7.青空の下へ
結果は上々だった、と、エリザベートは言っていた。
「あっという間に無くなってしまいましたよ。次は是非、姫様も売り子やってみましょうよ」
本当かなぁ、と疑いながらも、なんだか嬉しくて笑ってしまう。来月の慈善市に向けて、どんな図案にしようかな、何色の糸を使おうかな、次の布はどうしよう、と考えを巡らしながら針を進める。ミーリエルがお茶の用意をして呼んでくれているのに、ちょっとまって、と思わずうなる。
「あらあら」
そんなわたしを、ミーリエルは嬉しそうに眺めている。
「……何、なの?」
思わず針を止めて問いかけた。ミーリエルはきょとんとこちらに首を傾げる。
「エル、すごく嬉しそうに見えるから」
「それはですねー、ウィリアローナ姫様が楽しそうだからですよ」
今度はこちらがきょとんとする番だった。わたしが楽しそうだと、どうしてミーリエルが嬉しそうにするのか、そこに繋がりはないだろうに。
「お世話する方がニコニコしてたら、侍女はとっても嬉しいのです」
そう言って、ミーリエルがお茶の席を示す。あぁ、はいはいとわたしは慌てて手元の道具を投げ出し席についた。すぐにミーリエルが温かいお茶を入れてくれる。
「そういうもの?」
「そういうものです」
そうなの、とわたしはうなずいて、一口。
「うん。美味しい」
とろりとしたお茶の色は綺麗で、思わず見つめながら言う。視界の端で、ミーリエルが嬉しそうに一礼するのが見えた。
日差しは徐々に強くなっていく。どれくらいきつい日差しになるかは、分からないそうだ。ずいぶん長い間やってこなかった春であったために。
「そういえば、ヴェニエール帝国って、ニルヴァニアよりも北になるのね」
「へ? あぁ、はい。そうですね」
なるほど、とうなずく。ということなら、ニルヴァニアよりも温かくはならないはずだ。例によって書庫にこもっていたから知らないのだけれど。
外を眺めて、豊かな緑に降り注ぐ日の光に、どうせ刺繍をするなら、部屋の中でするよりも、晴れた空の下でやる方が良い気がした。
一度思いつくと、それ以上に良い案は無いように思えて、お茶を終えてすぐに道具をまとめて中庭を思い出す。以前騎士団長のガイアスさまとお茶をしたあの東屋がちょうど良いに違いない。部屋を出ようとした所で、ミーリエルに手を掴まれていた。
「ひ、姫様? どちらへ?」
「中庭です?」
「ご、護衛を。騎士をおつけいたします」
別に良いのに、とわたしが小さく呟けば、とんでもない! と怒られる。良いからそこで待っててくださいよ、ミーリエルは廊下を早足で行ってしまう。そこで、あれ、と気づく。
きたばかりの頃は、何人も控えていたような気がするけれど、日が経つにつれて侍女の数は減った。いつも見るのは、ミーリエル。わたしが起きる時間帯にだけ、いつも決まった時間ではないのになぜかいるエリザベート。あと、思いつくのは二人か三人。
なぜ減ったのだろうと首を捻る。減らす必要があったのか、それとも、最初は多くなくてはいけない理由があったのだろうか。
「監視の意味もあったんでしょうけど」
あの頃の自分の態度の悪さを思うと、自分が恥ずかしい。
今更気にしても、過ぎたことは仕方がないけれど、とわたしはその場で伸びをした。こんな姿を見られたら怒られると、あの頃は思っていた。
少し待ってみても、ミーリエルが戻ってくる気配はなかった。道具をまとめたかごを手に、ふらりと軽い気持ちで中庭を目指す。
なるほど。とひとつ、うなずく。
身分が高いと移動するたびに騎士が必要になる。だから、予定は早いうちに決めておかなければ、侍女が苦労するのだ。
遠くにヘイリオの姿を見つけて、足を止めた。
彼がこちらに気づいたかどうかは分からないが、姿勢正しく見張りに立っている姿に、がんばれ、と小さくつぶやく。
怪我がありませんように、と、その場で小さく指を組み、祈った。
中庭は広い。
庭園と違って花を植えられ植木を芸術的に刈り込んでいるわけではなく、華やかさもないが、中庭には整然とした、自然本来の生命力を引き出すような美しさがあった。
