8.赤髪の憂鬱
ミーリエルが去ったオルウィスの執務室で、オルウィスはウィリアローナ姫捜索の手配のために立ち上がる。その前に、とエヴァンシークを振り返った。
「エヴァン様」
非難まじりの声に、エヴァンシークは机に視線を落としたまま、ペンを動かし続けるだけで目も向けない。オルウィスは内心でため息をついた。エヴァンシークとの付き合いは、彼が皇帝になってからと短く、ほんの五年の付き合いになる。いまだ、その心中を伺えたことはない。
皇太子時代のエヴァンシークを、オルウィスは知らないのだ。だから、と聞かれればそれまでであるが。それ以前のエヴァンシークをよく知る者に言わせれば、考え込む姿を見ることが増えた、らしい。
それはそうだろう。その話を聞いた時のオルウィスの感想がこれだった。エヴァンシークの政治手腕は申し分なく、しかしそれが今まで剣ばかり振ってきた人物であれば、立ち止まって考え込まないわけがない。
無理をさせているのは分かっている。議員の誰もがまとまるという気を見せず、議会は必要最低限の議題でさえ遅々として進まない。若き皇帝と言うのは、なかなか認められないのだ。若輩者がと吐き捨てられてばかりであることを、オルウィスだって知っている。重要で急な案件は、ほとんどエヴァンシークが独断で突き進めている現状は、端から見れば暴君だと思われても仕方が無いように見えるが、どれほど思考を重ねているか知れない。ほとんど寝てないのではないかと、オルウィスを心配させる。
皇帝陛下の全ての努力は認めさせるためだ。認めさせるために花嫁を迎えたのだ。春を取り戻したのだ。これで夫婦仲は円満だと示せれば、目に見える敵は減っていくだろう。
国内では、の話だが。
「ウィリアローナ姫様と、お話ししてますか」
「ニルヴァニアの王子が帰ってからこちら、そんな暇もないほど仕事に追われているのはお前も知っているだろう」
ヴェニエールは今、戦をしていない。ただ、大国故に、周囲への牽制も必要だった。春が来ない国だからこそ、国土が豊かでないからこそ、人が集まりこそすれ他国との対等なバランスが保たれていたのだ。
しかし、春は取り戻された。取り戻されて、しまった。
オルウィスは、エヴァンシークへ向けていた視線を窓の外へ向ける。
これからこの国の生産力は跳ね上がり、今までと比べられないほどの豊かさが約束されている。それと引き換えにして、他国との緊張も高まるだろう。
そして、豊かになったこの国で一番狙われるのはウィリアローナだ。
「なぜですか」
以前この話をした時、ウィリアローナ付きのミーリエルはオルウィスに向かってそう問うた。ウィリアローナ付きになる際、彼女が挨拶にいく直前にオルウィスがどうにか捕まえて告げたのだ。周囲に気を配るように。危険を感じたらどんなことでも報告するように。けして、姫君本人に悟らせぬようにと。
「あの姫さえいなければ、この国はまた冬へ逆戻りだからな」
帝国の発展を阻むならば、最も手っ取り早いのがウィリアローナの排除だ。
そのことを、誰もウィリアローナに教えていない。それどころか、民から絶大な人気を勝ち得つつあることさえ、本人の耳に入っているかどうか、オルウィスには分からなかった。ミーリエルも把握していない。エヴァンシークが折りを見て告げると言うことに決まってしまったため、誰も伝えることができない。
それなのに。エヴァンシークはウィリアローナと対話をしていないという。
苦々しい思いで、オルウィスはエヴァンシークへ問いかける。
「あの侍女はいったい、いつまであなたの側に?」
先ほど唯一エヴァンシークが口にした名前。問題の侍女について。あの侍女がいつからエヴァンシークの側にいるか、オルウィスは知らない。少なくとも、初めて会った時点でずいぶん長く二人は一緒にいるように思えた。
いつの間にか、常にエヴァンシークの後ろについている侍女。男か女か分からないような年頃から、彼女はエヴァンシークの側にいた。
侍女の制服をまとうようになったのは、つい最近だ。ここ一年内の話で、それまでは少年のような恰好で、時々城内で見かける程度だった。実際少年だと思っていた者も少なくない。しかし、言葉を交わした者は驚くほど少なく最近になり侍女の服を身につけるようになってようやく、陛下の側に常に侍る娘の姿が、と話題になったのだ。
それが、ニルヴァニア王女との婚約という話がすすめられ始めた頃だったため、それからこちら、オルウィスの頭痛の種である。
「いつまで、とは」
やはり、こちらを見ないまま、淡々としたエヴァンシークの声と態度に、オルウィスは途方に暮れる。
(黙認せよと言うことか)
「数少ない味方で、喜んで働く手駒だ。許せ」
返す言葉がなかった。皇帝にそこまで言わせて否を唱える臣がいるだろうか。
どれだけの人間に、深夜にやってくるエリザベートの存在が知られていることか、考えると頭が痛い。
歳が近く理想を共に追えると言う理由だけで、議員のひとりでしかないオルウィスは、破格の扱いを受けている。皇帝直々に、発言を取り上げてもらえている。
侍女については、どういったつもりなのか話してさえくれれば、それが納得できることかどうかは置いといて、オルウィスは悩むことなくエヴァンシークの味方でいられるのに、と思う。
この、強く気高い皇帝の側にいれることを、ただ幸福に思えるのに。
不審は疑惑を呼び、それがやがて裏切りを呼ぶことを、オルウィスは恐れている。
信じていたい相手を信じきれない己に、嫌気がさす。
「……失礼します」
一礼して、オルウィスは身を翻し部屋を出た。これは逃げだと自覚しながら、オルウィスは皇帝のことを頭の隅に追いやり、ウィリアローナのためにどう動くべきかを考え始める。
去っていくオルウィスの後ろ姿。揺れる赤髪を、エヴァンシークはじっと見つめていた。
あの日、ウィリアローナが見つけたあの瞳で。
エヴァンシークは小さくため息をついて、次の書類へと手を伸ばした。
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