9.侍女頭と近衛騎士
私のせいだ。
ミーリエルが唇を噛み締める。見失ったとき、思わず報告に行ってしまったが、迷わず中庭へ向かうべきではなかったか。
泣きそうになりながら、中庭を駆け回る。見つからない。いくら探しても。どうして、とミーリエルは心中で叫んだ。傾いていく日差しに、焦りだけが募っていく。
こんなとき、エリザベートがいてくれたら。
頭をよぎった人物に唇を噛み締める力が強くなった。こんな時にまで、エリザベートを思い出すなんて。
だって、思いもつかない名案を、エリザベートならいつだって思いついてくれた。冷静に状況を分析して、導いてくれた。どうしてエリザベートはいないのだろう。今どこで何をしていると言うのだろう。
こんなことじゃ駄目だとミーリエルは首を振る。目元をこすって、足を速めた。
植え込みの角を曲がった途端若い騎士とはち会わせた。慌てて道を譲り、頭を下げる。こんなことをしている場合ではないのに!
けれど若い騎士は、すぐにその場を立ち去らなかった。
「あなたは、ウィリア様の」
聞き覚えのない声をかけられ、ミーリエルは顔を上げた。真正面から見ても、相手が誰か分からない。思わず彼女が首を傾げると、若い騎士は名乗りもせずにミーリエルへ詰め寄った。
「そちらには、いませんでしたか」
「え、あ、は、はい」
慌ててうなずく。若い騎士は眉を寄せた。祈るような表情で、じっと足下に視線を落としている。
「おそらく、中庭に向かうウィリア様を、最後に見たのは、俺なんです」
うなだれる騎士に、そんな、とミーリエルは思わずこぼした。どこで、と。
「遠目からでしたので、詳しい場所までは。にっこりと微笑んでくださって」
そこまで聞いて、あ、とミーリエルは口を開けた。思い出したのだ。この若い騎士が、ニルヴァニアから唯一、ウィリアローナについてきた騎士だと言うことを。背が高くなっていたため、気づかなかった。小さいイメージだったのが、ミーリエルよりも少し高くなっている。
「中庭から、場所を変えてしまったのでしょうか」
それはさすがにない、とミーリエルは首を振る。ウィリアローナはそんなことはしないだろう。少なくとも、誰かに言づてくらいは頼むはずだ。じっと考え込んでいると、あるいは、と騎士が遠くを見た。ミーリエルもつられてその視線を追う。
「まさか」
思わず、ミーリエルは口にしていた。
中庭には、冬森と呼ばれる森が隣接している。
それは、王侯貴族が狩りに興じるために、かつて整備された国有地だ。春が来なくなってからは生き物が激減したため、久しく人の踏み入ることのない森となっていた。
「冬森に入ったとでも言うんですか!?」
「可能性の話です」
ミーリエルの勢いに、騎士は一歩引く。そんな、とミーリエルは首を振った。
「で、ですが、中庭との境界には柵があります。こえるのは無理です」
なら、大丈夫ですね、と若い騎士はうなずいた。きっと城のどこかにいますよと、笑ってさえ見せてくれた。
その笑顔にほっとして、ミーリエルもうなずく。騎士と別れ、念のため、と一度城内を目指した。
日が落ちてからやってきた報告に、オルウィスは絶句する。
中庭に隣接した冬森。狩りに興じるために整備された冬森。春が来なくなってから、使われることのなかった冬森。
それはつまり、帝国が神聖王国からここを奪った遠い昔。
それから、いったい何年経ったと思っている。
定期的に整備されているはずの柵が、朽ちていた。
ひと一人分どころではない範囲が、中庭と冬森を隔てず今まで存在していたのだ。
「……ここから、冬森に迷い込んだ可能性がある」
そう言ったのは、近衛騎士団長のガイアスだった。おおらかにどっしりと座り、ことの成り行きを見つめていることの方が多いガイアスの表情が、どこか固い。それぞれがランプを手に、これから森に入り捜索するか、朝になるのを待つか、中庭に詰めかけた状態で指示を待っていた。
指示を仰がれているのはガイアスだ。久しく整備されていない冬森に、いるかどうかさえ分からない姫君の捜索。行けと一言言えば、皆ためらわずに行くだろう。
しびれを切らしたのか、森になど迷い込まずかどわかされた可能性はないのかなどと、個人的な意見を勝手に発言する者もちらほら出始めていた。
「不審人物は今の所目撃されていません。城から出たなら、必ず誰かの目に留まるはずですから」
その一つ一つを、オルウィスが対応して行く。オルウィスでさえ、ガイアスの言葉を待っていた。
「その不審人物がその柵の朽ちた場所から出入りしていたらどうなる!」
「それはっ」
もっともな意見に、オルウィスが返答に詰まった時だった。
「何をしている」
淡々と、けれど身体の芯から畏怖を呼び起こすような、声がした。
ほとんどの者がびくりと肩をこわばらせ固まる中、オルウィスだけが声の方を振り返る。
「エヴァンシーク陛下!」
オルウィスが駆け寄ってくるのをエヴァンシークはその場で佇んだまま待ち、中庭に集まる一同を見る。
「書類は全て終わらせたからな」
オルウィスに向けぽつりと告げて、エヴァンシークは一同のもとへ近づき、一人一人の顔をじっと見る。全員を確認したのか、小さく息を吐いた。
「……陛下?」
「姫君は無事だろう」
「何を」
根拠に、という言葉は語尾が消えた。エヴァンシークの態度は、どこか安堵しているようにも見えた。
「なぜですか」
一同に聞こえない声量で、 オルウィスは問いつめる。エヴァンシークは一度目を逸らした。けれど、オルウィスが一歩近寄ると、迷惑そうな目をして一歩下がる。
「……エリザベートがいない」
告げられた一言に、オルウィスの口から「それがなんだと言うのですあんたそろそろいい加減にしてくださいよ」という言葉が飛び出そうになった。聞いたのがミーリエルなら言っていた。オルウィスでよかったのだった。
頭痛がしそうになる、とオルウィスは額を抑えた。驚くほどの辛抱を持ってして、「だから、なんです」という建設的な問いかけを口にする。果たしてその返答が建設的かどうかは別問題であったが。
「エリザベートがいない。だから、姫君は無事だ」
どういう繋がりですか、と眉を寄せる。陛下、と呼びかけとともに、その菫色の瞳を見れば、言葉を失った。
「お前たちは、エリザベートのことを」
見たことのない表情だと思った。五年間付き従ってきたのに、オルウィスは今日初めて、こんなエヴァンシークの表情を見たのだった。
「何も知らないだろう」
こんな時に、こんなにも楽しげな表情を見るなんて。
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