「……これは」
東屋に座って刺繍をするよりも、探検をしたくなってきた。
行くあてもなくひたすら歩いていると、東屋を見つける。ここは騎士団長ガイアス様とお茶を飲んだ東屋だ。なら、もっと奥に行ってみよう。ここまではきたことがあると言うことなのだから。
よし、とわたしはかごを腕にかけ直す。探検だなんて、わたしらしくないと思った。背の高い植木の間を歩いていると、本棚に囲まれている感覚を思い出す。
ここは明るくて、空気の通りもよく、埃もない、紙の香りもしない所だけれど、なぜだか、本棚に囲まれているような、くるまれているような、安心感があった。
こういう所をひとりで散歩するのも、良いかもしれない。
とりあえず、とわたしは歩き出した。
とりあえずは、別の東屋が見つかったら、そこで刺繍をしよう、と。
報告を受けて思わず椅子から腰を浮かせるくらい、慌てるそのお方に、意外だ、という想いが隠せなかった。
「……陛下」
オルウィスが静かな声に、対する人物へとどまれという音を含める。ぐ、とわずかに大きな身体は揺れた。気のせいかとその場の誰もが思ったが、わずかに揺れを残す金の一房に、このお方でも、動揺することがあるのだと知った。
「も、申し訳ありません!」
ミーリエルは会話の空白に深く頭を下げる。目を離すべきではなかったのだ。見張りの兵に、手が空いている近衛を呼んでもらえばよかっただけのことだったのに。
行き先は分かっている。中庭だ。けれど見失ってしまった。見失ったと気づいたその瞬間に、ミーリエルはここへ駆け込んだのだった。
駆け込んだのはオルウィスの執務室だと思ったけれど、なぜだかそこにエヴァンシークがいて、呆気にとられてしまったため謝罪が遅れたのだった。
「エリザベートはどこにいる」
エヴァンシークが立ち上がりながらミーリエルに問いかけた。ミーリエルは瞬いて、「えりざべーと、ですか……?」おうむ返しにつぶやけば、話にならないという顔で、もう良い、と手を振られてしまう。
思わず、こんなときに? という言葉がのどまででかかり、ミーリエルは飲み込む。今、エリザベートと言う言葉が出るのはなんだか切なかった。いないのは、ウィリアローナだと言うのに。
「陛下。捜索の手配は私の方で行います」
オルウィスの言葉と、無言の圧力で、ようやくエヴァンシークは浮かした腰を椅子に沈ませる。その顔が小さく、うなずく。
「私も探してきます」
失礼しました、とミーリエルは一礼した。身を翻して、中庭へと急ぐ。
守られる対象が、自分の周りを何一つ把握していないと言うのは問題だと、ミーリエルは思った。
ここをどこだと思っているのだろう、ごまかしで目隠しをして、それで守っているとでも言うのだろうか。
これ以上は不敬になる、とミーリエルは思考を止める。
ただ、と思った。止めた思考を追いかけるようにして、ただ、と付け加える。
「それであの方が笑っているならと思うと、難しいことです」
神が遣わした聖女が、春を呼んだのだと、最初に言い出し広めたのは果たして誰だろう。
国中から、ウィリアローナが求められている。
それは、城で働く者たちも同様だ。仕事に誇りを持っているなら、ウィリアローナに対し祝福を求めることなどあり得ないが、末端に行けば行くほど意識というものは薄くなっていく。
一部独自の規則が作り上げられている仕事場は別だが、そうでない者が、恐れ多くも皇妃に話しかけるなんてこと。
中庭であれば、そういった者は少ないだろう。それどころか、そもそも訪れる人が少ないだろう。庭園よりは多いかもしれないが、それでも人気は少ない。そこを誰かに捕まったら?
冗談じゃない、と、ミーリエルはさらに足を速めた。
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これからもよろしくお願いします!
雨音を聞きながら一生懸命青空をイメージしつつ。