3.許される呼び名
あなたに触れるほど、近づくほど、あなたの思いの強さを知るのだ。
一緒にいた時間の違い、ずっと近くにいることを理解して、敵わないと思い知る。
あなたはきっと、自信を持って、何が大切かを言えるのでしょう。
あなたに触れるほど、近づくほど、あなたの思いの強さを知り、そしてきっと、あなたのことを好きになる。
あなたのことも、好きに、なる。
「子どもでもできる。だなんて、言わないでくださいね。どう見てもこれは素晴らしいものですよ」
ぎゃあなんですこの均等な目はこわい!
まじまじと見ていたはずなのに気がつけば遠ざけて、そしてまたそろりそろりとわたしが刺した刺繍を見ているエリザベートは、なんだか一人で楽しそうだ。
どうでも良いことかもしれないけど、エリザベートは力強く言う時の迫力がすごくて怖い。怒りますよって、すでに怒ってるように見えますよ! と言い返したくなる。言い返すことも恐ろしくでできないのだが。
「腕に自信がないなら、週末に教会で小さな市を開くのですが、そちらに出品してみます? 全て教会の運営費にまわってしまいますけど」
「……教会の、市?」
「そうです。いわゆる慈善市と言うか。シスターたちがパンや壁掛け、ロザリオなど、手作りのものを売るんです。月に一回。小さな即売会ですけど。とっても賑やかで、姫様も楽しめるかと」
さりげなく付け加えられた最後の一言が気になった。
「……な、なんだか、わたしも市に行くような口ぶりね?」
なにをとぼけたことを、と言わんばかりの様子で、エリザベートは小首をかしげた。
「行くんですよー。売り子、誰がするんですか」
「無茶です!」
無理とかできないとかそう言うレベルではない。無茶だ。ありえません。
わたしが首をぶんぶんと横に振るのを見て、エリザベートが「えー」と口を尖らせる。常識で考えてよとわたしはため息をついた。
というか、週末って時間が全くないじゃない。出品するものもないし。
「エルにも陛下にも内緒で、お城、抜け出しちゃいましょうよー。姫様、お城に閉じ込められて退屈でしょう」
思わず首を振った。横にだ。えぇ、とエリザベートが不満そうな顔をするが、そんなことはない。全くない。日々の変化について行くのが精一杯で、楽しくないとか思う暇もない。でもでも、とエリザベートは食い下がった。
「せっかくですから、この国をもっと知ってほしいって思うんです。城下の民とも触れ合う機会があっても良いと思うんです!」
軽く拳を振る仕草には、思わず苦笑する。わたしが誘いにのらないと察したのか、エリザベートは肩を落とした。
「まだ、お城にも慣れてないので今週末にいきなり城下と言うのは早すぎるかもしれませんが」
そう言って、わたしの方を伺ってくる。まだ諦めていないのだろう。懇願するようなエリザベートの視線に、わたしは思わず目をそらした。
そして、つい、考えてしまう。
だって、民と触れ合うなんて考えたこともなかった。さすがにそこまで大掛かりなことを、陛下に内緒で何かをすると言うのはできないけれど。お城から出て民と接するのは、良いことだと素直に思う。
「う、売り子は、できないけど。出品するのは、良い考えだと、思います」
きっとはっきり分かるだろう。わたしの刺繍の腕が、他の人の目に留まるものかどうか。お金を払ってまで、手に入れるに値するものかどうか。
「だから、姫様の刺繍はちゃんと売り物になりますって! ちょっとお高めにしても良いくらいです!」
わたしの考えを読んだように、エリザベートが拳を振るう。元気だ。
「色んな人が手に取ってくださいますよ、きっと」
と、楽しそうに笑った。
「とりあえず、今までに出来上がったものを、わたしが売り物になるように小物かなにかにならないか見てみますね。夕方、姫様のお部屋を伺わせていただきます」
え、とわたしが瞬くと、部屋の隅のかごに沢山あるの、知ってるんですからね、と胸を張られた。
そして彼女は、いたずらっぽく笑う。
「もちろん、エルがいない時間に」
と。
わたしは小さくため息をついて、首を傾げた。
「エリザベートが楽しんでいるようにしか、見えないのだけど」
「髪結いしかさせてもらえない侍女は、仕事に飢えているんですよ」
そんなことで胸を張らないでほしい。苦笑して、本棚に手をつきつつ立ち上がる。遅れてエリザベートも立ち上がった。
自然と、視線が下がって行く。
「……不安ですか?」
エリザベートの問いに、小さくうなずく。刺繍が、誰かへの贈り物になるだなんて考えたこともなかった。頑張ってこれから練習して、素晴らしいものを作り上げることができるだろうか。
喜んで、もらえるだろうか。こんなもの邪魔になるだけだと、捨てられたりしないだろうか。
そうつぶやけば、「それはエルに失礼ですねぇ」と肩をすくめられた。
「これだって、エルから借りるの大変だったんですから」
言いながら、白いハンカチを示す。
「目をそろえるのが難しい図案にだから、どうしても参考にしたいのだと言って、引っ張ってきたんですよ」
と、エリザベートは腰に手を当てるわたしの顔を覗き込む。
「あの子だったら、きっと喜んでくれますよ」
そう言われて、なんだか喜ぶミーリエルが想像できた。
もしかしたら、わたしこの侍女に良いようにのせられているのかもしれない。
それでも。
「ありがとう、エリザベート」
じっと、彼女の目を見て話しかける。彼女はきょとんと瞬いて、嬉しそうに目を細めた。
「リゼット」
小さなささやきに、え、とわたしは首を傾げる。エリザベートはしっかりとわたしを見つめて、微笑んだ。
「リゼット、と、およびください。暁の君」
優雅な礼を受けて、わたしは微笑む。うん。と小さくうなずいて。
「これからもよろしく。リゼット」
はい、と彼女もたしかに、笑ってくれた。
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