16.深夜の訪問者
城が寝静まった時刻。壁一枚隔てた向こうは陛下の部屋だと言うのに、物音一つ聞こえなかった。
なにが忙しいと言うのだろう。
これから冬に備えて備蓄や各地の様子など、雪が降り積もる前にすることは山ほどあるが、それにしたって通常業務の一環であるはずだ。こんな風に、陛下が睡眠も取らず働かなくてはいけない理由にはならない。
皇帝陛下に無理をさせないための議会制度ではないのか。
この国の議会は上手く機能していないというのだろうか。
文字だけ詰まった頭で考えたって、答えが出るわけも無かった。
小さくため息をついて、わたしは寝台から身体を起こした。
眠ろうと思って横になったはずなのに、なかなか眠ることができなかった。
あれから、ミーリエルには無事渡すことができた。彼女は非常に喜んでくれて、久しぶりに見る挙動不振な態度に苦笑する。
けれど思い出し戸惑うのは、陛下の言葉だった。
『良い物を選んだようだ。大切にする』
(……選んだんじゃ、無いですよ)
心の中で、わたしは陛下を思って口にした。わたしが自分自身の手で作ったなどと、きっと、陛下は思いもしていないのだろう。
引きこもりの本の虫、が手芸に通じてるとは夢にも思わなかったというなら、納得する。わたしだってそう思う。
それにしたって。
少し、寂しかった。
はぁ、と小さくため息をついていると、がたん、と無視できない音量の音が響く。続いて、がたがたん、と、さらに激しく。
辺り一帯に響くほどではないが、わたしの心臓をすくませるには十分の、音と、激しさだった。
「……何」
小さな声が口からこぼれる。慌てて両手を口元にあてがった。音は、寝室から扉一枚隔てた居間の方から聞こえたようだった。
居間から廊下へは、次の間があり、廊下の前にいるであろう騎士に音は届かなかったようだった。
しん、と静まり返る。
得体の知れない恐怖に、身がすくむ。
音は、もうしない。耳を澄ませても、気配など探れない。
だからと言って、このままシーツを被り眠れるほど、図太い神経を持ち合わせてはいなかった。
いや、以前であれば何も疑問に思うこと無く無視できたかもしれない。内にこもり本にかじりついていたあの頃であれば。それはもう、忘れた感覚であったけれど。
そっと、シーツから足を出した。ぬるい床へ、素足をおろす。細心の注意を払い、物音をたてぬよう気をつけながら、居間へと通ずる扉に寄り添った。
耳を澄ましても、音は聞こえない。小さく息を吸う。止める。ノブを、最小の力で回した。
薄く空けた隙間に、ふわりと白い陰が入る。
ひ、と悲鳴を上げかけたが、本能を理性で押さえつける。落ち着いてみれば、カーテンの裾がなびいていた。
(……どうして)
戸締まりを、忘れたはずは無い。
月明かりに照らされて、人影がカーテンの向こう側にあった。
「ぐあああっ」
男の悲鳴に、肩が震えた。明らかに、人影の方から響いた声だった。
「誰だ、貴様」
悲鳴を上げた男が、誰かに問いかけている。わたしは思考することもできず、ただ扉を薄く開いた隙間から、見える様子を見つめるだけだった。
「恐いですか?」
柔らかな声に、なんだかはっとした。どきりとした。なぜ? わたしは自分の胸に問いかける。答えは無かった。
男の人とも女の人ともつかぬ声に、不思議と耳が集中する。
「姫様」
自分に対する言葉だったことに、息をのんだ。気がつけば一歩扉から離れていた。
「傷つけないとお約束いたします。少し、お話ししませんか」
柔らかな声だけが、わたしを手招きしている。
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