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2.ハプリシア・エリオン・ヘルツ・ニルヴァニア

 暗い部屋に、一人の少女がいた。

 扉を背にして、暗い表情で、息を吐く。着ている衣裳は豪奢で、その手は暗闇であってさえ滑らかで苦労知らずであることが伺える。

 じっと一点を見つめていたかと思うと、おもむろに扉からはなれ、外套ケープの合わせに手をやって、無造作に長椅子の背もたれへとかける。

 ばさりと、脱ぎ捨てた外套が床へと落ちた。少女は外套が落ちたことに気づいたが、一瞥いちべつしただけで拾うことはしなかった。

「とんだお芝居だったわ。三文芝居とは言うけれど、見る価値もないどころかやる価値さえあったかどうか」

 おもむろに、いらだちが少女の口からこぼれ落ちる。誰もいないことを知っていて、それでも思わず口をついてしまった言葉に、少女の顔は歪んだ。

 部屋の隅にある鏡を振り返ったのは、そんな自分の醜さから目をそらすことはしない彼女の強さからだろうか。

 少女の青い目が、すがめられる。

 波打つ銀髪は、暗い寝室でも大きな窓から入る月明かりを受け、美しくきらめく。少女が大陸中から美しい麗しいと言われるのはこの髪のせいだ。この、妖精めいた髪の色のせい。美貌だ何だともてはやされるこんな顔など、探せばきっといくらでもいると、少女は常々考えている。


 ニルヴァニア王国、王城の一室で、王女ハプリシアは小さくため息をついた。


(物語のお姫様ヒロインになれる。だなんて、本気で信じてなんてなかったわ)

 ハプリシアは、ずっとそう言われて育ってきた。よくよく思い返せば国王や母、兄たちからは言われたことなど一度もなかったのに、周りの貴族たちのささやきを真に受けて、ずっと生きてきたのだった。

 幼かったあの日、訪れたあの国に、春はもたらされなかった。その歳の頃にはもうおとぎ話を信じるよりも、大切なことがあると知っていた。ハプリシアは、わずかな落胆とともに、少女時代の夢と決別したはずだった。

 そのすぐあと、別の少女によって春がもたらされたことなど、些細なことだった。

(ウィリアは、今頃どうしているかしら)

 公爵家の書庫にいた時のような姿に、逆戻りしていないことだけをハプリシアは祈る。

 とんだお芝居、とハプリシアが吐き捨てたものでも、やる価値は確かにあったのだ。その証拠に、帝国には春が戻り、ニルヴァニアの王家には加護が戻った。

 そして、きっとウィリアローナから続くヴェニエールの王家にも、加護が宿るだろう。

 そのために、全ての舞台は整えられたのだから。


『春をもたらす聖女として、ウィリアローナを帝国へあげようか』


 全てはこのろくでもない言葉から始まった。リンクィンの、まるで何か、とても良いものを譲るかのような軽い調子とその意味に、その場の誰もが言葉を失った、あの時から。




「リンク」

 彼の考えの全てを聞き終えた時、小さく咎めたのはレヒトールだった。何だい? とリンクィンが首を傾げる。

 三人のためにかつて与えられた、今はもう使うことのないはずの子供部屋で、リンクィンとレヒトール、そしてハプリシアがそれぞれ腰を下ろしていた。レヒトールとハプリシアは並んで座り、対面にリンクィンが座っている。

 同じ顔が向かい合わせになって、けれどその表情は対照的に、苦悩と困惑を表していた。

「どうして、レヒト? 何も問題はないはずだよ?」

「問題はない。それは俺も知ってる」

 ただ、問題なのはその言い方だ。しかし、言っても聞かないだろう。結局、何でもない、とレヒトールは首を振った。

 けれど、そのまなざしは鋭くリンクィンを責める。

「やだな。そんな怖い顔」

 ああ怖い怖い、とリンクィンは肩をすくめる。愛されているなぁウィリアは。と、少し羨ましそうに目を細めた。

 深まる青と、その、底の深さ。

 その瞳に、ハプリシアは喉が引きつるのを感じた。いやに心臓の音がよく聞こえる。自分と同じ兄の青い瞳と目が合って、ぴくりと肩を震わせる。リンクィンは、妹姫の恐怖に気づいた。

