーン

 屋敷の北側。日の光の射さぬ離れの一室。数階に渡る広い書庫。

 その地下の片隅に、ただページをめくる人形がいることを、僕だけが知っていた。




「本当ですか! お母様!」

 ゼルクは喜びに頬を紅潮させ、たった今告げられた嬉しい知らせを、信じられない思いで聞き返した。

 母親は微笑みを浮かべながらうなずく。それを見るが早いか、もう暗くなりはじめているにも関わらず、ゼルクは身を翻し外へ飛び出した。


 ニルヴァニア神聖王国。王家の遠い親戚に当たるシュバリエーン公爵家の三男であるゼルクバード・テトロ・シュバリエーンは、上の兄に似て身体を動かすことを好み、下の兄に似て好奇心旺盛だった。実は彼の奔放さは姉にそっくりであったのだが、ゼルクは会ったことのない姉のことを、ほとんど知らない。幼くして病弱であった姉は、ゼルクが五つを数えるかどうかの頃に、外国へ留学してしまったのだ。

 ともかく、行動力があり知りたがりであった彼は、知りたいことがあれば人に訪ね、わからなければ本を読み自分で調べる。しかし、幼すぎることを理由に、これまで書庫には立ち入りを禁じられていた。

 それを、七歳になったその日。沢山の祝いの言葉や贈り物とともに、父から許可が下りたのだった。

 ゼルクにとって、何よりも嬉しい贈り物だった。


 書庫のある建物は二階建てで、加えて地下に一階分。その全てに本があるというのだから、ゼルクにとっては夢のような場所である。上の兄や弟などはゼルクが本の話をするだけで弱った顔を浮かべるため、喜びを分かち合う相手がいないのが面白くない。下の兄はゼルク以上に本を読むのだが、話をする以前に近寄るだけで向こうが避けるため、下の兄からは嫌われているらしいと幼心に感じていた。


 それでも本の中の知識に対する欲求はやまず、ゼルクはいつも一人でページをめくるのだ。


 書庫のある離れの扉を開くと、響いた物音に気づいてか、小部屋の窓が開く。書庫の管理している老爺が、ゼルクの姿におやまぁと瞬いた。

 しかしすぐに破顔して、

「旦那様からお話は伺っています」

そう言って、カンテラを差し出してくる。「火の扱いには、十分お気をつけ下さい」と付け加えて。

 ゼルクは生真面目な表情に変えてうなずき、一階から順番に本棚の間を歩き始めた。



 二階の奥までたどり着いて、ゼルクはため息を吐いた。

 それもそのはず。当然だが、ここに並ぶ本はどれもゼルクには難しすぎたのだった。もっともっと勉強しなければ、と思うのに、勉強しようと何冊か手にとったもののちっとも内容がわからない。辺りはすっかり暗くなり、頼れるのは手に持ったカンテラだけだった。

 残るは地下だけだったが、地下の書庫を見るのは明日にして、今日はもう帰ろうか、という考えが頭をもたげる。

 けれどあと少しぐらい、とゼルクは奮起し、階段を下りていく。一階にたどり着いて、やはりもう帰ろうか、と一度立ち止まったが、それでもそこからさらに地下へと降りた。

 月明かりがもれてまだかろうじてものの判断がついた一階や二階とは違い、地下は真っ暗闇と言ってもよかった。七歳の少年はつばを飲み込み、そのまま歩き出す。石壁の細い廊下を辿り、手が木の扉に行き着いた所で足下を照らしていたカンテラをかざす。

(少しだけ。少しのぞいて、そしたら家に帰ろう)

 かたり、と手をかけた扉が開く。ゆっくりと開いたその扉の向こう、ゼルクが手にしているカンテラとは別の光源の存在に面食らう。


 そして、ぼうっと現れた人影に、

 ゼルクは声のない悲鳴を上げて、その場から逃げ出した。








 ばかだなぁ、と上の兄が笑う。

「書庫で幽霊を見たって? やっぱりゼルクはまだまだ子どもだなぁ」

 違うもん! とゼルクが叫ぶ。

「誰か居ただけだっていってるだけだろ!」

「居ないよ」

 するどく割り込んだ声があった。ゼルクはびくりと肩を震わせて、声の方を振り返る。

 そこには、ひどく不機嫌そうな下の兄の姿があった。食事も終え、兄弟四人。夜の団欒の場であるにも関わらず、暖炉の前で本に視線を落としたまま。下の兄はゼルクの方をみもせずに、固い声で続ける。

