14.息ができなくなった魚
あまりにも無垢で純粋で、美しいから。
あなたの前に立つと立ちすくむのだ。
呼吸すらままならなくするほどの純粋さに。なぜだか、綺麗すぎる水には魚が住めない、という話を、思い出すのだ。
呼吸をすると言うこと、生きていると言うことは、綺麗なままでは、いられないのに。
「エリザベート?」
陛下が眉を上げて尋ね返すのに、わたしはこくりとうなずいた。
あれから、ミーリエル、オルウィス、他の侍女など、それぞれにエリザベートの行方を問いかけたのに、誰も答えてくれなかった。わからないという答えばかりで、そして忙しそうにわたしの前から去っていく。
何も言わない陛下に、わたしはおずおずと言葉を重ねた。
「毎朝わたしの髪を結ってくれた、金の髪の……。わたしの侍女です」
少しの沈黙のあと、ようやく、陛下は口を開いてくださった。
「あぁ。エリ」
「はい?」
「いや」
中途半端に言葉を切った陛下にわたしが首を傾げてみせると、つい、と顔をそらされた。何が起きたのか分からず、わたしは首を傾げたままの状態で、陛下をじっと見つめる。
陛下は何食わぬ顔でテーブルへ視線を戻し、カップを口元へと運んだ。
「そもそも、侍女ではないからな」
「はい?」
わたしは同じ言葉を繰り返した。
陛下と向かい合わせに座って、紅茶を片手にお話。これまで数回行っているとはいえ、緊張して口がまわらず、ときどき口を開く陛下の言葉に相槌を打つくらいしかできなかった初回から考えれば、だいぶ成長したと言えるだろう。
意を決してようやくエリザベートのことを陛下に問いかけられたと言うのに、得られた答えは思いも寄らないものだった。
てっきり、侍女のことをなぜ私が把握しなければならないとか、言われると思っていた。
「あれは言っていなかったか。自分は侍女ではない。と」
「き、聞いてない、です」
あぁ、ちょっと待って。そう言えば、厳密に言うと違う、とかなんとか言っていたような。けれど、それが、どういうことになると言うのでしょうか。
「何より、あれが姫の側から離れたいと言い出した」
「……リゼットが、陛下に?」
そんなことを、あの人は言ったのか。
ぐらり、と視界が揺れる。
何かしてしまっただろうか。彼女がわたしから離れて行ってしまうような何かを、わたしは、知らないうちにしでかしてしまったと言うのだろうか。
「くだらないことだ」
わたしの揺れる瞳を覗き込んで、陛下は仰った。
「些事だ。姫が気に病むことではない。あれが、気にしすぎただけだ」
陛下のこの言葉は、慰めてくださっているのだろうか。エリザベートを罵りながら、陛下はわたしを慰めてくださる。
けれど、エリザベートはわたしの前から姿を消したのだ。
あなたが上手だと言ったのに。
あなたが怒りながら言ったのに。
あなたが言ったから、複雑な図案を刺してみたの。
あなたが言ったから、苦手な図案も刺してみたの。
心を込めたもの、誰かに見せたいと思ったものを、まだ。
「……まだ、見せてません」
暇つぶしに刺したものしか、見せてない。
思わず、言葉が漏れた。
小さなつぶやきだったのに、陛下は拾ってくださる。なのに、何も聞かない。じっとこちらを見つめて、今度は、わたしが顔を逸らす番のようだった。
「あれは侍女ではない。あれにはもっと、別の役目がある」
ぐらぐらと揺れる視界、思考の中で、わたしは陛下の、どこか楽しそうな瞳に気づかなかった。
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