「ハプリシア、怖がらないで」

 妙なことをしたりはしないから。と、リンクィンは一度目を閉じる。再び開いたときには、いつもの優しい瞳に戻っていた。

 考えてもご覧よ、と彼は前置く。

「先代の血を継いでいて王位継承権を持たない娘が、この国で果たして幸せになれるかな」

 その言い分は、正しい。城の誰もがウィリアローナの成人する日を恐れていた。レヒトールとハプリシアが押し黙る中で、リンクィンは続けた。

「公爵家の人間として、あのお姫様には縁談が殺到するだろう。ウィリアローナの出自を証明するものは何もない。誰もが予測することができても、そこから辿ってしまうとウィリアローナの継承権は放棄されてしまう。

 だから、証明することはできない。でも、帝国に春を呼べた姫君は、それだけで王家の血の証明となるだろうね。どこからかなんてもう関係ない。『春を呼んだ王家の血筋』を、誰もがほしがるだろう。

 逆を言えば、ハプリシア。呼べなかったお前はそれだけでその血筋を疑われる、ということを、分かっているかな?」

「リンク!」

 細く、短い悲鳴が漏れた。もちろんハプリシアの小さな唇からだ。レヒトールの、リンクィンを呼ぶ声が大きく響く。王女は銀の髪を振るわせ自らを抱いて、それでもリンクィンをじっと見つめ続けた。

「強いね。ハプリシア」

 にこやかに、リンクィンは笑む。

「お前は僕の妹だ。それは、その髪と瞳が証明してくれる。安心して良い。誰も疑ったりしないから」

 ただ、『ウィリアローナと入れ替わっていた』と虚言を振る舞われたらどうだろう。

 考えるんだよ。何かあってからでは遅いのだから。


 そう言って、リンクィンはハプリシアの目の前まで歩み寄った。

「無茶な言い分を持って、ウィリアを王位継承争いに担ぎ上げよう。などと一度でも考える貴族はどれだけになるか、想像できるかい? そうなった時、果たして僕とウィリアだけの争いになると思う? 当然のように、それならばとレヒトを担ぎ上げる者たちも現れるだろう」

 立派な種子だよ。ウィリアローナは、はじけ飛べばどんな影響を及ぼすか全く読めない、恐ろしい種子だ。

「だから、追い出すと言うの。くだらないお芝居までして」

「そうすれば、僕たちは悲願を達成でき、帝国に春が戻る。ウィリアもきっと、幸せになれる」

「ウィリアが、幸せになれるなんて、どうして言い切れるのよ」

「それは、僕と皇帝が旧知の仲であると言うだけじゃ、信用できないかな」

 二人の応酬の終わりに、ハプリシアが顔を歪めてささやく。

「お兄様の何を?」

 これは困ったとリンクィンは肩をすくめた。ハプリシアは、けしてリンクィンを嫌っているわけではなかったが。

「お兄様の人格に、不安を覚えることに対して、何か異論でも」

 固い口調でハプリシアがそう問えば、リンクィンは両の手のひらを示す。

「悪かった。それについては今後の僕に期待してくれればと思うよ」

 傍らではレヒトールが苦笑している。ハプリシアは彼にも一言リンクィンに対して何か言ってほしかったが、レヒトールにその気がないのを見て取って諦めた。

 お兄様、と呼びかける。

「ウィリアは、幸せになれますか」

「皇帝陛下は、お妃としてきた人を大切にするとずっと決めているよ」

「そうですか、それなら、ウィリアもきっと……。兄さまはどう思いますか」

 ハプリシアの視線はレヒトールへと向けられていた。レヒトールは少しだけ考える仕草を見せて、「さあな」と呟く。ハプリシアが非難の声をあげようとする前に、「ただし」と付け加えられた。