「書庫に、そんなのは居ない。いちいち騒ぎ立てるなら、もう二度と入るな」

 不愉快だ、というように、下の兄は本を閉じ、立ち上がる。上の兄が慌てて取りなすが、さほど効果は得られなかったようで、下の兄は部屋から出て行ってしまった。

 こんなときに、ゼルクは思うのだ。

 下の兄には、嫌われているのだ、と。



 翌日、ゼルクは目が覚めてすぐに部屋を飛び出した。まだ早朝で、厨房で下働きの人たちが活動している音しか聞こえない。

 幸い誰にも見とがめられることはなく、ゼルクは書庫の前に立っていた。誰かに見られても、急ぐ理由をなんと答えてよいかわからなかった。

 走ってきたために上がった息を整えて、一度強く目をつぶる。大きく息を吸って、前を見た。

 扉を、そっと開く。

「おや。おはようございます」

 早朝にもかかわらず小窓から顔を出した老爺に、ゼルクは小さく頭を下げる。カンテラを受け取って、迷わず階段を地下へと降りていった。


 昨日は感じなかったひやりとした冷気は、ゼルクの恐怖心に比例しているのだろうか。

 それを振り払うように首を振る。大きく息を吸って冷たい空気を肺に満たし、きゅ、と唇を噛み締めた。

 書庫へと続く扉を前にして、今度は逃げない、今度は逃げない、と何度も心の中で唱えながら、扉に手をかける。

「……」

 ゼルクが書庫に入ると同時に、どこからか扉の閉まる音が聞こえた。はっとして音の方を振り向くが、どこから音がしたのかは判断できない。

 前に向き直ると、ぼんやりと明かりが見えた。光源は本棚の陰で見えず、そちらのほうから、ページをめくる音がする。

 そっと、足を踏み出した。


 本棚の陰を逃げ腰で覗き込み、ゼルクは瞬く。そこにいたのは人形だった。大きさは等身大。おそらく、ゼルクと同じくらい大きい。人形は行儀よく椅子に腰掛け、テーブルの上に両手を置いて、その間に開いた本を見つめるようにして、ただ、静かにそこにあった。

 神秘的な赤紫の瞳、黒い髪は長く、頭の後ろにちょこんとリボンが結ばれている。身にまとっている衣裳は白とも黒ともつかない、カンテラの明かりに照らされ、ぼうっと浮かび上がっているようだった。

 なんだ、とゼルクは息を吐いた。そこにあるのは確かに人形で、幽霊でもなんでもなく、昨夜だってこの人形がいただけだったのだ。

 なんだ、と、もう一度息を吐く。ゼルクは、安心して地下書庫の本棚を見渡した。あ、と瞬く。題名からして、ゼルクにもわかるような本が並んでいるのだ。嬉しくなって、持っているカンテラを掲げて、夢中になって本を取り出す。開いて、ページをめくっていく。うわぁ、うわぁ、と小さな声で歓声を上げながら、次第に意識はページへと集中して行き、


 ぱらり。


 わずかな音を、耳が拾った。


 思わずゼルクの手が止まり、思考が止まる。音がした方向をゆっくりと振り返った。視線の先にあるのは人形だけで、さっきと変わらない姿勢でそこにある。

 ではどこから、と視線をそらした所で、視界の端に何かが動いた気配を関した。

 ひっ、とそちらへ素早く視線を滑らす。やはり人形だった。人形の手が、わずかに浮いている。ゆっくりと、本のページがめくられる。

 あぁ、とゼルクの喉から細い悲鳴が漏れた。




 昨夜と同様に、声にならない悲鳴をあげて、ゼルクは暗い書庫から、明るい朝日の元へ飛び出したのだった。


読んでいただきありがとうございます。

誤字脱字など他、何かございましたらご一報いただければと思います。

評価ありがとうございます! つたないお話ではありますが、頑張ります。

これからもよろしくお願いします。




雑記

幕間です。下から二番目です。ウィリア込みで考えるなら、公爵家の第5子。

ちょっとホラー(笑)? 感情描写が単純すぎる気もしますが、7歳児なので。いやしかし7歳児の思考回路も案外侮れなかったりしますが。こういうとき、このぐらいの子と交流できればなぁとぼんやり思います。さじ加減がわからない。でも、案外しっかり考えてるんですよねぇ子の年頃はこの年頃の哲学で。うちのゼルクは、こんな感じです。

あと、お姉ちゃんの「留学」って言うのは、「療養」も込みで。


幕間は多分、三つか四つほどになるかも。願わくば三つで。これ含めた二つは決定してます。

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