22.皇帝陛下の思うこと。
ため息とともに、思った。
そろそろ。
「……いい加減にしてほしい」
「はい?」
扉の前で振り返ったのは、エリザベートだった。その視線の先でいや、いい、と手を振るのはヴェニエール皇帝、エヴァンシーク。エリザベートは首を傾げてその場にとどまるが、エヴァンシークが「急いでいるのではなかったのか」と問うと、あぁそうでしたと声を上げて慌てて退室していった。
執務室で一人になったエヴァンシークは、また一つ、ため息をつく。
このところ、昼間にウィリアローナの部屋へ通うようになってから、周りがとにかくうるさい。
ミーリエルやオルウィス、とくにその他。とにかくウィリアローナがいかに愛らしい姫であるか分かったか、といった旨の問いが多く、それらの小言は最終的に世継ぎがいつできるのだなんだという話へと発展する。何をどうしたらあそこまで侍女や兵士、下働きの連中の人気を勝ち得ているんだあの娘。
(正直に言えばいいのか。勘弁してほしい、と?)
言えるか、とエヴァンシークは内心で吐き捨てる。これがまわりまわってウィリアローナの耳に入ることを考えると、エヴァンシークは花嫁に対する愚痴もろくにできなかった。
おもむろにペンを置き、執務机に突っ伏する。雑念が混じり始めたことに、仮眠の必要性を思いついた。久しく寝台で眠っていない気がする。今日こそは自室に戻って眠れるだろうかと考え、急な案件に思考を巡らして無理だろう、と断じる。
姫君は、憂い無く過ごせているだろうかと眼を閉じながら思った。執務机に突っ伏したとしても、本当に寝るわけにはいかないため、つらつらとどうでもいいことに思いを馳せる。
殺人的な忙しさにかまけて、やってきたばかりの花嫁を放置していたことは咎められても仕方が無いとは思うが、それ以上のことを他からとやかく言われる筋合いは無かった。婚約式を終えてからは、それなりに合う回数も増やしている。
何が不満だ。
仮に、エヴァンシークが政務にも取り合えぬほどウィリアローナに本気で恋などしたらどうなるか。あっという間にこの国は傾くだろう。そうして一番困るのはお前らだぞと。そんなことを聞いてくる暇があるならまずまともな書類を出せ。予算計画書一つろくなものを持ってこない。
むしろ現時点でよくもこの国が大国として存在し続けていられるかが、エヴァンシークにとって奇跡に等しかった。
もし仮に、この先そんなことが起こるかどうかは分からないが、議会にまともな人間が増え、政治が本来の形に戻ることがあったなら、その時は、花嫁に恋することができるかどうか向き合うことも考えよう。
今はただ、それどころではない。
他の誰が現状を甘く見ていようとも、エヴァンシークの仕事量を見れば考えを改めざるを得ないだろう。議会が機能していないのだ、この国は。
おそらく、エヴァンシークの父、先代皇帝の頃からこの状態だったのだろう。戴冠してから真っ先に無能な議員の排除を行うべきだったと今更ながらにエヴァンシークは後悔している。しかし、当時は当時で他国との緊張状態が続いており、実際いくつか戦をし、勝利してもいるのだ。両方一度に解決できることではなかった。
剣ばかりふるっていれば良かったあの頃とは違い、考えなければならないことが山ほど増えた。目の前の問題を良いように調整すれば、どこかで必ず不具合が出る。全体を把握してよいようにすれば良いのだが、しているうちにどこかがずれる。きりがない。
ならばもう少し政治手腕を身につけてからと思えば、気づけば問題は手がつけられぬほどに肥大化していた。
あげくの、ウィリアローナだった。
(害が及ばぬよう手を回すだけで精一杯だ)
護衛役として、早急にだれか騎士をつけなければならない。
既に当てはあるのだが、本人が納得いく形でと思うと、なかなかすぐにとは行かないようだった。
軍は良い。信頼の置ける部下が沢山いる。エヴァンシークはゆっくりと目を開けた。執務机に突っ伏していた上体を起こして、首をゆっくりと回し、肩を回し、伸びをする。
思考は一周したのか、再び頭に浮かんだのは世継ぎのことだった。
「だいたい、歳だっていくつ離れてると思ってる」
「さぁ? いくつでしたっけ?」
独り言のつもりが、返事があった。はっと振り向けば、扉の前にエリザベートが佇んでいた。
「用事は終わりましたので、様子を見に参りました」
聞いてもいないのに気になることを答えてくる姿が、忌々しい。
「何故その恰好をしている」
侍女の制服をまとうエリザベートに問いかける。髪を切ってから侍女はやめたと思っていた。
「城内を歩くには、こちらの方が目立たないんですよ」
そうか、と返した。そうなんです。とエリザベートがうなずく。余裕ぶった顔に一石を投じたくなり、ウィリアローナの歳を告げる。
さすがに驚いたのか、目論み通りエリザベートが目を丸くした。
「式の準備で慌てているうちに、また一つ迎えたはずだが」
「なるほど、十近く離れているわけですか」
私よりも年下だったんですねぇとしきりにうなずく様子に、むしろ何故今まで知らなかったと呆れた。
「得ていたのはハプリシア王女の情報だけでしたので。特に必要に迫られることもありませんでしたし」
また、エヴァンシークの疑問を口にする前に答えてみせる。お見通しか、と苦笑した。
「しかし、一国の主と妃としてはいくつはなれていようが構わないのでは? 世継ぎを残すことが第一でしょうに」
エリザベートがそう口にしたとたん、エヴァンシークが顔をしかめた。それを見て、すぐにエリザベートは失言でした、と笑う。
「そうして、いったい父が何人の妃を泣かせてきたと思っている」
苦く呟いた。エヴァンシークは、父にいったい何人の妃がいたか知らない。父は位を退くまで、後宮の一切を外部に漏らそうとはしなかった。
息子であるエヴァンシークは、後宮で育つこと無く、長じて軍に籍を置くまで王都から遠く離れた辺境で育ったのだった。
妃たちの自由をことごとく奪った先帝のような真似はしない。絶対に。
それが、花嫁を迎えることが決まった際、エヴァンシークが強く心に決めたことだった。
「エヴァンは子どもですねぇ」
力のこもるエヴァンシークの瞳を見つめながら、エリザベートは呟く。彼に聞こえないように、小さく小さく。聞き咎められたくなければ言わなければ良いのだが、口に出さずにはいられなかった。
「飄々と余裕ぶって大人ぶって、その実、ただの剣を振るしか能のない単純馬鹿なんですから」
乙女心の一つも分からない。全く持って残念な。仕方のない人です。とエリザベートは笑う。
「時間の感覚、大丈夫ですか? そろそろ姫様とお茶の時間ですよ」
あぁ、とエヴァンシークはうなずいて、立ち上がる。
読んでいただきありがとうございます。
お気に入り登録、評価、いつもありがとうございます!
これからもよろしくお願いします。
誤字脱字などございましたらご一報いただければ幸いです。
雑記
ここで持ってきました陛下視点。独白。陛下だって、一生懸命なのでした、と言う話。実は続く。