「妃として大切にすると言うなら、ウィリア個人は果たしてどうなるかなぁ」

「……? どういうことです」

「ウィリアでなくても、例えばハプリシアであったとしても、皇帝は大切にすると言うことだろう。もしも、それを知ったらハプリシアだったらどう思う?」

 突然問われて、ハプリシアは眉を寄せた。いきなり言われても、大切にされると言うのは変わらないならと口にしようとした所で、「ゆっくり、よく考えてみろ」とレヒトールに言われてしまう。

「……わたくしでなくてもよかったと、思うわ」

 口にして、改めて納得した。あぁ、ウィリアは、幸せになれるのかしら。

「なれるよ」

 不安げな表情をするハプリシアに、リンクィンは言い切った。

「ウィリアは、幸せになれる」

「よくもそう無責任に言い切れますね」

「自信はあるよ。なにせ」

 リンクィンは小さく微笑んだ。

「僕はエヴァンを育てた、前皇帝夫妻を信じているからね」

 誰かが吹き出す音がした。肩を震わせるレヒトールを視界の端に入れつつ、ハプリシアも呆れた表情を浮かべる。

「その文句でどうしてわたくしたちを説得できると思うのですか……」

「いや、説得力がなさすぎて、逆にあるだろう」

 くつくつとレヒトールが笑って、わかった、とうなずいた。

「ウィリアと帝国の件は、リンクに任せる」

 兄さま!? とハプリシアの声も無視して、レヒトールは続ける。

「どうせ、国王陛下にも母さんにも、既に話は通しているんだろう」

「ついでに加えると、公爵夫妻とウィリアのお姉さんにもね」

 俺より先かよ! ってことはこないだあいつに会った時のあの笑いはこれか!! と、レヒトールはうなだれた。

 兄の手のまわし方に、ハプリシアはため息をつく。最終的に、どうあっても了承させられるのではないか。

「本当に否定されたら、しなかったよ?」

 そうリンクィンは言うが、どうだか、とハプリシアはため息をついた。

「ウィリアは、わたくしの侍女ですよ」

「うん」

「まず、最初にわたくしに話を持ってくるべきではないのですか」

「お前が、ウィリアのことを大好きなのは知っているよ」

 悪かった、とリンクィンは言った。ハプリシアは、息を吐いて言うのだった。

「もういいですよ」




 扉が叩かれる音に、我に返る。暗い室内、鏡の中のハプリシアはじっとこちらを見つめていて、思わず慌てて目をそらした。

「何」

 呼びかけに問い返す。声音でハプリシアの機嫌を察した侍女は、言いにくそうに返した。

「あの、その……。お客様です」

「こんな時間に?」

 ハプリシアは眉を寄せる。続いた侍女の言葉で相手を知り、不機嫌な顔を隠そうともせずに寝室から出て扉を開いた。


「どういうつもりですか」

 先ほど別れたばかりの、宰相アークウルドと対面する。


 貴公子然とした見目麗しい黒髪の青年に、次の間の長椅子をすすめながら、ハプリシアはこんな夜更けに何の用ですか、と問いかけた。

「あれはお芝居であったことを、確認いたしたく参りました」

 そう答えるアークウルドの隣に腰を落ち着けつつ、なるほど、とハプリシアはうなずく。ハプリシアが帝国に嫁がない理由のために、ウィリアローナの前ではああ言ったが、当然アークウルドとハプリシアは契ってなどいない。そもそも、滅多に顔を合わせることもないと言うのに。ハプリシア側から言えば限られた交友関係の中、国王陛下の補佐をしているアークウルドと接する機会は少ないとは言えないが、様々なものに日々を追われているアークウルドにとっては大した回数ではないだろう。

「意中の方がいらっしゃったのでしたら、兄に代わって謝罪いたします。重ねてお願いしたいのですが、もしもその方と結ばれたいと仰るなら、あと数年お待ちいただけないでしょうか。ウィリアローナに種明かしをするには、少し時期が早いのです」

