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25.誰もが大切だと思えるものを。



 窓の外を眺めながら、憂鬱そうにため息を吐く男の横を、エリザベートは素知らぬ振りをしつつ通り過ぎた。

「エリザベート」

 呼びかけに、内心舌打ちしたい気持ちをこらえて振り返る。本日は侍女の制服を来ていなかったため、余計に目立ったのだろう。

「なんですか」

 赤毛を見上げながら、緩い姿勢で答える。

「オルウィス議員」

 こんな呼び方をするのは、おそらくエリザベートくらいだろう。本来つけるべき尊称は爵位。オルウィスは伯爵家の跡取りであるため、子爵の位を持っている。

 しかしそんなこと、エリザベートには関係ないのだった。

 エリザベートの呼び方に、オルウィスは少しだけ不愉快そうに眉を寄せたが、それを振り払って問いかけてくる。

「お前は、ウィリアローナ姫をどう思う」

 ごまかしの一切交わらない問いだった。ただそれだけを聞くための、むき出しの言葉をわざわざ選んで、オルウィスは口にした。

 エリザベートは瞬きつつも、驚いたというそぶりを見せることなく、そうですねぇ。と微笑む。

「好きです」

 直球に、直球で返す。それの何がいけないのだろう。納得いかない、というように、オルウィスが眉を上げる。

「あの方は、まっすぐで、何も知らなくて、一生懸命で」

 ご存知でしょう? とエリザベートは肩をすくめる。

「我々使用人は、姫君にめろめろなんですよ?」

 使用人であっても礼を尽くすウィリアローナの姿勢を、好ましくないと思う人間などいなかった。

 冬に閉ざされ尽くしたヴェニエールは、しかし人の出入りが盛んな国であるため、働き口に困ることはない。

 議会が動いていない今、国中の随所に見られる国が関わる物事は、ほとんどが陛下の手ずから行われたことだと考えても良い。

 そのため、使用人は皆知っているのだ。それぞれの上司から指示がくるとはいえ、皇帝陛下その人が自分たちがいかに働きやすく過ごせるか調整してくださっているかということを。

 そんなお方に嫁がれたお姫様が、心優しい少女で良かったと。

 庭師の翁など、目尻を下げて皇帝陛下と姫君の庭園散策を見守ったというのに。

「そうなんだよなぁ」

 何を思ったのか、オルウィスがため息まじりに同意する。なんなんですか、とエリザベートは白い目を向けた。

「いや、この前、すれ違った際声をかけられたんだが」

「はい?」

 まさか、それが滅多に言葉を交わさないくせに突然呼び止められた本題だというのか、とエリザベートは呆れる。話を聞いてくれる人であれば誰でも良かったのではなかろうか。そうであるならきっと、ミーリエル辺りの方がもっとずっと和やかに聞いてくれたに違いなのに。




 ただすれ違うだけのはずだった。オルウィスと、ウィリアローナ。ウィリアローナはおそらく閉架図書室からの帰りだろう、本を抱えている。

「……、」

 ふと、ウィリアローナが足を止めた。その暁色の瞳はまっすぐにオルウィスに注がれており、身分上無視するわけにも行かず、オルウィスも足を止める。

 本来であれば一刻も早く執務室へと戻りたかった。ここ数日重要な案件が立て続けにあり、オルウィスもエヴァンシークも仮眠しか取れていない。他の議員に働けタダ飯ぐらいと蹴りを入れたい。爵位を継いだなら伯爵以下の駄目議員は全員更迭してやる。というのがオルウィスの野望だ。使える人材はコツコツ集めている。

「オルウィス、様」

 声をかけてくる割に、その距離は思いのほか遠い。ここ最近、エヴァンシークと並んでいる姿をよく見ているため時々忘れそうになるが、男性恐怖症はいまだ治っていないらしい。

