13.欠けていく日常
無意識にミーリエルの姿を探していると、ふわりと抱き上げられた。
……なぜ。
「陛下?」
慌てて首を巡らして陛下の顔を見つけるのだけれど、あまりの近さに心臓が悲鳴を上げた。もしかしたら本当に悲鳴が上がったかもしれない。
ひゃあああああと肩口に顔を隠すが、それはそれで感じる体温や鼓動が恥ずかしく。泣きたい。うううと顔を上げるけれど、どこに視線を落ち着けて良いか分からない。
「……?」
何をしている? とでも言うような目で見ないでクダサイイイイイ。
思わず恨みがましい視線になる。足を捻った時は緊急事態だったしあの頃は陛下のことなど何とも思っていなかったというかそれどころじゃなかったというか。
……なんで、わたし、こんなに恥ずかしいの?
ふと思いついた疑問に、きょとんと首を傾げる。
惚けているわたしをよそに、陛下は遠くに向かって呼びかけた。
「ナギク!」
一拍遅れて、悲鳴のような返事があった。
陛下は呼びかけた相手がこちらに来るのを待たず、わたしを抱き上げたまま歩き出す。なんの前触れもなく動かれたため、わたしは慌てて陛下にしがみついた。近い! と怖い! の二つで、怖いが勝ったようだった。
「お呼びでしょうか! 陛下!!」
全力でかけてきたらしい少年に、わたしは瞬く。陛下がお呼びになったのは、ヘイリオだった。ヘイリオ・ナギク、近衛騎士。ニルヴァニアの人間で、唯一、一緒にヴェニエールまできてくれた少年。
また、背が伸びた。
ヘイリオがやってくると陛下は足を止めて、わたしをおろした。
「姫を頼む」
ぽつりという陛下に、ヘイリオは短く返事をする。それを見て、陛下はうなずいて身を翻した。
緑深い方へ向かう後ろ姿を、わたしは黙って見送った。
「……陛下は、どこへ」
小さな小さな言葉だった。おそらく、ヘイリオの独り言だろう。近衛騎士といえども、私事で任務に必要のないことをわたしのような身分の人間に問いかけると言うのは許されていない。
だからわたしは、独り言を言うことにした。
「リゼット、怪我、大丈夫だといいけど」
はじかれたように顔を上げるヘイリオに、わたしは瞬いた。何を、そんな驚いた顔をするの。どうして、そんな、痛みをこらえるような顔をしているの。
眉を寄せた深刻そうな顔に、わたしは首を傾げる。
「……恐い顔」
わたしがささやくと、ヘイリオは狼狽えたように眉を下げた。「どうしたの?」とわたしが聞くのに、彼は「いいえ」と口にして、わたしから目をそらす。
それは、何かありますと言っているようなものですよ、騎士様。
けれどそれ以上は追求できなかった。何かあるのだろうとは思う。けれど、どういうものかが分からない。まるで見当はずれにかまをかけても、仕方がない。
だからわたしは、とりあえずはと微笑んだ。
「大丈夫」
ヘイリオが、顔を上げる。琥珀色の瞳は、初対面時と変わらずやはりきらきらと綺麗で、瞳の色にコンプレックスを持つわたしは、憧れずにいられない。
「陛下はきっと、リゼットを助けてくださる」
自信満々に言ったのに、ヘイリオはわたしの言葉に虚をつかれたような顔をして、そうして、困ったように笑顔を浮かべるだけだった。そんな表情は望んでいなかったと言うのに。
もう、と、思わずむくれる。
日の光で明るい室内で、黙々と針を進める。視線を下げると、視界を遮る髪に、思わず顔を振る。
そうして視線を戻せば、また、視界は遮られた。
慈善市の日が迫っていると言うのに、エリザベートは、あの日、わたしが冬森に迷い込んでからこちら、姿を見せてない。
「……どうしてなのかな」
ぽつりと呟くけれど、どこからも返事はなかった。
ミーリエルもいない。彼女は今まで通り仕えていてくれるけれど、それでも姿を見せなくなることが増えた。部屋は、無愛想な騎士が常に待機していたから、不便はなかったけれど。
時折散歩に出ても、ヘイリオの姿さえ見かけることはなかった。
オルウィスさまは顔を合わせるたびに、わたしに厳しい視線を向けてくる。
その代わりに、陛下が数日に一度の頻度で、わたしとお茶の席をもうけてくれるようになった。
扱いを計りかねているという様子は、無くなった。
思い出したのだと、呟いていたけれど、よくわからなかった。
「陛下」
今日もまた、陛下はわたしのへやでお茶の場を設けてくださった。
お茶を飲む陛下に、もう何度目になるか分からない問いかけをする。
「エリザベートは、何処に行ってしまったのです」
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