 話はそれだけだろうかと、ハプリシアは思考を巡らせる。

 レヒトールやリンクィンのように賢くないと彼女は自覚していた。知っていることを扱うことはできるが、知っていることから新しい事実を導き出すことは苦手なのだ。

 あぁ、それなら、とアークウルドは右手をふった。

「かまいません。少し時間がかかるかと」

「? といいますと」

 ハプリシアが何気なく聞けば、困りました、とアークウルドは照れたようにはにかむ。その笑顔は、思いのほか可愛げがあり、ハプリシアは思わず見とれた。

「意中のお姫様はいるのにはいるのですが、お恥ずかしい話、いまだ想いも告げられていませんので」

 それに私が想い示せば、周りがまとめてしまうでしょうから、と。そんな物言いで肩をすくめるのに、嫌みな所がないのであるから、美形は得だ、とハプリシアは内心感心する。それと同時に、思いもよらない王国きっての美男子である宰相殿の恋の話に、その表情はきらきらと輝いた。

「けれど、アークウルド様ほどのお方であれば、どんなご令嬢も願ってもないことなのではないでしょうか?」

 頑張ってくださいませ、と、ぐっと拳を握ってまわせば、アークウルドは困った顔で首を傾げる。一緒に首を傾げつつ、向けられたその視線にハプリシアは「どうしたのです?」と問いかけた。

 けれど、アークウルドは苦笑してきちんとハプリシアに向き直り、いいえ、と呟く。

「先は長そうですよ」

「殿方でしょう。想いの長さにくじけてどうしますか」

 そうですね。とアークウルドは微笑んだ。

「ハプリシア様は?」

 ぶしつけな質問であれば、お聞き流しくださいとアークウルドは付け足す。そんなこと、とハプリシアは笑った。

「王女ですから、父や兄の都合にお任せするしかありませんわ」

「……」

「かまいません。一番大切なのは、ウィリアローナですから。わたくしにとって、あの子の幸せが、わたくしの幸いですから」

 本当に、とアークウルドはささやいた。

「先は、長そうですね」

 きょとん、と、ハプリシアは瞬いた。すぐに不機嫌そうな表情になり。

「ちょっと、わたくしの話、聞いていました?」

 もちろん、とアークウルドはうなずく。

「夜も更けて参りました。そろそろ、ここを立ち去りたいと思います」

 疾しいことがないといえども、少々問題になってしまうかもしれませんからね。そう言われて、ハプリシアもうなずいた。立ち去ろうとするアークウルドの背中を、ふと呼び止める。

「アークウルド様」

 半身だけアークウルドは振り返った。

「国王陛下や、兄たちのこと、よろしくお願いしますね」

 小さく笑って、はいとうなずく声が聞こえた。その柔らかさに安堵して、ハプリシアは扉を閉める。次の間から自室に戻り、紅茶を入れてもらう。いい気持ちで眠れそうだと、香りを楽しみつつハプリシアはにっこりとした。


 城の廊下を歩くアークウルドは、黒髪をぐしゃりとかきまぜながら苦笑する。

(まいったな)

 紅茶色の瞳を揺らして、アークウルドは窓の外に輝く月を見上げた。





「先は長そうです。……本当に」








読んでいただきありがとうございます。

誤字脱字などありましたらご一報いただければ幸いです。


雑記

間が空いてしまいました。幕間はさくさく更新して本編を始めるつもりでしたのに。ウィリアは当分知ることはなさそうなので、この辺りで種明かし。頑張れ宰相。

黒髪がちょっと多いかしらと思いつつ、まぁ、銀髪も兄妹で三人だし、金髪も公爵家兄弟五人いるし、陛下も金髪だし。割と黒髪にこだわったお話を沢山書くので、気になりましたが気のせいでした。ウィリアとヘイリオとアークウルドだけでした。


 ウィリア視点だとウィリアが意識しているものしか考えないので、髪の色が謎な人もいますね。第二章からちょっと視界の開けたウィリアになるので、ウィリア以外の視点もちょいちょい入っていきます。

幕間1はこれにて終了です。次回からもよろしくお願いします。

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