 呼びかけられたため、向き直る。なんでしょう、と視線で応えた。

「顔色が、優れないように見えます。……ちゃんと眠っていますか?」

 いません。と笑顔で答えそうになるのを、必死でこらえる。オルウィスは視線をそらして、ええとですね、と当たり障りのない返答を探した。

「誤摩化しは無しです」

 しかし、思いのほか鋭い声が飛ぶ。苦笑して肩をすくめた。仕方がないので、白状する。

「ここ数日、仮眠しかとっていないのは確かですね」

 やっぱり、とウィリアローナがむくれる。そんな表情もするのかと意外に思いながら、オルウィスは首を振った。

「ウィリアローナ姫、それ、エヴァンシーク陛下に言いました?」

「陛下に? 何故です?」

 返答を聞いて、オルウィスはやはり、と呆れる。あの激務の中素知らぬ振りで和やかに姫君とお茶を楽しめる皇帝陛下の神経を伺いたい。むしろ環境の極端すぎる変化によって神経すり減っていないか心配になるほどだ。

「私は多少仮眠をとっていますが、あのお方、あぁ、皇帝陛下のことですよ。ここ数日寝ているかどうかも怪しいですよ」

 驚きにウィリアローナ姫の目が見開かれるのを、あぁ、口が滑ったかな、というひやりとした思いを抱きながら、「それでは、まだやることが山ほどあるので」とオルウィスは一礼した。あぁはい、とウィリアローナがうなずき。小さく頭を下げる。

 そうして、ウィリアローナとオルウィスはお互いに背を向けてまた歩き出したのだった。


 それから数日、時折考え込むウィリアローナの姿が見られた、というのは、エリザベートが侍女仲間から聞いた話だ。




 一通り話を聞き、ああ、なるほど、とエリザベートは納得する。その反応を疑問に思ったのか、オルウィスが眉をひそめた。いえ、とエリザベートは一言置いて、

「いま、コウテイヘイカと姫様がお茶をしているということは、知っていますよね?」

「はぁ」

 それはまぁ、とオルウィスはうなずく。

「今回、お茶の準備をしてないのですよ」

「……」

 それは、どういう? とオルウィスが首を傾げる。ですから、とエリザベートは繰り返す。

「お茶の準備を、侍女は一切せずに、そのかわり寝台を整えた。という話です」

 口にしてから、これだけ聞くとすごい話だ、とエリザベートは苦笑する。そこにウィリアローナが絡んでくるため、人物像と出来事がちぐはぐすぎて噛み合わず、非常に面白い。

 オルウィスも同様で、意味が分からない、と首を捻った。

「おそらく、オルウィス議員の話を聞いて、無理にでも仮眠をとっていただこうと考えた、ということでしょうけれど」

 あぁ、なるほど、とそこでようやくオルウィスもうなずいた。しかしそれは、といくらか微妙な表情を浮かべる。

「一歩間違えたら」

「良いではありませんか。夫婦ですし」

 それはまあそうだが、とオルウィスが言葉を濁し、突然一点を見つめて表情が停止する。それは、思いもしていなかったことを突然思い出したかのように。

 固い動きで、オルウィスがエリザベートを見下ろした。

「なんですか」

 何を言われるかわかっていたため、エリザベートは不機嫌に返す。その機嫌の悪さに気後れしたのか、オルウィスはいや、と手をひらりと振った。

 しかし、付け加えるように何気なくを装った問いは、こらえきれなかったようだった。


「お前は、陛下をどう思っている」


 そんなことを聞かれて、素直に口を滑らすような馬鹿は城にいてはいけないと思う。

 ウィリアローナがそれだから、困った話なのだけれど。



 オルウィスの問いを一笑に付して、エリザベートは廊下を歩きながら窓の外を見上げる。

 エリザベートにとってのエヴァンシークは、生かしてくれた恩人だ。しかし、そこにエヴァンシークにとってのエリザベートを考慮するから、話がややこしくなる。

 それでも突き放すことができないのは、エリザベートの甘さだろうか。

 仕方のない人なのだ。高みにいて、孤独で、父親を蔑視して、ああはなりたくないと言いながら、ああなってしまうのではないかと恐れている。


 一室の扉を静かに開く。次の間のさらに奥へ。主人の部屋でありながら優雅にお茶を楽しむ知り合いの侍女を見て、苦笑した。何やってるのと声をかけるが、彼女は肩をすくめるだけだった。

 一癖も二癖もあるが、だからこそ信頼できる。そんな人間ばかりが、ウィリアローナのもとに集まっているような気がする。

「二人は、寝室かな?」

「ええそうよ。壁が厚いからでしょうけど、話し声も物音も、何も聞こえなくてどうしたら良いかわからないわ」

 優雅にお茶を飲みながらの言葉では、説得力の欠片もなかった。

 そう、と笑って、エリザベートは寝室への扉を静かに開ける。まず視界にうつったのは、寝台で寝息を立てる皇帝陛下のお姿だった。

 ただ眠っているだけなのに、仕方なく、根負けして眠っているような気がするのは気のせいだろうか。久しぶりに寝台に身を沈めている皇帝陛下を見ることができて、どこかほっとする。

「ありがとうございます」

 小声で、ウィリアローナに礼を言う。寝台の傍ら、枕元の椅子に座るウィリアローナのそばに寄った。

「……あぁ、もう」

 エリザベートは苦笑した。そのまま寝室を出て、お茶を楽しむ侍女に言づてをする。彼女は快く受けてくれ、エリザベートは再び寝室へと戻った。

「ほんとうに」

 続けたい言葉は、不敬であるため口にしない。しかし、そんな所こそもっとも好ましく思う点だと主張したい。

 なんて平和な光景だろうと、エリザベートはその場に佇んだまま、じっとそれを見つめていた。


 しばらくして、寝室の扉が開かれる。先ほどの侍女が顔をのぞかして、うわかけをエリザベートへと手渡した。そして部屋の様子に気がついて、目を見開く。

 エリザベートと二人、顔を見合わせて笑う。


 椅子に座ったまま眠るウィリアローナを、そっと優しく、うわかけで包みこむ。


 眠るエヴァンシークを見ているうちに船をこいだのだろう。けれどここまでエリザベートたちの気配があっても起きないというのなら、寝る間も惜しんで悩んでくださったのだろうか。

 皇帝陛下の為に、悩んでくださったのだろうか。




 本当に、とエリザベートは目を細めて、思う。

 この、春を呼んだ姫君は、あなたにはもったいないほどのお方かもしれません。


 もしも、このお方が本当にここにいることで息ができなくなるというのなら、その時は本当に。



 私が。


(第二章  おしまい)



読んでいただきありがとうございます!

誤字脱字などございましたらご一報いただければ幸いです。



雑記

二章終わりましたー!8月中に終わらせるつもりが、9月に食い込みましたが!

というわけでほのぼのした感じで。夫婦はじれったく進んでいきます。

リゼットさんが非常に不穏です。もやっとする引きでございました。

個人的には二章後半、ヘイリオとミーリエルが一切出てこなくなってしまったため転げ回る感じでした。おかしいな。陛下とウィリアの間が氷点下だから癒し要員だったはずなのに。


次回三章。春を呼んだお姫様、春を呼んだ国の冬編。です。一応季節はあるんです。日本みたいにわかりやすい四季ではありませんが。

冬春(ちょっと気温が上がってすぐ落ち着く)冬春(以下略)みたいな。極端。


忘れられていそうなあの人も出ます。多分。

一章と二章の間みたいに、一ヶ月くらいあくかもしれません。また幕間を二つほど入れたいとは思っています。うち一つは、シュバリエーン家の末っ子か下から二番目の話を書くつもりです。


というわけで無事二章を終えることができました。ありがとうございます!

これからもよろしくお願いします。

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